役所の会館の会議室に、来年度の小学校教科書見本をまとめて置いてある。
それを見ながら教育レベルの話が出て、ひところ騒がれた円周率=3も話題になった。
そこでふと思ったのは、円周率が3でいいではないかと言われたのは、教育レベルのことではなく、ギャグあるいは比喩の理解度の問題ではないかということである。
数学教育にだいじなのは、正確な計算だけでなく、数理的な頭の働かせ方であって、ときには円周率が3.14でなく3でもいいではないか。
詳しくは知らないが、あの発言者はそういうつもりで言ったのではなかったのかと想像する。
円周率を3にと聞いたとき、ギャグの理解度が浅ければ、いったい何ごとかとなってしまう。
前後の話などそっちのけで「円周率は3でいいと論議された」と報道され、先生たちも頭に来て大騒ぎ。そんなことではなかったのか。
ギャグの理解度こそ文化の程度をあらわしやすい。
「水が汚いので石鹸でお洗いなさい」ということばに、そのとおりにする人、ばかなことを言うと笑う人、言った言葉だけを取り上げタネにしてその国の文化を笑う人、そうですねハハハと笑顔で答える人、ギャグの理解度はだれがいちばん高いだろうか。
それを見ながら教育レベルの話が出て、ひところ騒がれた円周率=3も話題になった。
そこでふと思ったのは、円周率が3でいいではないかと言われたのは、教育レベルのことではなく、ギャグあるいは比喩の理解度の問題ではないかということである。
数学教育にだいじなのは、正確な計算だけでなく、数理的な頭の働かせ方であって、ときには円周率が3.14でなく3でもいいではないか。
詳しくは知らないが、あの発言者はそういうつもりで言ったのではなかったのかと想像する。
円周率を3にと聞いたとき、ギャグの理解度が浅ければ、いったい何ごとかとなってしまう。
前後の話などそっちのけで「円周率は3でいいと論議された」と報道され、先生たちも頭に来て大騒ぎ。そんなことではなかったのか。
ギャグの理解度こそ文化の程度をあらわしやすい。
「水が汚いので石鹸でお洗いなさい」ということばに、そのとおりにする人、ばかなことを言うと笑う人、言った言葉だけを取り上げタネにしてその国の文化を笑う人、そうですねハハハと笑顔で答える人、ギャグの理解度はだれがいちばん高いだろうか。