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・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

眩しい

2011年03月04日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

沈む日に向かって歩いていると、小さな畑の覆い網が眩しい。

虫は入れても、鳥は入れない。


虫は一度引っかかっても、うまくつかまえれば入り込める。

そのときつかまえるのは虫のほうで、網が虫をつかまえるのではない。


掴まえると、捕まえるの違い。

発音がまったく同じでも、普通の国語を知る日本人なら、この違いはすぐわかる。

説明はいらないだろう。


横文字人種にこの違いをわからせるのは、容易なことではない。

論理的であることが、最上の情報伝達方法であると思い込んでいる人たちには通じないことがいくらでもあるのだ。

これは、幻惑でもなんでもない。


折り返し

2011年03月03日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

畑道には車の折り返し場所がいる。

駐車場と名づけるほどでなくても、農作業の間、車を寄せておく場所がいる。

丘の斜面の畑では、そういう場所を作るには、工夫がいる。


丘の畑には、洪水の心配はない。

かわりに、ほかのいろいろなことが、いる、いる、いると押し寄せてくる。


冷温選択

2011年03月02日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

自販機の前に立って気づいた。

冷たいお茶は大きなボトル、温かいお茶は小さいボトルで売られている。

今は冬、暖かいほうがよく売れると思うのだが、売れそうなほうの入れ物が小さいのはなぜか。

ポケットに忍ばせて懐炉代わりにするには小さいほうが都合がよいからだろうか。

S社に尋ねてみたら、やや肩すかし気味の回答が来た。

「ホットの 500 mlペットボトルは、飲み終わるまでに冷めてしまうということもあって販売していない」

見事はずされたが、ヒントはつかめた。

そうか、大きいボトルは飲み終わるまでに冷めてしまうから、温かいお茶は小さいボトルがよい、ということだったか。


桜とススキ

2011年03月01日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

 

「桜の咲く時期にススキは穂を出すか」とクイズを仕掛けたら、「クイズにするくらいだからアリだろう」とすぐ見破られてしまった。

「それはパンパスよ」という正解も飛び出す。

パンパスグラスは別名シロガネヨシ(白銀葭)、ススキはカヤ(萱)、葭と萱は違う植物だった。

「南米大陸の草原(パンパス)に大群落を作って生育している」と、どこかに書かれていたが、pampas は西日翻訳検索に引っかからない。

あのスルスルと滑らかな穂は、簡単にはつかめないものらしい。

古いタンゴが聞こえてきた。
"Adios pampa mia"

 


赤い旗

2011年02月28日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

赤い旗が見える。

「しんぶん赤旗」という日刊の政党機関紙があるが、いまの通称「赤旗」はもとは本名だったらしい。

その赤旗とはまったく関係のない赤い旗である。

赤い旗さしものは目に付きやすい。

山下又右衛門という旗本は、真っ赤な旗を立てていたそうである。
                                ↓
http://homepage1.nifty.com/akazonae/second/naomasa/sasimono/sasimono.html

冬の陽、それと反対方向の風に、赤い旗はなびいていた。     

 


赤い自転車

2011年02月27日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

海岸に沿った遊歩道に、赤い自転車が置いてある。

乗り捨てではないと思う。

どんな人が乗ってきたのだろうか。


白いブルゾン、白いパギンス、真っ黒な長めのストレートヘア、赤いフレームのサングラス。

自転車の姿態に釣り合った、すらっとした人を想像していた。


現れたのは、ジャンパー姿のおじさん、いや、おじいさん。

そして紙袋を荷箱に投げ込んだおばあさん。

これで二人乗りか。違うだろう、じいさんが先に帰って茶でも沸かして待つのか。


苔むす

2011年02月25日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

道を歩いていてひょっと足元を見ると、排水枡のわきに苔が生えている。

撮ったときは気づかなかったが、苔と、歩車道両側の枡のふたの模様の組み合わせが、錆びかけた弱めのガードレールも手伝って、何か奇妙に見える。

苔、二つの枡、ガードレール、そのどれがなくてもこの奇妙な画面にはならない。

ものには、それぞれの役割をもったものも、役割をもたないものもあって、それらが一緒になると、おのおのの役割とはまったく無関係で無用なのだが、役でない何かが生まれてくる。

人の集まりもそうなのだろう。役立たずとか、邪魔者だとか、そこにいる人を役目や価値勘定だけで見てはいけないのだ。


幻惑視点

2011年02月24日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)
ものごとは見方によって受け取り方が変わる。

日本の道路は多いのか少ないのかを、他国と比べた論議がある。
多いか少ないかは日本の国の中の問題なのだから、よその国と比べてどうこう言うのは視点のすり替えなのだが。
外国人によく思われたい、観光客を増やしたいというのであれば、観光招致の価値のあるところだけ取り上げて比べてみればよい。

可住地面積あたりの道路密度が、日本は他国に比べて大きいなどという、滑稽千万な論にもならないことを、道路予算削減の理屈に持ち出す人もいるらしい。

自動車保有台数と比べたデータもある。
まあ可住地面積を引きずり出すよりはましだが、これも論争用の効果しかない。

道路新設の要否は、その地域、周辺地域、さらに広範な地域、国全体、空港・港湾との接続、道路混雑の出現度、渋滞による生産流通の阻害度など、多元解析のもとに論じられなければならない。
ただ1面だけの見方で仕分けを論ずるなどは、芝居面で人を判断するのと変わりはない。

こういうことがらを検討するには、利害感情を持ち込みやすい人を参加させてはならないのである。


風化

2011年02月23日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)
金属には疲労破壊という現象がある。
試作品は、穴あけにレーザーを使い、構成材を傷めずに仕上げても、本番では、プレスでドンドコ穴をあけるので、穴の周りに目に見えないひびが入り、そこからだんだん壊れてくる。
そんなことはあちこちにあるだろう。



石材には風化という傷みが起こる。
永い年月風雨にさらされると表面からボロボロ崩れ落ちてくる。
石の壁も、海に面したほうから、しかも水の溜まりやすいところから崩壊が始まるように見える。

構造物は、[1]加工のときに無理をしないこと [2]使う場所で水はけ水切れをよくしておくこと、この注意だけで寿命がずいぶん違ってくるのではないか。

誘導

2011年02月22日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)
駅のホームから転落した経験を、目の不自由な方の半数がもっておられるとラジオで言っていた。
ひとりで電車に乗って出かけられるぐらいだから、目が普通に見えてボヤっとした人よりは余程神経が研ぎ澄まされておられると思うのに、半数とはいかにも多すぎる。


ホームにはここから前に出ないでくださいという警告用点状ブロックが埋め込まれている。
しかし、ここをお通りなさいという線上ブロックは見当たらない。
目の不自由な方が標識に頼るとなると、ホームの端に近い点状ブロックしかない。
これでは、危険ですという境界線を通路に見立てて、方向を察知するしかないではないか。
おまけにホームの最先端には、溝が刻み込まれたコンクリートブロックがずっと続いている。これが線状誘導ブロックと勘違いされることはないのだろうか。

ホームの構造について、目の不自由な方に現場で実際に歩いてもらって意見を聞いてみたのだろうか。
目の普通に見える者が集まっていくら想像をめぐらせても、目の不自由な方の感覚を体験することはできない。
目隠しをしたぐらいでわかることではないのだ。

リサイクル

2011年02月20日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)
ものを作るとき、これでよいという作り方もあれば、これならよいというのもある。
もう少し程度が下がって、これぐらいでよいのいうのもある。

リコール騒ぎになるのは、これぐらいでよいとしておいたものに多いのだろう。
家電や車にはこれぐらいでよいが多い。

洗濯機の脱水の力が弱くなったと、家の者がこぼす。
糸くずフィルターというのが槽の中に2箇所ついていて、網の袋に毛くずが溜まるようになっている。糸くずフィルターという名だが、洗濯中に繊維からはずれていくのは、糸より細かい毛状の繊維くずが多い。

脱水力低下は溜まった毛くずのせいだった。
この糸くずフィルターが「これぐらい製品」で、掃除するために引き出そうと思ってもなかなか出てこない。
どういう力の入れ方をしたのか、こじ開けたのかわからないが、フィルター・カバーをはずそうとしたら、上端でカチッととまる部分が壊れてしまったという。

Webで手に入るから補給は簡単だが、そうたびたび壊されてはたまらない。
実際にやってみると、確かにばね部分を下に押し下げながら手前に引き出さなければならないので、指の力がなくなってきた老女にはこれは難儀なことなのである。

力不足の指先を助ける道具を作ろうかと思い立ち、出来上がったのが写真のものである。
カーテンつり金具のあまっていたものの先を、フィルター・カバーの把手に合うように削って、古歯ブラシの柄を切って取り付けた。

捨てようかと思っていたものがまた息を吹き返した。
こんなのはエコでもなんでもない、ただのリサイクルの実践である。