あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

受信機。。妻に見せられた不思議。。

2022年05月21日 15時01分33秒 | 思った事
今日は、5月21日土曜日です。
只今、午前9時30分、アルバイトで午前中車中待機のため、久々にゆっくりとこのブログを書いています。
 
私は、このブログ以外にも、フェイスブックで思ったことを発信したり、気になった動画を共有したり、noteに様々な情報を記録したりしている。
 
先日19日に、アルバイトへ出かけるための地下鉄の中で、携帯からフェイスブックへ思ったことを書き込んだ。
このブログに書けばよいのだが、そのような時間が取れず、思ったことを忘れてしまうので、思いつくままに下記の如く書き込んだ。
 
約30分ほど地下鉄に乗っているのだが、書き終わらずに気がつけば、一駅乗り越してしまった。あわてて次の駅で降りて、投稿して目的の駅へ折り返した。

読まれた方もあるかと思うが、多分何が何だか分からないと思うので、改めて書きたいと思う。
 
・・・・
只今、アルバイトへ行くための地下鉄の中です。
昨日からずっと頭の中で浮かび続けていることを書いておきます。
発信機があっても受信機がなければ意味はない。
この受信機、機械的なものもあるが、人間の体質や知識、性格なども受信機とも言える。
発信者の意図を汲めるかどうかもその一つであり、発信者のウソを見抜くのもその一つでもある。
発信者の情報から、受信者が情報を作り、発信する。伝言ゲームで情報は変化する。
どんどん複雑になってくる。
さて、どうしてこんなことを思うかと言うと、先日、妻の左足が突然痛み出して正座が出来なくなった。
突然と言うことと、左足と言うことから、親神様が何かしなさいと言うお知らせだと思うと話をしたが、そんなこと言ってもと受け入れた感じはない。ともかくおさづけを取り次いだ。
良くならない。2日目おさづけを取り次ぐ時には、何もいわずに取り次いだ、良くならない。
何かの時に、筋はこうまんだよ。とだけ話した。
そのつぎの日、突然正座できるようになった。と話してくれた。どうしたの?と尋ねたら、座れるような気がして座ったら座れた。とだけ話してくれた。
昨日、部内の月次祭で皆さんの前で、妻がこの事について話をした。
私にさせようとしたことは、自分がすることだと思ったら良くなったと話した。なるほどと思った。
次はそれを実行するかどうかである。
親神様の発信を受け止める受信機は、心。
 
・・・・・
さて、上記で、受信機という言葉で書き始めたのだが、これはここ数日らい、スピリチュアル系の動画を共有する中に、感じるところから受信機という言葉で書き始めた。
 
スピリチュアル系は、霊的な存在、または宇宙人と言われる存在からの情報を受信して、人々に伝えるものである。
これが、日本のみならず世界中のそうした人々の情報がネットに上がっているのである。
その日本語訳を見ていて、最近は聞かなくなったが、以前「この楽器に。。。」という訳がとても気になっていた。
「この楽器」とは、本来の言葉は分からないが、霊的なメッセージを伝える人の事を言っているのだと、様々な動画を見るうちに理解できた。
 
そして楽器と訳される意味を考えているうちに、音を鳴らす⇒スピーカーが思い浮かんだ。
 
(話はずれるが、
すでに宗教として人々を集めて、今現在神託を発信していない天理教のような教団は、教典や教理、原典と言った昔に書かれたものを頼りとして、それによる悟りを発信している。)
 
元に戻す。
これによって、霊的な者の言葉を出す人に、意思や責任があって発信しているのではない。聞く人々の受け取り方が大事だと思うようになった。
 
そして、受け取る人によって受け取り方は違う。
そしてその受け取った考えを発信する。
 
この事は、世界中で起きている事柄にも言える。
一つの事から、解説者は様々に解説する。
これも一つの受信機が発信者となって、様々な情報となる。
中には、自分の都合の良いようにウソを発信するものもある。
これがより一層情報を複雑化して、何が本当か分からない。
そうした状態が現在であろう。
 
さて、こうした霊的な発信については、
天理教の上には、教祖・本席様また、こかん様が親神様のお言葉を取り次がれているその状態と重なったのである。
 
その様子は、おさしづを読む時に、その内容よりもその時の情景を考えて読むと分かると思う。
また、色々と残されている逸話をたどっても、そのことは感じる。
 
 
また、そうしたスピリチュアルの動画が、霊的存在と対話をするモノに変化してきたように感じるところがある。
 
情報を発信している人へのコメント・メッセージ・質問によって、その発信者が霊的な存在に尋ねて答えを導き出しているものである。
 
さらに、最近では、そうした霊的なものと交信するための方法を説くものにも巡り合った。
 
前者に対しては、教祖が月日の社になられた直後、内蔵に籠られて、親神様と問答されている様子や、おふでさきを書かれて、それを読み返して筆を入れておられる様子と重なった。
 
また後者については、
私たちが、身上や事情について親神様の思いを悟るために、十全の守護や八つのほこりの説き分けを思案する事と重なったのである。
この事については、すでに先人が、教祖の教えを元に思案して、その人に応じた理の諭をして、不思議を見せて次なるものを育てて、大教会となっているのである。
そうした足跡をしるしているのが、柳井徳次郎先生の「たすけのだい」などでもあると思っている。
 
こんな事を思って、受信機という事を書いていた。
 
そうしたところ、妻の足の身上が思い浮かんで、妻の事を書いたのである。
 
妻は、全く天理教には興味もなく、ただ親の言われるままにおさづけを戴き、親の言われるままに御供だけをしていた人である。
だから、よく天理教で、上級の理を立てるなどの言葉など全く理解できない。
反対に「どうしてあんな人を?あんなことを?」という人や表面での事を見て、心で思っていたのである。
これについては、自分も以前までは同じであった。
自分は大教会に育ち、おぢばで学生時代を過ごしたが、教えを学べば学ぶほど、求めれば求めるほど、教えと人との差を感じていたのであった。
 
そんな二人が、突然両親や周囲の人々から言われて、結婚してすぐに今の教会へ入り、会長・会長夫人となったのである。
 
私は会長になった年の年末年始に、椎間板ヘルニアで激痛が走り、その時に妻に願ったおさづけの時の心定め「親神様のお導きのままに通らせて頂く」との心で、大教会や支部の用事、また信者さん方の言われるままに、家族の事はおいて走り回った。
妻は全く知らない土地で、暗い教会で長男と共に留守番をしていた。
ありがたい事に、妻が車を持ってきていたので、毎日大教会へ行き、母親と共に大教会の食事を作っていた。
また不思議な事に、弟の子供と全く同じ年に子供が生まれて、弟の嫁さんもまた毎日のように子供を連れて大教会へ来て、一緒に過ごした。
 
そして、嫁さんの貯えも段々底をつき、明日どうなるかという状態にまでなった。
そうした中も何一つ文句も言わず、坦々と月次祭の食事の準備も掃除もして、どんなことを言われても「はい。すみません」で通ってくれた。
 
こうしたことに気がついたのは、十数年経って、私が車から飛び降り、意識を失い、鎖骨骨折、肺気胸になった時である。
 
その時に、妻から「母親から『あんたは何も分からないのだから、何でもハイハイ。すみませんで通りなさいよ』と言われたからそのように通って来たけど、これからは色々と言わせてもらう。」と言われた時に、初めて私は知った。
 
その時には、多くの教会の奥さんが「こんな教会は、嫌だ」といって出ていく中、それをせずに、何も分からずとも、親の言うとおりに通ってくれたことに感謝するばかりであった。
 
また、今こうして日々通れるのは、妻が朝の新聞配達をしてくれているからでもある。
 
さて、こうした妻であるが、教祖130年祭の数年前、突然に足が痛み、揉んでも楽にならない時があった。
 
それまでにも足が痛み、マッサージをする事があったが、それとは違っていて、マッサージをしても楽にはならず、しながらおかしいね。といって、おさづけだけを取り次いだのであった。
 
次の日の朝、朝づとめの時に、「足の痛みが無くなった」と話してくれた。その理由を聞くと、新聞配達をしながら、ふと「私は教祖130年祭に対して、何もしていない。暇な時にパンフレットでも配ろうかなぁと思った。そしたら足の痛みが無くなった。」との事である。
 
私は「親神様からのお手紙を頂いたのだ」と思い「良かったね」と嬉しく言ったところ、妻は怒ってしまい、そのとたんにまた突然足が痛んでしまった。
 
それを見て、私はこの心をすぐさま変える事は難しいと思い、またパンフレットも実行できるかどうか分からないと思って、私の首に毎日おさづけを願う事にした。
それを教祖130年祭まで続けた。
 
そのうちに、足の痛みは無くなったようである。
また、そんなある時、足が痛み出して、座れないから大教会の月次祭を休みたいと言って来た。
その時には、私は「それはダメだ。月次祭は大切だから、出来る限り座って与えられたことをさせてもらう事が大切だ」と言ったようである。(私は覚えていない)
 
それを受けて、痛くても我慢して座っていたら、座れるようになったと、何かの時に話してくれた。
 
こうして、この年になると、多くの人が足が痛んで正座が出来ない中、正座をさせてもらう事が出来る妻であった。
 
さて、ここからが、フェイスブックに書いた話になる。
フェイスブックには、部内の月次祭の時の話しかないが、その前がある。
突然足が痛みだした日は、うちの月次祭の後なのである。
 
うちの月次祭では、私が鎖骨骨折して肺気胸になってから、妻にお話をしてもらう事にした。
その話の中で、他の人が足が痛くて座れないという中、自分は座らせて頂けてありがたいと話をしたのである。
 
その後、突然に足が痛みだして、正座が出来なくなった。
 
そしてこれまで、子宮摘出の手術を受けた時にもおさづけを自分から願う事が無かった人が、足が痛むからおさづけをして欲しいと言って来たのである。
 
そしてその時に私は、突然になった身上と左足と言う事から、「親神様は何かするようにとの事だと思う」とだけ言って、おさづけを取り次がせて頂いた。
性分からして、多分言われたら何か言うだろうなぁと思ったところ、案の定であった。
「そうか。」とだけ言って、取り次がせて頂いたのである。
 
何の変化もなかった。
 
次の日は、何も言わずにおさづけを取り次がせて頂いた。
 
何の変化もなかった。
 
このままではならんが、夫婦の仲で気を許しているから余計に難しいなぁと思いながら、曲がらないのは筋が固くなっているからと思案して、何かの時に「筋はこうまんだよ」とだけ話した。
 
その次の日、アルバイトから帰ると、妻から「何か違わない?」と声を掛けられる。
「?」と思っていると、「足が突然座れるようになった。」との事である。
 
「どうしたの?」と尋ねると、「何だか座れるような気になって、座ったら座れた」との事である。
 
「それは良かった。」と喜んだのだが、詳しくは話さず、どうしたのだろうか?と思っていた。
 
そして、18日部内の月次祭である。
部内の月次祭でも、部内の後継者の後に、妻に一言話をしてもらう事にしている。
 
婦人会から出されている十全の御守護の話を読んでから、先日突然痛みだした足が、突然痛まなくなった話をしだした。
 
それを聞くと、「会長にうちの教会の創立130周年に対して、信者さん方へ手紙を出しなさい。と言っていたけど、会長は「会報に書いてあるから、出さなくても良い」と言う。私が出さなければと思ったら、良くなりました。まだ実行は出来ていませんが。。」との事であった。
 
なるほどと私は思い、自分で悟って、自分で実行する段階になったのだと、嬉しく思った。
 
私は、教会に来ていない名簿だけの信者さんへ手紙を出しても、今のこの時期であるから、良くは受け取られない。これまで通って来て、そのように感じるのである。この記念祭は、うちの子供たちには、次へつなげるためにも何とかしてと思うが、あとの方は、親神様が寄せて下さる方で勤めたい。と思っている。
 
妻はどのように思っているかは分からないが、大教会の奥さんは、しきりに手紙などで信者さんや部内の奥さんたちへ案内を出している。それを私にさせたいのではないかとも感じていた。
 
そうした中の不思議である。
だから、妻が教会を思い、親神様を思い行う事はとても良い事で、それが親神様のお望みだと思うばかりである。
 
妻の足は、今日も座れる御守護を頂いている。
 
おたすけ熱心な方々には、とてもくだらない話だと思うが、成人未熟な私たち夫婦には、ありがたい御守護だと思う。
 
大教会や教区、支部の用事があれば、また私の代わりに出かける時には、朝早い新聞配達を終えて、眠たい中も出かける妻はすごいと思うし、ありがたいと思うばかりである。
 
世界の情報を見れば、不安な事が一杯の人も多いと思う。
しかし、親神様は、それぞれのいんねんに応じて、それ相応の導きをして下さっている証拠と私は捉えている。
 
点の御守護で思案するのではなく、点と点をつないだ線の御守護を感じるのである。
 
 
親神様は常に、私たちを助け上げたいと、身上や事情にて発信をされている。
また、夢でなりともにおいがけ。とも教えられている。
それを受け止めるのは、それぞれの心。
 
それを教えて下さっているのが、この天理教の教えであると思っている。
 
受信機である心の成人、心を澄ます事、心を静める事。
 
これが大切だと思う。
 
これだけ書くのに3時間ほどかかった。
今、アルバイトが終わったので、見直して再度投稿している。
 
親神様、御守護をありがとうござした。
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