本日8月3日である。
7月27日に書いたものを投稿する。
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7月23日 愛知大教会の7月の月次祭が執り行われた。
神殿講話に当たっており、何を話そうかと、ずっと悩み続けていた。
数日前に、教祖のひながたについて話そうと、決心をした。
題を決めたは良いが、どのように話すかがこれまた問題である。
考えたあげく、天理教事典の「ひながた」をテキスト化して、それを読んで話をする事にした。
この「ひながた」には、おさしづが引用されている。
このおさしづだけでは。またおさしづに少しでも触れてもらいたいと、このおさしづ全文を1ページにつけた。
そして、教祖のひながたは50年であり、月日のやしろとなられる以前と、それ以後を比較し、またそれ以後ひながたがどのように変わって行くか分かるようにと、年表を作った。
全部で8頁の資料になった。
参拝者全員に配り、これを見ながら進めた。
どれだけの時間がかかるかもわからず、もし時間が足りなければ、あとでゆっくり見て考えてもらえたら良いと、そんな思いで作った。
天理教事典「ひながた」を読みながら解説して、15分ほどかかった。
おさしづ全文では、ひながたは教祖ひながただけではない事だけを「大工」という言葉から話をした。
そして、年表では、月日のやしろとなられる前の事柄と、それ以後では、親神様の神命に沿って通られたところが一番違う事を強調して、不思議なおたすけが現れるようになって、お米をお礼に持ってこられた逸話があるが、その後も貧のどん底であった事など、年表から分かる事を大まかに話しした。
それ以外にも細かく話せば切りがないので、今教区支部で輪読勉強会が行われていますが、教会で、これを皆さんと呼んで、思ったことを話し合うだけでも勉強になると思いますとこれに関しては終えた。
これで大まか30分弱で、これではならんと、私がこのコロナの少し前に体験し、このコロナ禍で体験した不思議な話をして、終わりにした。
講話を終えて、多くの方から「今日の話は良かった。良くあんな資料を作ったね。」とお褒めの言葉を頂いた。
前例ない、神殿講話が無事に終わった。
ほっとして、教会へ帰ると、長男がのどが痛い、咳が出るとの事。
早速おさづけをさせて頂くと、すぐに熱が下がった。
ところが、次の日24日、日曜日また、熱が上がったとの事、夕方今一度おさづけをさせて頂く。
25日、月曜日は早朝からアルバイトで出かけた。
午前中で仕事が終わり、夕方から健康診断の予定となっており、その間の時間が空くので、大教会の神殿掃除に出かけた。
その間に連絡が入り、長男は朝また熱が上がったので、夕方に病院へ行きコロナ陽性だったとの事。
さらには、その夜になって妻がのどが痛い熱っぽいと言いだして、救急診療で見てもらったところ、これまた陽性。
様々な所へ連絡を取り、教会は一時休業、子供たちも学校や仕事を休むことになった。
26日、食事や洗濯など様々な雑用をこなして、今朝になると、私も熱っぽい、37度を越した。濃厚接触者なので、こんな帰会は無いと、イベルメクチンを処方していると言われる愛知医科大学病院へ行って、PCR検査のみして来た。
保険適用外という事で、PCR検査が陽性の場合、イベルメクチンを処方してくれるとの事である。
驚いた事に、私の酸素濃度が96%ぎりぎりだった。何度も指を変えて測り直して、ようやく96%の値が出てうちへ帰ることが出来た。
明日PCR検査の結果が出次第、どのような対応になるかである。
今の規定では、濃厚接触者も5日間元気で熱も出なければ、職場にでれると初めて知った。
後の子供たちは皆元気である。
認証されていない薬の説明を聞きながら、試す事の重要性を思った。
教祖のひながたに、おびやためしがある。
教祖ご自身、月日のやしろになられた時は、腰の痛みを持っておられたと思うが、その後病気になられたという事
そうした中、一命も落としない流産を、自分自身の身に体感され、親神様に凭れて居れば、何心配する事も無いという事を、体感されたわけである。
その上で、おびや許し、その他不思議なお助けを現されている。
これも順序ではないかと思った。
誰もが、何事もない事を願う。しかし、何事もなければ、親神様のお働きも分からないのである。
世界では、親神様のお働きを分かる人は少ない、しかし、薬の効能は分かりやすいはずである。
少しでも良い薬で、たすかる人がありますように、と思う。
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