社会情勢の事で、不安に思う方も多いと思うが、
すべては親神様の懐中で、いんねんによって現れ、そのいんねんからどのような心で次を歩むかが問題であると、確信するに至った。
つまり、人や政治が経済が問題ではなく、それを扱う人の心が問題である。
参議院選挙が近くなってきているが、この選挙にどのような心で、一票を誰に投票するかで、日本が変わり、世界が変わる。
これまでこうだったから、変わらない。と何もしなければ、因縁ならば仕方がないと、虚しく生きるのと同じである。
過去は変えられない。
この過去を、冷静に判断して、自らが切り替えていく、その中に将来のいんねんが変わるのだと、教祖は教えられているのである。
自分を棚に上げて、行動しなければ何も変わらない。
何のために体を貸し与えてもらっているか。。動くためである。
実際に動いて、
どうなるか、
正しいか正しくないか、
自分はどう思うか、人はどう思うか
などを確信するためであろう。
うそをついたらそのものがうそになるのもこれがしょうちか。
これも、はっきりするであろう。
アメリカも、不正選挙が改善されれば、変わるであろう。
多くの民衆が、マスメディアのウソ、バイデンなどの政治家のウソ、企業のウソなどを見抜いて来たからである。
日本はもう少しかかるのだろうか。。
政治家、企業家、マスメディアのうそを見抜ける人々が少ないように思う。
反対に、自分の理想で人を見て、期待して裏切られるを繰り返しているようにも感じている。
先日大教会で、みちのともの 両統領の対談を読むように指示があった。
それを読んで、三年千日について今一度おさしづから調べる必要を感じて、調べ始めている。
おもしろい事に、三年千日で検索をかけると、「ひながたたどらにゃひながたいらん」というおさしづはヒットしない事を知った。
これだけを書いておく。
また、昨日大教会の神殿当番をしていた時、急に大教会の奥さんから、「徳」について検索できないかと尋ねられた。
ネット上の検索を使ってみたがうまく行かないとの事である。
私はネット上ではなく、もらったデータを元に、自分で作っているデータを検索している。
データが膨大なため、検索するたびに、公刊本と照らし合わせて、データを修正しながら使うという事をしている。
この事についても、ヒットした物を読みながら、思う事が多分にあった。
これについても、いずれ書きたいと思った。
このコロナ禍になってから、おさしづよりも、元の理に重点を置き、復元を思って、教祖当時の事を記されている書物を研究材料にと、グループで進めて来た。
世界の事もあらかた理解し、元の理も新しい発見から新しい視点を得る事が出来、教祖当時の資料から教祖は親神様で、人間を導くために様々な事をして下さった事も確信した。
先に書いた「三年千日」「徳」に関するおさしづを読んだ時、これまでと違ったものを感じたのは、こうした事があったからだと、今書きながら思う。
今日から、玄関まえのポーチを修繕する。
「おさしづ」の研究も合間を見て、ボチボチと進めたいと思う。
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