「こころをこめました」というキャチフレーズがあります。
CMにときどき現れます。
こころをこめるのは、することであって、言うことではないかというと、そうでもなさそうです。
あの人のすることにはころろが込められている、と言う場合には、抽象的表現として普通に聞きとれます。
抽象的表現はよくない、具体的がよいというのは、ステレオタイプと呼ばれる思い込みです。
抽象的表現はよくないのではなく、失敗が多いということでしょう。
自分のしたことが、具体的に言ってしまうとたいしたことがなく、しかたなく抽象的に「こころをこめました」と言っておくのは、どこかしらじらしく聞こえます。
やはり実態の裏付けがないという弱さがにじんでしまう、抽象的表現の失敗例です。
ひとのためであれ、自分のことであれ、こころをこめたとわざわざ言われると、こめないのと同じに聞こえます。
「こころをこめました」という言葉は、何でも言われなければわからない鈍感人向けの、グローバル語なのかもしれません。
むかし時計の分解掃除で「きれいにしておきました」と渡された時計が、1年で止まってしまったことを思い出しました。
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