このブログの、アクセス解析を何気に見たら、
タイトルに「心の守り、身の守り」が。。。この時に話したかった事。
この記事だけが表示された。
読み返してみると、2020年04月22日 16時39分28秒 | 思った事
去年の4月に書いたものである。
思い返せば、一昨年の2019年11月 愛知一斉団参をした折に北礼拝場でおさづけを取り次がせて頂き、不思議を見せて頂いてから今日まで、不思議の連続である。
まぁ。このブログを見れば、私の人生そのものが不思議の連続のようなものと言えるだろうが。。。
もし、あの団参で不思議を見せて頂かねばと思う事が何度もある。
それは、社会の動きと親神様の思召しのはざまに立つ時である。
どちらを取るか決断を迫られるのである。
信仰するのにしても、ワクチンにしてもしかりである。
この4月に書いたものは、お守りの話から、梅谷四郎兵衛先生の「お守りはいらぬ」と教祖に言われた根拠から、教えのを守る事の大切さを伝えたかったのであった。
世間ではまだまだ、医者薬を頼りにしている。
医者薬は先日書いたと思うが、修理や肥なのである。
自分たちの身体の状態を知る事。植物や動物と同じように自分たちも作られている事を知る事が、最大の目的であろう。
それを理解できたならば、これら体を借りるために必要な心について考えるのが、次の段階だと思えるのだが、どうもそこへはなかなか行けないようである。
心通りの守護である。
心について研究せねばならないだろう。
ところが、心を操る、洗脳という方向へ行ってしまっているようである。
洗脳と心の成長とは全く異なるものなのだが、支配したいという欲望から、教え導きたいという愛情へ成人しない事にはならないのかもしれない。
お道のお話は奥が深い。
(とても簡単に、仮名の教えとして誰でも分かるように書かれているのだが。。。上面だけで分かった気になってしまい、深いところまで分かろうとしない人間の浅はかさも、近頃特に感じている)
これを説けば、万巻の書になると教祖は言われた。
世の中には様々な教えがあり、様々な事が説かれているが、「おふでさき」を読んでおけば良いと言われたところの意味が最近分かって来たように思う。
これを知っていれば、どんな話を聞いても、迷うことなく意味を理解し、それに対応できるという意味に思えて来たのである。
天理王命と言えば神名である。様々な神と同じように思えるが、親神様といえば様々ある神の親であると分かるだろう。
元なのである。
元を知っていれば、理解できて、正しい事、間違っている事の分別が出来るのである。
しかし、元を知らず、自分たちの考えから出発するから、間違っている事を正しいとして、どんどん悪事を重ねる人も出てくると思う。
もう一つ、「親神様」の親から、親になる事を学べと言われているように思う。
ただただ生んだだけでは親とは言えないのである。
特に、生物の頂点に立ち、生物を思うがままに出来る知恵を授かった我々人間は。
と思えるのである。
小説を書き出して、親神様の苦労をすごく思うようになった。
今日も一日楽しんで生きたいと思う。