先回の投稿が9月24日で、久々の投稿である。
25日にバイトに出かけて、26日は本部月次祭に参拝させて頂いた。
26日は日曜日で、長男と次男と共に一緒に参拝に出かけた。
雨上がりの中、前半下りの途中に着き、いつものように中庭で参拝をした。
少し濡れたパイプ椅子に、敷物をして座る事が出来た。
寒くもなく熱くもなく、息子たちと参拝っ出来る事を、ありがたいなぁと思いながら参拝させて頂いた。
私はこの数カ月、到着してからおつとめの動画を取って、すぐにFacebookで配信をしている。
帰りたくても帰れない人があるだろうから、そうした人に少しでも今の様子を伝えたい。
という思いからである。
そして、先月は、神殿講話の最初の部分だけも配信した。
私はご本部でライブ配信をしたらよいのではないかと思っているのだが、「ライブ配信をしたらおぢばへ帰る人が少なくなるかもしれないという意見があり、しないと決めた」という噂を聞いたことがある。
うちの教会などは十分な手も揃わず、見る信者さんもないので必要ないが、ご本部ならば世界中に信者さんがいるのだから。。と私は思ってしまう。
「かしものかりもの」の教えでは、心通りにすべてのものを貸し与えられている。だから、病気になるのもならないのもそれぞれのいんねんによるもの、心切り替え・心を澄ますためのお知らせと教えられる。
だから、病気を怖がる必要はないのである。
その病気を判断したり、心をすぐに変える事は難しいだろうからと、その手助けとして医薬を教えられたとされる。
そしてまた、自分だけの助かりを願うのではなく、人の助かりを願うようにと「おさづけ」を与えられた。
この「おさづけ」は自分には使えないのである。
そしてこの「おさづけ」や「御供さん」などで次々を難病の方が助かった時には、医者や政府などが弾圧をしたのである。
そして折角教えられた「御供さん」も薬物が入っているだろうと難癖をつけられたために、今のお洗米になったのである。
「おふでさき」に「ざねん」「ざんねん」という言葉が沢山出てくる。
折角、親神様が人間の心を、陽気ぐらしの出来る心へと変えて、陽気ぐらしを実現させてやりたいと苦心されたものを、
浅はかな人間思案で台無しにしてしまったのである。
この「かやし」は絶対に行われるのである。
おさしづに、「悪ははびこらす」「善悪共に見分けする」と言われる。
天理教の歴史の中に、異端異説を唱えて、神様からおしかりを受けた事象が沢山ある。
その一番最初が「助蔵事件」であり、教祖が直々にお出ましになり、取り払われている。
これは、表立って異説を唱えた者の代表格であるが、内にいても反対の者もあるのである。
その代表的なものが「前橋事件」の橋本清であり、これは内務省秘密訓令の時に発覚し、これに賛同する者が一緒に出て行ったのである。
この前橋の前とは「前川菊太郎」の事で、教祖から期待され、現身を隠される前に、真柱様と共に「三人に。。。」と将来を託された方の一人である。
この事件の時のおさしづを見ると、親神様には人々の心は見抜き見通しであり、将来の事も分かっている。
しかし、当事者である本部内の人々には分からない。
そうした時に、親神様の思いに叶うものには身上を見せて、引き寄せておさしづをされているのである。
反対に、親神様の思いに沿わぬ者にはそうした身上は無く、世間の風潮に流れて、不足を積み重ねて、自分たちの思うように事を起こして、自らおぢばを離れて行くのである。
「反対するのも可愛い我が子、なれど用いねば反対同様の者」というお言葉がある。
そう考えると、身上にならぬようにと、何が入っているか分からないもので予防する考えがどれだけおかしなことかと思えてくる。
「ほこりはよけて通れよ」である。
「ほこり」は知らず知らずに積むから「ほこり」なのである。
私たち人間は、元々悪い心を使うものであるという認識をしっかりと持つこと。
これがとても大切だと思う。
そうした中に、互い助け合う事を考えて行くのである。
互いに助け合うためには、自分中心の考えでは人助けは出来ないのである。
人に合わせる事、その人の性分を理解する事が大切なのである。
ウソをつく事が当然と思っている人には、そのような対応が必要なのである。
これも、ほこりをよけて通るためには大切な事なのである。
親神様のお話しは、「10の物ならば9つまで教えておいた、その最後の10番目の教え」と言われるものである。
つまり、9つまでの教えを知った上の10番目と考えれば、なかなか理解できない事も無理ない事である。
反対に、これが理解できれば、それまでの9つの教えは簡単に理解できると言えるだろう。
先日大教会の当番で、ある人にいま世界で起きている事について話をした。
「そんなことを考えていたら気がくるってしまいます。」と言われた。
その通りである。見方によって全く異なった中に今おかれており、戦争中であり、それも仕組まれているという話しなのだから。。。
そして、「どうして平然としておられますか?」と問われた。
私は、「親神様のお話しを元に、親神様はどうしたいのだろうか?と考えて、情報をつなげて行ったらこうなった。
親神様の思いを中心にしていなければ、世間の考えに惑わされて気がくるっているだろう」と答えた。
そして、この今の世界状況を考えるようになった経緯を話した。
すべては親神様のお導きの中にあり、その中に自分の役割を自覚した時、こうした事が見えてきたのである。
陽気ぐらし実現のためには、人々が悟り、心を澄まさなければならない。
そのための世界の事柄であり、そのための道具の一人である。
そして、道具も心を澄ます当事者の一人でもあると思えて来た。
ありがたい事である。
今日はこれから、紛失した書類を探さねばならない。
忘れっぽい私は本当に困ったものである。
親神様・教祖、どうぞ世界の人々を、大難は小難にとお守り下さい。
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