遠く海を臨む畑の道で、「川の流れのように」を口ずさむ。
散歩道は、曲がりくねっているのがよい。
畑のかどに立つ、龍の姿を思わせるような木。
この畑の持ち主は龍夫さんという名ではないかなどと、いらぬ想像にまで及ぶ。
もう何週かすれば、芽を吹いてやるぞ、そう意気込んでいるような、小枝の生気。
永田町のみなさんにも、これぐらいの元気が欲しい。
沈む日に向かって歩いていると、小さな畑の覆い網が眩しい。
虫は入れても、鳥は入れない。
虫は一度引っかかっても、うまくつかまえれば入り込める。
そのときつかまえるのは虫のほうで、網が虫をつかまえるのではない。
掴まえると、捕まえるの違い。
発音がまったく同じでも、普通の国語を知る日本人なら、この違いはすぐわかる。
説明はいらないだろう。
横文字人種にこの違いをわからせるのは、容易なことではない。
論理的であることが、最上の情報伝達方法であると思い込んでいる人たちには通じないことがいくらでもあるのだ。
これは、幻惑でもなんでもない。
畑道には車の折り返し場所がいる。
駐車場と名づけるほどでなくても、農作業の間、車を寄せておく場所がいる。
丘の斜面の畑では、そういう場所を作るには、工夫がいる。
丘の畑には、洪水の心配はない。
かわりに、ほかのいろいろなことが、いる、いる、いると押し寄せてくる。
自販機の前に立って気づいた。
冷たいお茶は大きなボトル、温かいお茶は小さいボトルで売られている。
今は冬、暖かいほうがよく売れると思うのだが、売れそうなほうの入れ物が小さいのはなぜか。
ポケットに忍ばせて懐炉代わりにするには小さいほうが都合がよいからだろうか。
S社に尋ねてみたら、やや肩すかし気味の回答が来た。
「ホットの 500 mlペットボトルは、飲み終わるまでに冷めてしまうということもあって販売していない」
見事はずされたが、ヒントはつかめた。
そうか、大きいボトルは飲み終わるまでに冷めてしまうから、温かいお茶は小さいボトルがよい、ということだったか。
「桜の咲く時期にススキは穂を出すか」とクイズを仕掛けたら、「クイズにするくらいだからアリだろう」とすぐ見破られてしまった。
「それはパンパスよ」という正解も飛び出す。
パンパスグラスは別名シロガネヨシ(白銀葭)、ススキはカヤ(萱)、葭と萱は違う植物だった。
「南米大陸の草原(パンパス)に大群落を作って生育している」と、どこかに書かれていたが、pampas は西日翻訳検索に引っかからない。
あのスルスルと滑らかな穂は、簡単にはつかめないものらしい。
古いタンゴが聞こえてきた。
"Adios pampa mia"
赤い旗が見える。
「しんぶん赤旗」という日刊の政党機関紙があるが、いまの通称「赤旗」はもとは本名だったらしい。
その赤旗とはまったく関係のない赤い旗である。
赤い旗さしものは目に付きやすい。
山下又右衛門という旗本は、真っ赤な旗を立てていたそうである。
↓
http://homepage1.nifty.com/akazonae/second/naomasa/sasimono/sasimono.html
冬の陽、それと反対方向の風に、赤い旗はなびいていた。
海岸に沿った遊歩道に、赤い自転車が置いてある。
乗り捨てではないと思う。
どんな人が乗ってきたのだろうか。
白いブルゾン、白いパギンス、真っ黒な長めのストレートヘア、赤いフレームのサングラス。
自転車の姿態に釣り合った、すらっとした人を想像していた。
現れたのは、ジャンパー姿のおじさん、いや、おじいさん。
そして紙袋を荷箱に投げ込んだおばあさん。
これで二人乗りか。違うだろう、じいさんが先に帰って茶でも沸かして待つのか。
畑の間に作られている知らない道を歩くのは楽しい。
目の前に急に何かが現れるから。
花も、新緑も、まだまだだが、想像はできる。
曲がった道の向こうには、まだ行ったことがないから、想像はむずかしい。
道を歩いていてひょっと足元を見ると、排水枡のわきに苔が生えている。
撮ったときは気づかなかったが、苔と、歩車道両側の枡のふたの模様の組み合わせが、錆びかけた弱めのガードレールも手伝って、何か奇妙に見える。
苔、二つの枡、ガードレール、そのどれがなくてもこの奇妙な画面にはならない。
ものには、それぞれの役割をもったものも、役割をもたないものもあって、それらが一緒になると、おのおのの役割とはまったく無関係で無用なのだが、役でない何かが生まれてくる。
人の集まりもそうなのだろう。役立たずとか、邪魔者だとか、そこにいる人を役目や価値勘定だけで見てはいけないのだ。
新進気鋭と旧態依然。
ただ文字を並べれば、新しいほうが良く見える。
新奇と旧弊。
これはどちらがどうともいえない。
新参と旧知。
信用度は、旧のほうに勝ち目がありそうだ。
新旧は並べるから目立つので、それだけでどちらが良いというものではない。