"みえ"という言葉を漢字にすると、見栄と見得のふた通りになります。
使い方も「張る」か「切る」かのふた通りになります。
見得を切ることに何か価値があるのは、歌舞伎の舞台か花道かでの所作で、それ以外にはろくなことはありません。
張るほうの見栄も、チヤホヤの材料にされるだけで、自分の満足感に比べて、その場の空気感のしらけ方は、張った本人が気付きにくいだけに、得てしてみじめなものに終わります。
昨日の電子版5紙のトップ記事は、書き写すのも疎ましいほど8割が揃っていました。
この記事群のすべてを克明に読み取らなければ、それが何ごとであったのかを知ることはできません。
いったい何が問題をややこしくさせてしまったのか、どの新聞も"みえ"とは無関係に書きにくい何かがありそうです。
だいじなことを書かないことが愚報のうちであっても、"或る"ことについて、それを書かないのが愚報なのかどうか、たぶんこのことは、ズバズバ言うことしか理解できない外国人には謎解きができないだろうと思います。
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