・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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いき

2010年05月30日 | Weblog
いきとは、何かにつけて過ぎないこと。
美しい小紋を作る岩下桜佳女の言葉である。
こういう言葉にこうだああだと説明をし始めると、そのこと自体がいきでなくなる。

言葉なら聞くたびに心地よくなる、そういうのがいきなのだろう。

説明責任という言葉は、いかにもいきと無縁だ。
ものごとの説明は、それをわかりやすいように説きほぐして伝えることであって、責任を果たすがためにそれを行うとか、そのことをわざわざ済んだ済まないと人を貶める材料にしたり、十分だいや足りないなどとはかりにかけるのは、まったくいきではない。

説明してもらっても、いまさらどうなることでもないという場合に、むりやりそれをさせたことを手柄にするのは、なにかどこかが過ぎているからだ。

責任を問うなら、相手を了解させる説得責任を、ということにならないか。
そこになら、いきの働き場、利き場があるかも知れない。


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