再エネという略称をときどき耳にします。
言葉の調子だけは、はやって消えた省エネを受け継いでいるようにも聞こえますが、再エネと省エネとはベクトルの方向が逆のことがらです。
省エネは、エネルギーをなるべく使わないようにすることでしたが、それではどうも具合が悪そうなことに気づいた産業界は、方向転換を迫られました。
使わない方向から使う方向への転換ですから、そこには工夫が要ります。
何かを考えるときには、仮想であれ現実のものであれ、対立軸をもうけるとまとまりやすいものです。
エネルギーを「使う」対立軸には、幸か不幸か原発という大物が浮かび上がりました。
すでにあるものを「使わない」、再稼働させない、これが天秤の向こう側にどしっと構えたので、「使う」ほうはいろいろな手段を持ち出しやすくなりました。
いくら数を増やしてどんどん積み上げても、天秤がこちらがわにどすんと傾く心配はありません。
再稼働に対立するもの、「再」の対立概念はむずかしいので、「稼働」に目が向きます。
「稼働」には「停止」、しかしそれでは「使う」ことにならないので、「生成」に向かうことになります。
再び生成する「再生」と言いたいところですが、太陽光も風力も潮力も、それを使うことがは「再生」とは言えません。
まさか自然のエネルギーを新生させたとは言えないけれども再生で勘弁してもらおう、そういう人間のテキトウな配慮に苦情が出ることはありません。
名づけてはみたが何となく気が引ける「再生エネルギー」、それを縮めたようなふりをして「再エネ」にし、実際とは違う「生」を取り除いてしまえば、熟語内部での意味は破たんしても、一つの言葉になってつながりが出れば大きな顔をして通れるという、言葉の世界のいい加減さが、問題を具合よくおさめてくれています。
ところで、珍奇熟語の「再エネ」には、もう一つ珍奇な現象がぶら下がっていました。
それは、承認だけ受けて、実際の発電装置建設には手をつけない事業者がいるということです。
風力は空気の動きから得るエネルギーですが、再エネの無着手発電はどういうのでしょう。
発電するふりだけのエア発電とでもいうのでしょうか。