今日は、「教祖のひながた」「万人のひながた」について考えて見たい。
私のブログには、出来るだけ教祖当時に近い資料、本部から出されている資料をあげている。
これは、教祖ご在世当時の様子を知るためには欠かせないからであり、話は人を介せば介すほど変わっていくもの、そして本部の変遷を考えるためには必要と思うからである。
手っ取り早く理解しようとして、解説書を読む人が多いわけだが、解説書はその人の主観が入ったものである。
その人の理解が違っていたら、違った方向へと導かれてしまうのである。
これを考えた時に、解説書はあくまでも、自分の考えをまとめたり、悟るための参考に過ぎないのである。
これを元にしなければ、先代を越えて、教祖に近づく事は出来ないと思っている。
また、教祖は親神様である。(これについては以前書いておいた。)
教祖「いざなみのみこと」の魂のお方ではあるが、親神様であり、十柱の守護を持つ神様である。
先代の先生方は、それぞれに個性があり、手ぶりもそれぞれの流儀が出来るほどと聞き及ぶと、十柱の神様の一道具と考えたら、その一つの道具だけを考えていては片手落ちになってしまうと思えたのである。
今の私たちは、多くの書物によって、十柱の神様のそれぞれの教えを学ぶ事も出来るとも思える。(天理教以前の宗教も同じ事のようにも思える)
そうした中に、「教祖のひながた」について、多くの人々は「貧のどん底に落ちきられた」この事のみをひながたと思っていないだろうか。と思える節がある。
また先にも述べたように、教祖は親神様だから、教祖が間違うはずはない。教祖が迷うはずがない。と決めつける人もある。
そうした観点から、教祖のひながたを考える人もある。
そうした時、史実に、教祖が「親神様に尋ねる」と言われた記述があると、ここで考えが及ばなくなってしまうのである。
宮池や井戸に身を投げようとされた事も同じである。
「おふでさき」には、「教祖は親神様だから、言う事を信じよ」と解されるお歌がいくつもあり、それを元にすると、上記のようになってしまう。
更には、かんろだいの石の没収を契機として、おつとめの地歌をかえられた「模様替え」について、万能の親神様が計画を変えるなどありえない。と考えると、これも、理解に苦しむことになる。
私も正直、これらについて悩んだ。
そうした時の事である。
中山みき様に親神様が入り込まれて言葉を出され、それを夫善兵衛様が「みきを神の社に差し上げます」と返答されてから、この道は始まるのであり、その一番初めに行われたのは、みき様が内蔵に籠り、親神様との問答であり、その中での親神様からの思し召しで、家財を売り払いながら、難儀な人々をたすける歩みが行われるのである。
そして、その家財を売り払い貧のどん底へ落ちきられる道中に、宮池や井戸に身を投げようという事が起きてくるのである。
という事に思い至った。
この内蔵に籠られて、親神様との問答をされたという事に気が付いた時に、先人先生方が不思議なおたすけを頂かれた後に、教祖の元へ通われてお話を聞かれた事を思い出したのである。
そしてそのお話を聞く間に色々ない人があり、途中で話を聞きに行かなくなる人もあり、聞きに行こうと思ってもお話を頂けなかった人もあるったのである。
そして、そうした人々の事を思うと、自分の助かったことだけを人々に話をする人、教祖から聞いた話をする人、神様の不思議を見せる人などなどが分かれて来ているように感じるのである。
つまり、ひながたの一番最初は、親神様のお話しを聞く事であり、そのお話し・お言葉に沿って歩もうという心定めが出来るかどうかであろうと思ったのである。
おさしづに「順序」という言葉が良く出てくる。「順序の理」という言葉である。
つまり、ひながたにも順序があると思えるのである。
教祖のお話しを聞かれた先人の先生方の逸話を見ると、入信された頃は「陰徳」を積むためにと、人に見られないところで善い行いをする話がいくつも見受けられる。
教祖が施しをされる話の中にも、わざと物を落としてそれをあなたの物ではないですか。と言ってその人に上げたという話しも見受けられる。
そうした話を考えると、人は良い事をすれば自分の手柄にしたいものであるが、それでは「陰徳」にはならないと教えられているように思うのである。
そうした道中の中に、不思議を見せられ、それでも苦労をされる。
山名大教会史を読むと、
諸井国三郎先生が信仰に入られて、教えを乞うためにおぢばまで通われ、先生方を遠州へと招いて教えを学ばれている。
そして教え通りに心定めて人助けをすればするほど仕事をする時間が無くなり、困窮を迫られるようになる。
その中何とかと思って事業を仕掛けてもうまく行かず、心定めて奥様の内職などで食いつなぎながらおたすけに歩かれたという順序を考えると、教祖の歩まれた道と同じように順序を追って通られていると思うのである。
(時間的には、教祖は25年の長い間貧のどん底の苦労をされたが、先生方はそれだけの時間はかけずに歩まれている)
そう考えた時、自分は教祖のひながたのどの部分を通っているのだろうか。
ひながたのどこまでクリアできたのだろうかと考える事も大切なのではないかと思うのである。
私自身が、この順序に思い立ち、内蔵からと思うきっかけは、「依存症」といわれる心に気が付いて、一から学び直そうと思った時である。
あれから、20年ほど経つが、まだまだ「陰徳」を積む段階でしかないと思う今日である。
そして、教祖のひながたは、人が集まるようになってから、どのように対応されるかという話しになってくる。
人が集まれば、それを妬む人もあり、同じような事をしようとする人々もあり、様々な問題が起こってくるのである。
その問題にどのように対処されたかと考える事も、ひながたを考える一つだと思うのである。
人を育てる事については、お針子を取られた事も、秀司先生に紋付を着て青物売りに行かせられた事などなど、見方によって色々と考えられると思う。
私たちは、自分たちのその時の苦しみを逃れる事ばかりに囚われやすい。
しかし、このように順序の理としてひながたを考えると、その時の苦しみも違って捉えられると思うのである。
そして、このように順序としてひながたを考えると、
教祖は「おふでさき」にあるように、最終的には「何をいうのも考えるのも親神様の心」という段階にまで進まれるのであるが、そうした時に、周囲の人々の成人がとても重要な事も思えてくるのである。
この周囲の人々というのが、我々であり、これから教えを聞く人々だと思うのである。
また、
人間は生まれ変わり出変わりをしている。
この生まれ変わり出変わりをする時に、前生に記憶がないという事も、一つの理である。
前生の記憶がないからありがたいのであるが、その前生を自らが悟り、自らが歩むそうした流れが作られる事が大切なのではないかと、「こうきを作れ」という言葉を考えていて、最近思うようになった。
思うがままに書きました。
何かの参考になれば幸いです。
親神様、教祖。どうぞ大難は小難にとお守りくださいませ。
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