ベートーヴェン・ソナタの名前にも使われている熱情は、情熱が高まって熱のほうが情を超え先に走ってしまったかのような言葉です。
熱情が、芸術ではなく政治の場面にあらわれ、大国のリーダーのその度合いが異様に高まってしまうと、危険極まりない状況に陥り、人びとは望みもしないストレスを受け続けることになります。
自国の中でどれほど熱情度を高め振り散らそうと、それはその国の人が何とかすればよいことでしょう。
しかし、他国の人に向かって、まるでそれが道楽のように熱情を発散させることは許されるものではありません。
一方で、外交は戦争なのだなどと言いつのるのも、自分たちで処置できなくなった他国の為政者の過剰な熱情を煽りたて、道楽の満足感をいや増すお手伝いをしていることになるので、ほどほどにしてもらいたいと思うのです。
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