2022年1月26日
本部 春の大祭は、西礼拝場へ昇殿させて頂いて参拝した。
昇殿の参拝者は、畳一畳に1人ずつ座って、礼拝場の3分の2ほどであった。
毎月昇殿している人に聞いたところ、毎月同じぐらいという事だった。
今回前半下りを聞いていて、笛の音がとても心地よく、リズムも女鳴物も心地よく聞こえたので、思わず録画(録音)した。
昔 山澤秀信先生の笛が素晴らしいと聞いたことがあったが、本当に笛の音が大切だなぁと思った。
雅楽で、龍笛は、龍という字の如く、空をかける龍の音色で、篳篥は、人の声。そして、笙は台地というような事を聞いたことも思い出した。
おつとめでいえば、女鳴物が台地であり、篠笛は空を舞う龍の声、その間に人の歌声、これらが調和して心地よくなる。そんな風にも思った。
また、
高校時代のマーチングバンドを思い出した。
音楽などほとんどやったことがなく、チューニングさえ知らない初心者ばかりだったのに、どうしてグランプリが取れたのだろうか?とふと思っていた。
そして、曲を吹くよりも、何度も何度も地声で歌ったことを思い出したのである。
マーチングは、楽器演奏をするだけではない。
演奏をしながら、隊列を変形させて様々な動きを表現する。
曲の練習と共に、動きの練習もするのである。
この動きの練習をする時には、楽器を持ちながら声で自分のパートを歌ったのである。すぐ十分な動きは出来るはずもなく、出来るまで何度も何度も歌ったのである。
その歌が、しっかりと身について、楽器を演奏した時に、自然と和音が演奏されたのではないかと思えたのである。
雅楽でも、唱歌で練習をする。
この唱歌で音程を身につけるのだが、それと同じ事を、自然としていたのではないかと思えたのである。
そして、武道館で行ったドリル演奏で、横一列での一斉前進。
この時の会場のどよめき、歓声が思い出された。
3下り目に「3つ みにつく。4つ よなおり」と歌われるが、身につける事がどれだけすごい事か、そしてその身につけるためには、どれだけの練習、苦労が必要なのかとも思った。
音程は、身に着いたものが楽器に現れるのである。
ピアノなどの調律されて変えられないものは別だが、木管楽器や弦楽器は、息の入れ方や、弦の抑え方で音程は微妙に変わるのである。
だからこそ、音程を身につける事。そして合奏をした時に、心地よい音程・音量を知っておく事が大切だと思う。
音量のバランスについては、後半下りですごく思った。
前半下りは、笛の音がしっかりと前面に出ていたのだが、後半下りは、音量が足りなく、琴の音が聞こえすぎて、そのように思ったのである。
もう一つ思ったことがある。
それは太鼓であった。スリガネのリズムが軽快で、全体の調子はとても良く思えたのだが、どうしても、太鼓が遅れがちになるのである。
これは、今の太鼓の大きさから言えば、とても大変な事、仕方のない事だと思う。
なぜなら、大きな太鼓を鳴らすのには、しっかりとした力が必要であり、そのためのバチは自然と大きくなり、重くなるからである。
そして、太鼓の大きさの変遷を思い出したのである。
教祖の当時は、締め太鼓を使っていたと聞いた。
締め太鼓とは、小さなものである。
今の大きな太鼓が据えられるようになったのは、神殿が出来て、それに見合うものとして、今の太鼓となったと聞いた覚えがある。
とすれば、自然とリズムは遅れがちになりやすいのである。
このような事を思いながら、世界の事情が治まるようにと、気持ちよく参拝をさせて頂いた。
祭典講話では、表統領先生の声が、いつもと違って聞こえた。
そして、ひながたをたどる事についての話をされた。
そこで、ひながたについて、人々がどれだけ理解しているのだろうか。それを確認し、しっかりと示す事が、三年千日前の一つの課題ではないかと思えた。
私たち夫婦は、前日から教会長夫妻講習会のために車で来ていたが、長男は朝早く近鉄電車で参拝に来た。
私には何も言わないが、自分で定めてしているようである。
人助けまではまだまだであるが、とても嬉しかった。
祭典をおえてから、「ローマ字おふでさき」を購入した。
はしがき、凡例を読んで、これは重要だと改めて思い、昨日から確認作業を始めだした。
世界は、真実が暴かれ始めている。
「根があらわれば おそれいるぞや」とおふでさきにいわれているが、この根を現すためにも、復元の作業は大切だと思う。
思う事を、思うがままに書きました。
参考になれば幸いです。
親神様・教祖どうぞ、良い人々を良い方へとお導き下さいませ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます