8日はご本部の神殿奉仕だった。
先月よりも参拝者がずっと少なく感じた。
しかしその中でも、回廊拭きをされる方などがあり、別席者をお連れしているような姿も見受けられ、またおさづけの拝戴も行われていた。
それぞれに御守護を願ってつとめておられると思った。
今月は5人近くの方が、新型コロナの影響から欠席となり、着座の回数が増えて、着座から着座の間が1時間しかなかった。
これまではおおむね1時間半の間があった。ましてや食堂が改修のため、第1食堂へ行くこととなっていた。
1時間半の時には、こんなに間を開けなくてもと思った時があったが、いざこの状態になるととても大変な事が身に染みた。
ゆっくりと教祖殿・祖霊殿と回る時間も、少し用事をすると無くなってしまうのである。
永年神殿奉仕がつとめてきた中に、無理なく勤められるようにと配慮された人数であったのだと痛感した。
今回は、北礼拝場の西と西礼拝場の北に座る事が多かった。8回の内4回ほどがその場所だった。
ある先生が「かんろだいがまっすぐ立っていない。ずれている。」と言われた。
以前から、かんろだいがずれている事は分かっていた。
木製なので、水をかければ膨張し、乾けば伸縮をするのである。
かんろだいは常時、雨風を受けているのである。
それを繰り返せば、木は変形する。
変形すればずれてもおかしくはない。
それを、「絶対にずれてはならない」としては、それこそ無理を強いているようなものである。
また、同じ当番で大工をしている先生があり、その方に尋ねると「雨ざらしなのだから、変形することや破損する事はどうしようもない事」と言われた。
そして「5分の丸いほぞでしかつながっていないに、倒れないのが不思議なくらいだ」とも聞かせてもらい、
「今日は北東へ傾いているよ」と教えて下さった。
今回多く座った北西から見ると、傾きが良く分かるのである。
これまでこんな傾きは見た事がなかった。
そして、先日調べていたおさしづの中に、「かんろだいを立てねばならぬ時が来る」という意味のお言葉がった事を思い出した。
今はひながたかんろだいである。
本当のかんろだいは、石造りである。
先日の「おふでさき」にあったように、一列という人の心を澄をすまして、かんろだいを建てたい。
そして証拠をもって、世界を陽気ぐらしに立て替えたいというのが親神様の望みである。
証拠というのは、人知を超えた不思議な働きである。
それを求めるならば、一列という人が心を澄まさなければならい。
それが誰かは特定できないが、親神様のお話しを聞いた人であることは確かだと思う。
という事は、他人事ではないのである。
不思議を求めるならば、自らの心を澄ますように努めなければならないのである。
まさしく「一列澄まして かんろだい」なのである。
他人事にしていては、助からないのである。
「一列澄ます かんろだい」から「一列澄まして かんろだい」に変えられた事を、「神様の模様替え」と当時の人々は言われていた。
そして、その具体的な事は、かんろだいを建てて、そこへ平バチを乗せて、おつとめをつとめて、そこへ降った甘露を、教祖から人々に授けようというのが当初の計画であった。
その甘露を頂くためには、誠の心でなければならない。
だから、人々は甘露を頂くために誠の心へと変えるだろうとされた。
「おやよりこころしだいに」と「おふでさき」にあるのがそれであるのだが、ところがこの誠の心の者があまりにも少なすぎて、渡せない。
また、誠の心になればもらえると思って、誠の心になる努力をするだろうと思っていたところが、そうではない。
そこで、一つ道を変えられた。
と私は調べたり、当時聞いた口伝の話などから、そのような思いが心にあったのである。
そして、「一列」というのを、「世の中すべての人間」と思っていたので、かんろだい建立は夢のまた夢というような気持でいた。
しかし、先日の「おふでさき」から「一列」が世界中の人間ではない事がはっきりした時。
心の靄が晴れた。
問題はおさづけを戴いている人々、話を聞いている人々の心が澄み、誠の心を使えるようになる事であると思えたのである。
誠の心とは、ウソ追従をいわないしない心である。
口と心と行いが揃う心である。
人を助けたいという心である。
「傾いたかんろだい」を見ながら、
本当のかんろだいになるのはいつなのかは分からないが、その日のために、自分自身の心の研鑽を重ねる事を思ったのである。
また、
『復元』をグループで順次公開しているが、なかなか進まず、嫌気がさして来ていたところでもあった。
ところが、ある大教会長さんから「初代真柱様の教祖御伝を以前書換えたのだが、分からない字があって完成できていない」と声を掛けてもらっていた。
初代真柱様の教祖御伝は『復元』33号に掲載されているもので、実物を写真で掲載されたものである。
私も解読を試みた事があったが、全く分からず、放置したものであった。
それを頂くと共に、これまでスキャンしたデータをお渡しした。
やりたいことは沢山あるが、体と心がついて行かない。
しかし、御守護頂きたいと思い定めた心は折らないように、親神様のお導きのままに頑張ろうと、これまた、思ったのであった。
また長くなったしまった。
最後まで読んでくださった皆様ありがとうございました。
何かの参考になれば幸いです。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りくださいませ。
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