有言実行などと、中学生のクラブ活動のようなキャッチフレーズをばら撒いておきながら、その実は幽言先送、とにかく何でも先送りにしてしまう人がいる。
そういう人が要職に就いている組織に属する人々はまことに不幸である。
言葉が肝心なときに出ず、ほかの動作で間に合わしてしまうことはままある。
手まね、目配せでも、通じるときもあるのだが。
車をいったん停止して横断を譲るとき、プップーとクラクションを鳴らす人もいる。
「さっさと渡れ」と言われているようで有難くない。
この方法は、眼の不自由な人には通じない。危ないぞという警笛にも聞こえる。
窓を開けて「お先にどうぞ、渡ってください」とのひと言が出てこないのである。
車というものは、車内外を遮断してしまう。
車の運転中は、外の人とかかわりたくなくなる。
自分のリズムに合わない者はみなバカヤローに見えてくる。たびたびそう叫びながら運転する人もいる。
降りれば人が変わる。乗るとまた変わる。
自動ブレーキよりも、運転者の心を和ませるような装置を積んでいるのがこれからの新しい車なのではないか。
エゴからエコへ、エコから笑みへ、まだまだ車の開発のタネは尽きない。