あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

ここ数日間の出来事。。。6月30日から。。

2021年07月03日 16時27分09秒 | 思った事

数日前の6月30日、フェイスブックに「6年前に書いたことについて書いてみませんか」というメッセージが出た。

ちょうど講社祭で、「その方は今どうしているだろうか」と話題に出た方の事だった。

(今調べたところ、この2015年の7月からこのブログを開始している。ちょうどその境目の時の投稿である。)

その時を思い出して、フェイスブックに共有したのだが、このブログにはない事なので、その時の事と30日に思った事を書いておく。

・・・・・・・・・・・

2015年6月27日

《熱中症 注意》その中《大難は小難の不思議な時の御守護》
25日、病院への付き添いで信者さん宅へ。
介護の申請の方法などを聞きたいと思っての付き添い。
その方は85歳の高齢。
いつもは一人で行くそうだが。とてもしんどいようで、本人が奥さんの付き添いを希望したので3人で歩いて行く。
ふらつきながらボチボチ歩いて近くの病院へ。
診察になって、先生から私に「ところでどういう関係ですか?」と問われて「知り合いの天理教のものです。」と応える。
するとすぐさま「私の方から、要介護の申請を出してあるのですがどうなっていますか?」と尋ねられる。
「え?」
私は要介護の申請をするためにはどうしたら良いか、尋ねるために付き添って行ったので、目が点になった。
要介護申請を出すと、本人の状態を見るために介護センターから訪問があるとの事。
奥さんいわく、その訪問を「忙しいからそれどころじゃない」と、断っていたとの事。それなのに「認定証が来ている」との事。そして、奥さんはその訪問を断った理由を何度も繰り返して言うばかり。
初めて会って初めて付き添った人ならば、何が何だかチンプンカンプンで腹がたつ処である。先生もあきれ顔。
お陰さまで、私は先日、その娘さんの転院を手伝い、その事情と奥さんの性格を知っていたので、「ともかく書類を探して、役所へ連絡しましょう」と先生と奥さんに話す。
そして先生がご主人の様態を見て、「点滴をするからその間に書類を探して来て下さい」と支持を下さる。
探すと「認定証」と「連絡をください」という役所の人のメッセージを発見する。介護センターへ連絡をするが担当者が不在。
認定証をお医者さんに見せて、点滴を終えたご主人を車で連れて帰る。
家に入ると室内が蒸し暑い。「クーラーは?」と聞くと「今年はまだつけていない」との事。
「これだ!」と思いすぐさまクーラーをつける。すると間なしに介護センターから電話があり、事情を説明して、担当者と私が付き添って会う日取りを決める。
日取りをきめ終わったところ、ご主人の顔を見るとしっかりした顔になり、口調も落ち着いた。
二人におさづけを取り次がせて頂き、ひと安心して教会へ戻る。
周囲の方の親切な見守りと、親神様教祖の不思議なお導きに感謝をして、布教所の月次祭へ。
無事に月次祭も終えて教会へ戻る。同級生の会議がおぢばで予定されていたが、さすがにそこまで走るだけの体調が良くない。断りのメールを入れて、26日本部月次祭は夫婦で日帰りする事にして、ゴロゴロする。
広島で布教の家で通わせて頂いた、痴呆症の方の事を思い出した。
 
・・・・・・・
と記している。
これを目にして、30日には
 
なんということでしょう。今日布教所の月次祭で、どうしているだろうか?と話題になった方の事が出て来た。
もう6年前になるのだ。
何も語らない方で、本当にどうしようもなくなると、私に声がかかっていた。
そんな中での事柄を書いていた。
この後、病院に入院する事になり数年点滴だけで生きておられたが、家族との縁が良くなり、娘さんが最後をみとられた。
今は全く教会とはつながっていないけれども、本当に不思議を沢山見せて頂いた。
 
と書いた。
 
このご夫婦の事は常に気にしていたが、段々と月次祭にも来られなくなり、月次祭のおさがりを持って行くだけになっていた。
それでも、持って行くと喜んで下さり、引っ越しの手伝いもさせて頂いたりした。
 
けれども、この奥さんの目が白内障であった事にはさすがに気が付かなかった。
精神的なものを持っておられるので、つかず離れずしか出来ない。
ともかく、ひと月無事にお連れ通り頂けることを願いながらの日々だった。
 
そうした中に、娘さんの転院、ご主人の身上と重なり、上記に書いたことが起こって来たのである。
その後突然、奥さんが教会へ来られて、たしか介護申請に対して約束をした日だったと思うが、ご主人の調子が悪くなったので、断って欲しいとの事だったと思う。
その時に、奥さんが電話帳の番号が見えない事が分かった。
何ということだと思い、すぐさま電話帳を見て長女さんに電話を入れて、病院へ連れて行ったように思う。
 
そのまま入院となり、高齢のために開腹手術はせずに、点滴での治療となった。
それから約一年余りだと思うが、長女さんは懸命に両親の世話をされた。
私は妻と共に、数日ごとにおさづけに通った。
 
長女さんにも家庭があり、両親に付きりという訳にもいかない。
そして、お母さんは施設に入り、身上のお父さんは別の病院に転院した。
 
それからどれだけ立ったか覚えていないが、身上のお父さんが亡くなられた。
お葬儀をさせて頂いたが、「お母さんにそのことを伝えるとどうなるか分からない」と言われて、伝えずに行った。
 
しかし、いつかは伝えなければならない。そこで、葬儀の写真を撮っておいた。
不思議な事に、葬儀を終えて後、それまでは怖いからと言って、断固として断っていた白内障の手術をお母さんが受けられた。
そして、一年祭を教会で勤めることにした。
その時に、亡くなったことを伝えて、お母さんと共に来てもらった。
兄弟と久々に会えたことがとても嬉しかったようで、ご主人が亡くなったショックは少し和らいだようだった。
 
心配していた娘さんがほっとされた事は大変覚えている。
 
私たちの出来る事は、ただただ寄り添うだけである。
親神様・教祖にどうか無事無難にお連れ通り頂く事を願って、そう思いながらの日々だった。
 
コロナになるまでは、毎月そのお母さんには面会に行っていたが、今では行けない。
 
神様のお話を聞き分けて、結構になる人もある、しかし、なかなか聞き分けられない方もある。
これも仕方がない事である。
 
しかし、その時その時にご縁を頂き、お世話させて頂けることを喜んでさせて頂く。
こうしたことも、親神様・教祖の導きがあればこそである。
 
今、コロナで行事がないから、ネットで調べて、色々な事を学ぶ事が出来る。
これも親神様の御守護があればこそと思いながらいる。
 
そうそう。
30日の講社祭で、コロナの話になり、「会長さんが言っておられたように、世界中と比べたら、日本の感染者や死亡者は本当に少ないと、新聞に出てました。」と話をしてくれた。
ようやく発信し始めたかと思ったが、やはり、大手マスメディア責任は重い。それをつくづく思った。
 
7月1日は大教会の例会である。
青年会・少年会・婦人会・学生担当が集いおつとめをする。
私はそれに属さないので、教会からの御供を妻に渡しておくのだが、
朝の新聞配達を終えて休んでいる妻の姿を見て、運転して行ったらその間でも楽ではないかとふと思った。
 
私は、大教会の130周年を終えて、名称録を作り直すことしたので、そのデータの確認作業をボツボツと始めている。
これは大教会でも教会でもできるので、大教会でするかと思っていた。
 
すると、中学の息子が体操服を忘れた事に妻が気が付いた。あわてて中学まで走る妻。
帰ってくると、大教会へ出発の時間である。
なにやら、婦人会からの宿題があったようで、これまた慌てている。
 
「あとは車の中で」と言って、後部座席に載せて大教会へ、
ふと浮かぶが神心ではないが、
大教会へ行くつもりで準備をしていて良かったとつくづく思った。
 
2日は教区で支部長会議である。
コロナであればこその事が起こったが、素晴らしい対応で、会議が無事に終わった。
そして、新しい動きが始まる予感をもらった。
 
今日は3日、大教会の名称録のデータの確認作業を行う。
どうも、このデータの確認作業は辛い。なかなか進まない。
気を紛らわせながら、ぼちぼち行う。(他ごとで気を紛らわせないと、目が見ずらくなったり、体が痛みだすのである。)
それでも、何とか区切りまで出来た。これで次の工程へ行ける。
 
その作業をしながら、ユーチューブをラジオ感覚で聞いている。
そして気になったものを記録代わりにFacebookに共有している。
 
それを聞いていると、どんどん、これまで隠されていた事が明らかになってきている。
日本のマスメディアではまだまだ隠されているが、世界ではアメリカ大統領選挙の不正しかり、コロナウィルスに関しても、ワクチンに関しても、これまで陰謀論として隠され非難されていた事が、正されている。
 
善悪を分けるには時間がかかるのだろう。
どうぞ皆さまご注意くださいませ。
 
親神様・教祖どうぞ、大難は小難にとお守りください。
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