ちょっと考えている事がある。
「3Dチェス」「三次元チェス」というものである。
この言葉は、トラさんを応援するメッセージの中で、「トラさんは3次元チェスで考えている」というような意味の話で知った。
その時には意味が分からなかったのだが、あるトラさん関係の写真で3枚から4枚のチェスの板が上下に重なっている写真を見て、「この事か」と思った。
人間は、一対一の勝敗を平面上で考える。
ところが、この一対一が、一つ上の勝負で左右されているとしたら。またその勝負ももう一つ上の勝負で左右されていたら。と思ったのである。
アメリカ大統領選挙から、メディアの偏向報道を知り、そうした勢力との戦いをトラさんがしている事を知った。
また米国と中共との戦いも知った。
さらには、米国内の右派と左派との戦いも知った。
そして世界中の金融関係で金本位制への移行を望む人々とそれを望まない人々がある事も知った。
新型コロナから、ワクチンを推し進めようとする人々とそれを問題視している人々の戦いも知った。
争いと言えばまだまだあるだろうが、こうした争いが表面化している中、これらの争いがそれぞれ独自で行われていると考えるか、これらの争いもそれぞれにつながりがあると考えるかで、見えてくるものが違うと思えたのである。
色々な人が、ニュースが出るたびに解説をしているわけだが、解説をする人の見方が、このような縦のつながりを意識しているかどうかで見方が違ってくるのである。
そしてそれによって、それぞれが対処する事が必要となってくるはずである。
現在、アメリカで物資が不足して、ハイパーインフレになっているとの情報があるが、物が無くなる事は、それぞれ個人にとっては死活問題なのである。
そうした対応は事前にしておかねばならない。だから他人事では済まないのである。
どうしてこのような話をしたかというと、「信仰は心の問題」で日常の心持ちだけを示しており、日常の具体的な行動にはあまり関係ないように思っている人がいるのではないかと思ったからである。
「信仰は転ばぬ先の杖」という言葉がある。
転ばない先に、危ないという事を教えてくれて、転んでケガをしないようにという事である。
以前に、旬・刻限という事を書いたが、それも同じである。
親神様は「おさしづ」で刻限話をされて、師事をされている。
しかし、人間がそれを聞きいれない。理解せずに実行しないために、それをもどかしく思われる言葉も散見する。
まぁ、その具体的な事は、おつとめの完成・かんろだいの没収にも言えることである。
つまり、信仰を実際の生活に生かす事。これが一番重要だと思うのである。
昔の方々の話で、小さな身上や小さな事情・遠くの身上や事情から見せられる。
その時に気が付かないので、段々と大きなものになってくる。
というものがある。
正しくだと思う。
今の日本、何事も一番最後に現れているのである。
世界の情勢をしっかりと見据えて、分析をして、しっかりとした判断をすれば、こうした問題も難なくクリアして、世界の手本となれるのに。と思ったりするのである。
泥にまみれていては、気づかないかなぁ。。。
と思ったりする。。。
お道も同じである。先日の「ひのきしんスクールシンポジウム」の動画を見た方は分かるかと思う。
お道でない方が、一生懸命に苦心して悟られた事を実践して話されたのだが、それは、教祖からすでに聞かされている話である。しかし、聞いていても深く悟れず、実践していないために、それぞれに事情で苦しむ姿を見せられているのではないか。。と思ったりするのである。
話は変わるが、
昨日は、午後三時すぎから教会を出て、おぢばへ日帰りをした。
三男が進学のために帰ってきており、それを送って行ったのである。
その時にちょうど、おぢばにいる長女の誕生祝をする事が出来た。
うちにいる時は、毎年必ず誕生日を祝ったが、おぢばへ行ってからはしてやることが出来なかった。高校からなので、十数年ぶりになるだろうか。
数日早かったが、ちょうど長女も休みで、三女も時間があったので、ほんの一時間の事だが、おぢばにいる者で祝う事が出来た。
本当にありがたいと思った。
そんな事で、教会に戻ったのは夜中であった。
毎日投稿が滞り、心配下さった方、申し訳ありませんでした。
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