新型コロナが蔓延しだして、約1年となる。
うちの月次祭は、さほど変わらない。マスクをつけて、直会が直会に出すものを詰めたお弁当になったぐらい。
しかし、大教会はだいぶん変わった。
今年になるまで、役員と直属教会長夫妻だけでのおつとめとなり、準備片付けもすべてその者で行うようになり、お昼もおにぎりとパンをお供えして、それをそれぞれが持ち帰る事となった。
これによって、これまでの準備片付けのひのきしんは教会割り当てであり、その当番に当たった会長夫妻は、信者さん方のお世話と自分たちの用事とで大変だった。
それが、全直属教会長夫妻で行うので、とてもお早く、そして和気あいあいとして行える。
個人的にはとても親睦が深まり良い雰囲気になったと思っている。
準備片付けを全員で行うので、行き届かないところなどについても相談が出来、撤饌・閉扉まで全員で行う事となった。
一旦すべてが止まったお陰で、これまでの習慣で疑問に思っていた事を相談して変更する機会をお与え頂き、再生する一歩を踏み出しているように感じている。
この形に、今年から部内のおつとめ奉仕者と一般の参拝者が加わっている。
大教会の創立130周年記念祭は、今年5月29日である。
おつとめ奉仕者と、参拝希望者のみの祭典・おつとめのみと決まり、その段取りを進めている。
真柱様方には、この時勢なので、ご臨席はご辞退したと、今月の役員会議で発表があった。
また、来賓も客間が狭く、大勢は入れないために、世話人と、愛知の親教会となる山名・名京の大教会長様のみとなった。
参拝希望者としたのは、感染予防と感染者が出た場合の追跡調査のためである。参拝希望者は所属教会から事前に名簿を提出してもらい、指定された場所での参拝を予定している。
今までと同じではならない。これまで気づかなかった事に気づき、変えて行くことを親神様は求めておられると思う。
10年前の創立120周年は、写真展を行った。そしてお楽しみ行事も演劇・模擬店など、記念祭間近になってどんどんと決まって、当日はとてもにぎわった。
今年はそうしたことは出来ないが、記念品と共に配布するリーフレットは良いものが出来ると思う。
当日と後日に教会を通して記念品と共に配布される予定である。
人間は、五分五分と成人して今日まで来た。姿も虫鳥畜類と変化して今日まで来た。
次は心である。導かれる子供から、自立する成人へ、そして子供を育てる親へと変化しなければならないと思う。
動物は本能のままで親としての子育てをするが、人間には知恵がある。
自分一人だけ、自分の子供だけ、自分の思いだけから、周囲の事も考えて共に暮らすことが出来る心へと変化をしなければならないと思う。
たすかりたいだけの心から、たすけたいという心へ変わる事も同じである。
こうした変化は、一人だけが変わっても世の中は良くならないのである。多くの人が変わってこそ世界が良くなるのである。
そのためにはどうしたらよいか。そこが分からない。悩むところである。
世界情勢も混とんとしている。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。
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