2月12日 2月の月次祭が無事に終わりました。
土曜日という事で、祭典前に、部内の後継者の方が奥さんを乗せて参拝に来てくださいました。
その時に、会長になるために検定講習へいく予定を話してくださいました。
心定めて下さっていますので、あとは親神様・教祖のお導き次第です。
昨年の10月の大祭をはじめとして、来て下さっている信者さんの講話が2巡目をしました。
講話と言っても、何でも思う事を話してくださいとして、3名の方が順番に話しをして下さっています。
そして、今回話をして下さった事で、なるほどと思ったことを記しておきます。
それは、「お出直し」という事についてです。
今回、何を話そうかと書類を見ていたら、お屋敷の案内のパンフレットを見つけて、読んでみたところ、これまで考え違いをしていた事があったと話をして下さったのです。
それが、出直しという言葉でした。
「出直し」は「死ぬ」という言葉だけと思っていたところ、お屋敷案内の「教祖殿」の説明を読んで、体は着物のようなもので、生まれ変わるという事から「出直し」という事だと分かったという事でした。
修養科を若い時に出られた方でありましたが、なるほどと思いました。
つまり、天理教の話は、講話を聞くという事が主であり、自分から話すという事は、おたすけをする人以外はあまり無いのである。
自分から話すという事は、自ら調べて自分で考えなければならないのである。
これをせず、ただ聞くだけでは、自らの心にしっかりと入る事は無いと思えたのである。
自分を顧みても、話すようになって、話している事をより深く理解する事が多いのである。
本来、おさづけを取り次ぐ時には、かしものかりもの・八つのほこりなどのお話を取り次ぐことをしてから、行うと仮席で話をされるのである。
だから、別席を運ぶためには、まずその試験があった。
今はそれがない。
ともかく取り次ぐことのみを推奨している。
こうした事は、仏教が小乗仏教から、大乗仏教になった経緯と似ていると私は感じている。
ちょっとニュアンスは違うが、
つまり、ドンドンと簡略化して行き、安易に人を寄せることばかりに方向が変わっていくと思うのである。
これは、高校や大学が学生を確保するために、本来の目的とは違って安易に学生に合わせてカリキュラムを変更して、学力なり研究の制度が下がって行く事と重なるように思えるのである。
先ほどの別席を運ぶための試験は、沢山の人が長づけを求めて寄る中、選別をする目的があったはずである。
それ以前は、教祖が心を見定めて、その人に身上などの印を見せて、引き寄せておさづけを渡されたのである。
こうした事をしっかりと心においておかねばならないと思う。
今回、信者さんに講話を勧めたのは、このコロナでも、おつとめだけはと、心定めて来て下さる方だけとなった中に思い立った事である。
これからどうなっていくのか楽しみでもある。
今、コロナ禍で、コロナでの心の見定めもあるが、ワクチンによる心の見定めもあると私は思っている。
すべては心通りの守護である。
事情身上はすべて、心の入れ替え、建て替えのための親神様からの手紙である。
親神様はどんな御守護もされるのである。
すべては、陽気ぐらしを味わい、陽気づくめの世界を実現するためのステップに過ぎない。
インターネットやテレビ、新聞などの情報、また周囲の方々の言動や姿から、人間のさまざまな心を感じ取ることが出来る。
そのような心を親神様は見定めて、陽気ぐらしへと導いておられると思う。
親神様のお望みは、誠真実である。
今日は13日、大教会への月次祭のお礼、お下がり配りと共に、夫婦で3女をおぢばまで迎えに行った。
今回のコロナ、ワクチンに関して、裁判が始まり、それの冒頭陳述の動画が和訳されていた。
裁判の結果がどうなるかは分からないが、マスメディアや政治が隠している事がこれによって明らかになったと思っている。
【COVID裁判】大陪審、世論裁判所 - Reiner Fuellmich博士の冒頭陳述「ランブル」記録|きたろう|note
政治家のみならず、医者も薬も信用できない時代へとなっていく可能性もある。
今日も一日ありがとうございました。
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