年の暮が近づき、除夜の鐘を聴けるときが間もなくやってきます。
処々方々の鐘のなかで、いちばん好きなのは知恩院の鐘です。
低い落ち着いたあの鐘こそ、除夜にふさわしい音を聴かせてくれます。
あの鐘の音を聴いていると、百八つの煩悩を取り除くというより、静かにゆったり年を越す意味では、徐夜の鐘と書きたい心地になります。
NHKの放送で何年か続いていた知恩院からの中継は、いつの年からかなくなり、いまではほかの寺院の鐘に変わっています。
除夜の鐘がうるさいと文句を言う人のいることがSNSで話題になっています。
響きの悪い軽い鐘なら、叩き方によってはうるさいと思われることもあるでしょう。
そこで寛容の気持ちが生まれるかどうか、それには住職のお人柄や近隣とのお付き合いがかかわっているかもしれません。
国どうしのことにもなれば、何かにつけて争いを誘うような行為を続けさせ、罪もない人の殺害や監禁を平然と行わせるような国家の代表に、外交上の儀礼とはいえ寛容の態度を見せることが、未来に良い結果をもたらすとは言えないでしょう。
こちらは寛容でも、あちらから見れば緩容で、相変わらずゆるゆる、話は簡単と思われていることでしょう。
そのような外交姿勢をもって、摩擦低減方式だけを慣用していれば、次世紀には必ず領海領地を乗っ取られ、国民を苦痛の鍋底で焦げ付かせる恐れが十分にあることを、政治家を名乗る人に忘れずにいてもらうことが肝要なのです。
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