五感の働きは、習慣と深い関係をもっています。
おしゃべり好みが習慣になっている人は、意思表明は下手でも無駄話は上手です。
おいしさを楽しむ習慣をもっている人は、味覚が強く確かさも増します。
話をよく聞く習慣をもっている人は、ひとの話を一度で聴き分けます。
意思表明の下手な人が、だいじなことを伝えようとするとき、話を一度で聴き分けられない人を相手にする場合は甚だ面倒なことになります。
話をよく聞かないということも習慣になります。
自分の言ったことへの合意表明だけは耳に入りやすく、それがわかりやすい話に聞こえます。
簡単に言えば、聞きたい話だけはよく聞こえ、それが癖になっているということです。
話はどんな人もわかりやすくする努力が必要という、わかりやすく話す義務のようなものも、ある種の妄信のように思います。
わかりやすくは表現しにくい、見せないほうがその場にはよい感情を、内にこめた話もあります。
それを噛んで含めるようにわかりやすく言ってしまえば、話の目的がそがれてしまいます。
一度で聞き取れない場合、だいじなことのようならもう一度聴き返して確かめることも、時には必要ですが、三度目まで言わせてやっとわかりかけるのでは、対話は成立しません。
聞く耳、それは五感のうちで最も重要な感覚ではないかと思います。
その感覚の弱さをよいことに、ただわかりやすい話を求めてもよいのは、就学前の幼児のうちだけでしょう。
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