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あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

おさしづを見て眠くなる件から。。。天理教の3原典について。。解釈について。

2022年09月21日 13時47分10秒 | 思った事

昨日(9月19日)、おさしづを読むとすぐに眠くなって。。。と投稿した。

(21日このブログ投稿、22日修正投稿)

それについて、グループ内で私の体調を心配して下さる方があり、誠に申し訳ない事でした。

「復元」を研究するグループでは、順番に資料を提示しているため、昨日のおさしづを投稿しないとなると、投稿できるまで休まざるを得ないと思って、し,ばらく休みますと投稿しました。

今回のおさしづを読みながら、他の関連するおさしづを探すという作業は、私にとってはとても興味のあるもので、普通ならば眠くなるどころか次々と調べたくなり、目がさえるのが普通なのです。

それが、そのようにならないという事で、「どうした事だ。このおさしづは皆さんの目に触れない方が良いのかなぁ」などと思案していたのです。

そして、そのことが切っ掛けで、昨日久々に思い浮かぶままのブログ投稿となりました。

また、今朝、心配して下さる方の投稿を見て、私の解説抜きで資料としておさしづだけを投稿しようと、思い至り、先ほど投稿しました。

 

解説とは、最近ではロシアウクライナ戦争について、世界中で発信されているニュース解説を見て頂ければわかると思いますが、多種多様なのです。それぞれの思いが入ります。
また、それぞれの利害関係から、自分が有利になるようにと事実を曲げて発信される者もあります。

そうした解説は、いくつも異なる解説があれば、その解説を比較して検討する事が出来ますが、一つしか聞かなかったりすると、その解説が間違っていても本当だという事になりかねないのです。

自分で考えて、考えがまとまり、それなりの理由が述べれるようになれば良いのですが、そうならない前に、まったくの推測で解説を書いた時、それが独り歩きして大変な事になる事があると、今回のおさしづを読み、前後を調べながら思ったところでした。

勉強して物事を理解するにはとても時間が要ります。

また、その理解した事を周囲の人々が理解できるかといえば、そうでもないのです。

理解せずに、うわべだけの事で分かったような話を進めるために、次に聞いた人には違ったように伝わるのです。

伝言ゲームを想像すればよいかと思います。

簡単な一言の言葉「あ」とか「い」ならば、だれでも間違えずに伝えられるでしょう。

ところが、これが長文となり、また同じ言葉でも意味が違う言葉が使われると、何人かの人を介すと、その人たちの考え・感情でまったく違った言葉になってしまうのです。

それを心配しました。

そこで、解説をせずに、おさしづのみを資料として投稿する事にしました。

 

そして、今回調べていて、みかぐらうたが承認されたものであるおさしづを思い出しました。

そこで、三原典について書いてみます。

 

おふでさきが、他の宗教の教典と異なるものとしてよく言われる事は、

「親神様直筆の言葉(教祖直筆)」という事です。

聖書しかり、お経しかり、これらはキリストや仏陀が直接書いたものではなく、周りの人々が「このように聞いた」ということを記録したものであるという違いです。

天理教でいえば、この聖書やお経・経典は、教祖伝や逸話編、教典などがそれにあたります。

ですから、今公刊されている「おふでさき」は、2代真柱様が字体を検証して作られたものです。

そして、「おさしづ」は、本席様がtお出された教祖・親神様のお言葉を、筆取りの役を仰せつかった人々が書き取ったものです。

これに関しては、筆取りの役の人が聞き間違い、書き間違いを起こすことがありますので、「おふでさき」よりは親神様の言葉としての確実性は下がりますが、それでも親神様の思いを知り、私たちの歩みを進める資料には重要なものです。

この「聞き間違い・書き間違い」の証拠となるものが、現在公刊の「おさしづ」にあります。

(これは2005年に、私がWEB上で教理勉強をしようとしていた時に発見したもので、当時比較表を作ってHPにあげていました。)

明治30年8月14日と明治31年8月14日の『永尾よしゑ身上願』というものです。以下に二つのおさしづを列記しておきます。

・・・・・・

No.  :(4巻2804頁12行)
明治30年8月14日 
『永尾よしゑ身上願』
さあ/\尋ねる事情/\、身上にどうも心得ん事情という。心得ん事情尋ねば事情はもうこれなか/\。これ何ぼうとも積むに積めん、事情つかえたる事情諭す。あちらこちらどんとどうもならん。今日は尋ねにゃならん日に成ったる。事情積むに積めん事情に成ったる。身上障り身上障りもだん/\ある。だん/\事情中にどうもならん事情ある。明日は今日はと思いながら、日々夜々堪えられん事情、この事情聞き取って悠っくり書き取って、さあ多く事情あちらでこちらで、これはどうも何とも言えん。言えんと言うて、諭せんと言うは分からん。これまで道すがら、善い道ばかりやない。艱難苦労いつ/\通り、よう/\日及んだる。よう聞き分け。深い話する/\。心という理をそれ/\互い/\理以て運ばにゃ、善い理というは埋みよい。理は埋みよいというはどうであろ。これ皆勝手という。勝手という理は、このやしきには一つも無い。長い年限杖柱という理は、深い理か浅い理か、これ聞き分けば何のさゝわりも無い。皆俺も/\勝手通りたる。この日が出てからどんならん。あちら又通りこちら又通り、怖わい/\と言う。今度通ろうと思て居て、その道変わりてありたら、いか程通ろと思て通れん。よう聞き分け。長い年限何処にどうという事あったんやない。杖柱という、天より入り込み始め掛けたる理聞いて居る。これまで長い年限今日から始め掛けようかと言う。杖柱という理聞き分け。聞き分けにゃならん。聞き分けして皆それ/\治まれば一時も治まる。これはこうやけれどこれでこうと、運んでからどうもならん。どんな道付けても取れて了たら通れん。三十年以来親子諸共という、これ杖柱という理、聞き分け。聞き分けば、これ重い理か軽い理か聞き分け。金銭で買われば相当の金を持って行けばよいもの。この一つ理聞き分け。今日の障りは、ほこり強いのやろうと言う。言う者は有ろまいなれど、心の理から今一時聞き分け。西とか分からん、東とか分からん。大難という中でも舵の取りようで行く。これ聞き分けにゃ分からん。今日の日明日の日分からん。続いて行けば、何処までも行けるなれど、変わりた事やと言う。世界有りてはならん。これ聞き分けて治まれば身は何でもない。出る者は勝手に出てると言う。入る道は、どうでも我が一名以て日々送り来たる。大難からおき中にさあ危ないという。どんな中でも舵一つの取りようで治まるという。

『押して、政甚の事』
さあ/\話し掛けたら理を分かる。何でもないよう思て居たら、ころりと違う。末代伏せ込んだ理は、親子貰い受けて伏せ込んだ。傭人とは違う。傭人なら何ぼかやればそれで十分。親子の理それ/\ある。これ話し掛けたら、ほんに成程の理分かるやろ。もう一段話。席という、席の心さしづは、席の心のさしづと必ず思うな。今日の席と言うたる。万事一時に尋ねば一時にさしづ。さしづは何処からさしづ。皆理持ったるさしづ。席と言うたて、心映りて話すれば、話する。人間心ある。人間心持っては、舵という理は何処にあるか。聞き分けてくれにゃならんで。

・・・・・

No.  :(4巻3067頁9行)
明治31年8月14日 
『永尾よしゑ身上願』
さあ/\尋ねる事情/\、身上にどうも心得ん事情という、心得ん事情尋ねる。事情はもうこれなか/\これ何ぼうとも、積むに積めん事情つかえたる事情諭す。あちらこちらとんとどうもならん。今日は尋ねにゃならん日になったる。事情積むに積めん事情になったる。身上障り/\もだん/\ある。だん/\事情中にどうもならん事情ある。明日は今日はと思いながら、日々夜々堪えられん事情、この事情聞き取って、悠っくり書き取って、朝多く事情、あちらでこちらで、これはどうもならんとも言えんと言うて、諭せんと言うは分からん。これまで道すがら、良い道ばかりやない。艱難苦労いろ/\通り、よう/\日及んだる。よう聞き分け。深い話する/\。心という理恐れ/\、互い/\理以て運ばにゃならん。善い理というは埋みよい。善い理は埋みよいというはどうであろう。これ皆勝手という。勝手という理はこのやしきには一つも無い。長い年限杖柱という理は、深い理か浅い理か、これ聞き分けば何の障りも無い。皆俺も/\勝手通りてる。この日が出てからどんならん。あちら又通りこちら又通り、怖わい/\と言う。今度通ろうと思うてその道変わりてありたら、いか程通ろうと思うても通れん。よう聞き分け。長い年限何処にどうという事あったんやない。杖柱という。天より入り込み始め掛けたる理聞いて居る。これまで長い年限今日から始め掛けようかと言う。杖柱という理聞き分け。聞き分けにゃならん。聞き分けして皆それ/\治まれば、一時に治まる。これはこうやけれどこれはこうと、運んでからどうもならん。どんな道付けても、逸れて了たら通れん。三十年以来親子諸共という。これ杖柱という理聞き分け。聞き分けば、これ重い理か軽い理か聞き分け。金銭では買われん。金銭で買われば相当の金を持って行けばよいもの。この一つの理聞き分け。今日の障りはほこり強いのやと言う者はあろまい。なれど、心の理から出るものは、勝手に出てると言うて居る。道はどうでも、我が一名以て日々送り来たる。大難から多き中に、さあ危ないという、どんな中でも一つの取りようで治まるという。

『押して、政甚の事』
さあ/\話し掛けたら理を分かる。何でもないよう思て居たら、ころりと違う。末代伏せ込んだ理は、親子貰い受けて伏せ込んだ。雇い人とは違う。雇い人なら何ぼかやれ。それで十分。親子の理それ/\゛ある。これ話し掛けたら、ほんに成程の理分かるやろう。
もう一段話、席という席の心、さしづは席の心のさしづと必ず思うな。今日の席と言うたる。万事一時に尋ねば、一時にさしづ。さしづは何処からさしづ、皆理持ったるさしづ。席と言うたて、心映りて話すれば、話する。人間心ある。人間心持っては、舵という理は何処にあるか。聞き分けてくれにゃならんで。

・・・・・

そして、「みかぐらうた」については、

私が学生の頃、「書き残されたものがないから、これは親神様が教えたモノかどうか分からない」などとよく言われ、それに対して反論できる証拠が教校でも示されていませんでした。

これも、2005年頃、WEB上での教理勉強の時に、おさしづを読みながら公刊していた「みかぐらうた本」の版木を作り変えてよいかと伺うおさしづを見つけて、版木が認められているならば、ましてや文字を変える事にも言及されているならば、このおさしづで十分現在の「みかぐらうた」が親神様が承認された証拠となると思い、「続ひとことはなし その2」から調べて、これもHP上に上げていました。

そして、今回見つけたおさしづを読むと、解釈を出すことについての注意が書かれていました。

今回、私が読めなくなり、躊躇していた事に対する回答がここにあったと思うばかりです。

以下に、以前HPに掲載していたおさしづを書いておきます。

※気になるところを太字にしておきました。

※また、年代を追ってみて見ると、その時その時に応じて親神様のご指示が変わってきている事がわかると思います。こうした事は、親神様のお言葉をお使う時に、とても重要な事だと思います。

・・・・・・

みかぐらうた再版、解釈についてのおさしづ

十二下り及び解釈版行についての「おさしづ」
1、明治24年7月31日
2、明治25年1月10日
3、明治26年3月31日
4、明治33年5月31日
5、明治33年7月14日
6、明治33年11月5日
7、明治34年3月29日

註;1~3、5~7は「続ひとことはな志 その二」;p100に掲載

 

おさしづ文

1、明治24年7月31日
『炊事場普請御許しの願』
さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる処さあ/\普請々々一条。今一時どちらもこちらも仮家、十分の処というは先になるによって皆仮家。あちらも取り払い、何時模様変えるやら分からん。今にして今に取らんならんやら分からんで。切り無し/\と言うてある。いつまでの長い間を見ては、どういうものと思て切り無し普請。一寸年限知らしてある。十分経ち切り、一寸掛かり掛け。皆掛け出し普請。あちらも不足、こちらも不足。不足やなけらいかん。十分分かりてあるによって、一寸仮家普請にして、明日日に建て替えせんならんやら分からん。日々の処、切り無し普請という心持って、どんな建て方でもどんな事も許し置くによって、何時なりと心置き無う掛かるがよい。

『同時、巽の角伊兵衞地所に三方へ石垣の御許し願』
さあ/\決まり、一寸仮の決まりも無けらいかん。一寸仮にあちらの石、こちらの石寄せ、出けたかというは、又崩さんならんやら。何時なりと掛かるがよい。心置き無う許す。

『同時、中山会長御居間古家取り払い御許しの願』
さあ/\何時なりと、すっきり十分許し置く。

『同時、おかぐら十二下り版木、前の分損じたるに付更に版木製作の願
さあ/\まあ今の処、別にこうという事情、実際に持たず、そのまゝじっくとして置くがよい

押して、暫く見合わせ置く方が宜しう御座いますや
さあ/\まあ/\今の処、そのまゝじいと用いて置くがよい

2、明治25年1月10日
神楽歌本再版致しましたものにや、原版をさらえて其儘使用して宜しく御座りますや伺
さあ/\尋ねる事情、事情々々尋ねる処、さあ/\まあ一時改めてこうという、一つには前々以てこうという。又改めて急かにゃなろまい。そこはどちらなりと事情心次第に委せ置くによって、運ぶよう。又々、変わる変わらん、万事何か尋ねて。これ運んだる処は委せ置く

押しての願
さあ/\その処はこうという処、これまでよきという処委せ置く

3、明治26年3月31日(陰暦2月14日)
 『かぐらうた版行の御許し願
さあ/\尋ねる事情/\/\、続いて/\/\だん/\続く/\、心置き無う/\、事情急いでするがよいで。

4、明治33年5月31日
『松村ノブの五月三日のおさしづに、天然という御言葉を下された処に、如何の処の事でありますや、押して願(尚小人義孝夜分非常に咳きますから併せて願)』
さあ/\尋ねる事情/\、さしづあれど、事情どういう事もこういう事も、皆さしづ以て順序の理。所々それ/\皆んな治まりある。身上から又々尋ねる処、よく事情諭す。分からにゃ尋ね返やすがよい/\。これではとんと分からんと言えば、尋ね返やすがよい。中にも諭したる。又候々々重ねて尋ねにゃならん。さあ/\これ聞き分け。前々に天然自然と諭したる。天然自然というは、誰がどうする、彼がこうしょうと言うても出来ん。独り成って来るは天然の理。金でどうしょう、悧巧でどうしょうというは、天然であろまい。世上から見て、珍しいなあ。何処から眺めても成程、というは、天然に成り立つ理。この理聞き分け。思案してみよ。それより明らかは無い。この道理皆伝え。銘々治め。内々それ/\治め。それから始まった道。急いても出来ん、又しょうまいと思ても出来て来るは、天然の道と言う。よう聞き分け。どれから眺めても成程と言うは天然。これ聞き分け。身上案じる事要らん。案じる事要らんと言うたら、案じた分にゃならん。ついに案じる事要らんようになる。だん/\もう仕舞なったなあ、どうや知らんと言うて、又一つの理も取り直し/\、そら一つ肥するも同じ事。これ一つ理を悟ってくれにゃならん。

『押して、たゞ今おさしづを承りし処、今度中西牛郎に十二下り解釈を致させて居りますが、この件に掛かりますや願
さあ/\尋ねる事情/\、それ天然と言うたるで/\。これ一つに悟ってくれ。何程発明利巧な智者や学者でも、行くものやない。たゞ言葉で八方という。未だ鮮やか分からん。急いた処が行かん/\。この道何も紋型無い処から、天より天降りて始め掛けたる道。誰も分からんから、天より天降りて始めた道。誰が掛かりたかて、そら分からん。そこで、どうしょうこうしょうと思たて、一時成るものやない。なれど、何年経ったて通り抜けにゃならん。どうで危ない所も、怖わい事もあろ/\。年限重ならにゃ出来やせん。だん/\道理から、だん/\ほんに珍しい事しよったなあ、悪い事も聞くなれどなあ、そうやないなあと、明らか重なりて往還の理と諭し置こう

『押して、中西はそのまゝ仕事をさせて宜しきや
さあ/\どういう事もこういう事も、皆あちらでもこちらでもする。これが誠や。それ/\出て来る。連れ戻ったる。怖わいと言うて来るものやない。皆肥やどんな者もこんな者も、年限の内に立ち寄る。金銭出したとて雇われん。一つどういう、こういう、掛かりた処が出けん。どれだけ悪口言う者もある。言うた処がそら世上へ知らすのや。そこでぼつ/\掛かるがよい。この道具に使う。急いた処が行くものやない。ぼつ/\掛かるがよい。

『松村吉太郎五月十七日身上のおさしづにどんと治まって云々は、こたまの事情に掛かりたるように思いますが、こたまの件は如何致して宜しきや』
さあ/\尋ねる処/\、悪い者やなかった。善かろうと言うてしたる事はどうもならん。悪い者やなかった。悪い風に誘われ、余儀無い一時の道を失うたる。そこで、銘々親に代わって、心に掛かれば、心に掛からんように明らかして了うがよい。

『前川の方片付けたら宜しい御座りますや』
さあ/\片付けて了え/\。

『こたまの籍を引き取りまして宜しきや』
さあ/\どうも一時、どうしょうと言うた処が行こまい。悪い風に誘われ、取り損いはどうもならん。これまでさしづ及んだる。風に誘われたのは、銘々の恨みと諭し置こう。

『又梶本楢治郎昨年より分教会へ連れ帰り居るが如何致して宜しきや』
さあ/\尋ねる処/\、一つと言うや二つ。道理という、どうもならん/\。一人はどうもならん。こうと言うた処が、風に誘われ、又銘々思う存分、心を吐いた処が日々添わん。人に治める処は、治めにゃならん。放って置かれん。年限理を以て改めてやれ。心から改まらにゃ、改まりたとは言わん。口で言うた処が、心に改まらにゃ、真実改まったと言えん。これだけ諭したら、どんな事も分かる。

『押して、そのまゝ分教会に置く事願』
さあ/\どうも、さあ一時どうしょうと言うても、どうもならん。ほんの言葉一つで、今日から分ける事出けん。何か天然の道理持たにゃならん。天然はいつになっても、天然で通るだけは、どうでも連れて通る。これ聞き分けたら、怨むやない程に/\。銘々心恨みと諭し置こう。

5、明治33年7月14日
『天理教別派独立の件に付内務省へ書面差し出し置きし処、信徒を取り調べの事に対し、各府県より内務省へ種々の事申し込み有之、よって今少し確実のもの提出せば却って教会のためかと言われ、よって十二下りを郡山の信徒中西牛郎に解釈させて大綱を内務省へ出す事御許し下されますかと願
さあ/\何か尋ねる事情/\、前々に一寸一時事情、いかな事情どういう処、高い所という。あれから一つ理合うたら何も言う事無い。高い所は世上の理である。この道というものは、どういう処から成り立った。遠い所高い所は何にも分からせん分からせん。一時に出来た道やない。細い道から出来たもの。そこで、もう遠からず道見えるで。心しっかり持って、皆んなの綺麗な心より働きする働きせねば何にもならん。どんな者こんな者、皆綺麗な者。むさい事では何にもならん
さあ/\もう、どうも一時ならん。道理から聞き分け。どんな大風、雨が降らん、旱水という。月日待っても降らん。どういう事こら何処から出来るものぞ。これも分からせん。又一時に吹き落され、一夜の間にはまりて了う事もある。これも何処から出来るか分からせん。よう考えてみよ。この元一つ、よう聞き分けてくれ。上さえさあと思うたらこれで結構、と思うなれど、この道は容易では行かん。容易では成り立たん実というもの世界に治まりて、道理成り立ったら出来るもの。もう長い間やない。遠からず成って来る。俺が許した、彼が許した、という事は無い。独り成って来る。世界治めて居る者一人ある。始めて居る処へ、どうという処から、持ち出す。出すものは、どし/\出すがよい/\。隠し包みしてゝはならん。十分心に通り抜けたら聞く者ある。出抜けた者ある。あちら騒がしこちら騒がし、こちら聞いたら悪い、又あちら聞いたら善いと言う者もある。そこで、何よの事すっきりこちらからあちらへ耳の通り抜けた者に入れば、一時早業に火を移すようなもの。さあ/\心置き無う一時出すがよい。未だ/\掛かり掛け。独り分かりて来る。

『増野正兵衞、松村吉太郎明後日上京する願』
さあ/\尋ねる処/\、一日も早う出すがよい。

ふでさきの処、大裏で建物して其処で調べをさして、その後別席場に用うるための建物の儀願』
さあ/\尋ねる処/\、それは道すがら道理ある。理に委せ置く。あちらから一寸、こちらから一寸、何か一つ/\道理無くば、成り立つものやない。よう聞き分け。何か、どうぞこうさしてくれ、と言うは、ならんと言わん。年限道すがらである。何よの事も道という心以てすれば、どんな事も許さんと言うた事は無い。さあ/\掛かるがよい。

『押して』
さあ/\どんな事も許す/\。

6、明治33年11月5日(陰暦9月14日)
十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願
さあ/\尋ねる処/\、さあ理というもの、変えようにも変えられはせん。理を変えて道があるか理を変えて居るもの世上にまゝある。この道聞き分け。文字抜き差し、上が下に、下を上に、言葉の理に変わり無ければ幾重の理もあろう一文字でも理が変わりたら。堅く/\言うて置く。とても/\理を変わりては道に錆を拵えるも同じ事。一つの道具、そこに使う道具無かったら、皆んな揃うて居ても見て居にゃならん。どうでも一つの理を欠く事出来んつとめに手を抜いたる処あれば、心に唱えたら同じ事すっきりと人間心で、こらどうそらどう、理を抜いたら、これは半文字もいかんで

押して、再版の事願
さあ/\理の変わる事すっきりならん理が変わらにゃ、上が下になるやら、下が上になるだけ。理が変わらんよう

十二下り解釈講社一般へ出す事の願
さあ/\尋ねる処/\、今一時どうとは言えん。何よの事もじっとして居るがよい。今世界からどうやろうかこうやろうか、一つの気が立ったる。そこで理というものは、読みようで変わる。一時暫くこのまゝで行くがよい。世の中時々の道理変わる。世上の悪気、心変わる/\。変われば世界撫で廻しても、何処も優しきものやで

7、明治34年3月29日
本部十二下り再版する願
さあ/\だん/\事情々々運ぶ処、改めて/\別に改める事無い。ほんにこれでは版使われん/\かと言えば、何度も仕替えにゃならん。変わらん事情一つの理にあれば、何時なりと許し置こう

・・・・・・・

以上です。