本席定まる関連おさしづ 6 明治21年3月22日(陰暦2月28日) - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
No.27 :(1巻29頁8行)
明治20年3月23日午前7時 陰暦2月29日
『御諭』
さあ/\待ち兼ねた/\。東京々々長崎と言うてある日が来た。理あれども一つが分からん故に、やるものもちゃんとしてありながら、渡す事が出来なんだ。これが残念。さあ/\東京長崎いかなる道、銘々の道通らぬよう。いずれ/\刻限を見てやるものある、渡したいものもある。なれど渡すに渡せん。今は言うだけ渡して置く。
(教祖の御言葉にて御聞かせ、右二件は、東京上原、大阪井筒両人をめどうとしての御話と悟ります。)
No.28 :(1巻30頁2行)
明治20年3月23日午後3時 陰暦2月29日
『御諭』
何にも外事は言うではない。どうしよう、こうしようと思えども、どうもならん。一寸にをいを掛ければ、情無い事、煩(うるさ)い事と思う。どうも道の付けようが無い。難しい。運びの付けようが無い。是非無い事。
No.29 :(1巻30頁7行)
明治20年3月24日午後10時 陰暦2月30日
『今日までの御話の中に、確かなる事もあり、又案じる事もある故に、飯降伊蔵御障りの次第を先生方相談の上願』
身の内の処、よう尋ねてくれた。再度尋ねてくれる処、受け取りて居る。余の事は言わんで。尋ねる一条、尋ねくれるも余儀無き場や。もうこれまでや。刻限も十分経ち切り、早く/\何事も諭さにゃならん。
★第7巻「補遺」に以下の1件のみあります。★
No.30 :(7巻3205頁1行)
明治20年3月24日 陰暦2月30日
『山田伊八郎身上願(咳にて三晩咳き通すに付伺)』
さあもう十分日が詰み切ってある。もうはじけんばかり。もうせえつうが来たるから、この間から角目々々の話聞いて居る者もあり、すうきり知らん者もある。よって知らん者には聞かしてくれるよう。見れば否や、思えば否や、言えばそのまゝ見える道に成りてある。さあ/\家内それ/\の処、さあこれはどういう事や知らん、どういう道になろう。さあいよ/\綾や錦仕事に成りてある道、さあどんと心落し付けてくれにゃならん。さあふでさきの角目々々、又これまでに聞かしてある話の角目、よう思やんしてくれにゃならん。
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