・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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教える側の論理が覚えるに邪魔

2013年11月29日 | つぶやきの壺焼

あるFAQに日本語という名のカテゴリーがあって、そこには、種々雑多な質問が寄せられます。
なかには、日本語の熟語を示して、他国語に訳すとどういう言葉になるかという、見当違いの質問も出されます。結果を知りたいのなら他国語のカテゴリーで、とは思いつかないようなのです。
他国語のカテゴリーでは、該当する他国語で質問しなければと思っているのでもないとは思いますが。

目立つのは、何か言葉を持ち出しての「これは文法上正しいですか」という問いかけです。
助詞の使い方や動詞の活用なら、文法上の正誤判定や説明も成り立ちますが、文法にはまったく無関係の言葉の断片を指して「文法」を確かめたいというのです。

おそらく、質問者は日本語の学習が少し進んだ外国人の方で、言葉の勉強はまず文法からなどと講師から聞いた言葉が耳にこびりついているのでしょう。


言葉を教える場合、文法の話をすれば、さも論理的な優れた教育であるかのように受け取られやすいので、先生は文法、文法を繰り返すのかもしれません。

文法は教える側に都合のよい論理で、日本語の文章の良否を判定するための規則ではないなどと、考えてはならないとされているのかもしれません。

教えられるほうにとって、いい迷惑であることにはあえて気付かない、それが言葉教育の要領としていきわたっているのでしょうか。

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