あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

「おふでさき」の隠された日付。。並び順の違うお歌。。12号

2021年09月06日 21時25分28秒 | 続ひとことはなし

昨日、「おふでさき」12号を読んで、「一列」と言われる人の心を澄ますことが、世界助けの上にはとても重要だという事を学んだ。

その時、私が使っている「注釈付きおふでさき」に、鉛筆で日付が書き込まれていた。

よく考えて見ると、私が第二専修科で卒論を書くときに、「おふでさき」の内容を知る上に勉強した痕跡だった。

「おふでさき」には、正冊といわれるものと外冊と呼ばれるものがある。

その外冊に書かれていた物を、ここに記したのだと思い出したのである。

そこで、「おふでさき」について書かれた2代真柱様の本を探したところあった。

それは『続 ひとことはなし』の「おふでさき」に関しての記述で、12号を解説したところであった。

今回はそこのところを、書き直したので、画像と共に記録しておく。

 

 第12号 『続ひとことはなし』158頁

 第12号は『おふでさき』全17冊中、最もお歌数の多い号で、24枚に、182首のお歌を収められている。
 尚、前段にも述べたが、正冊には、表記としては単に『12号』とあるのみで、執筆の年代もなく、又、教祖の年令もないが、外冊中山本第12号(85以降)に添加されている表紙によると、
 明治9紀元より2536年 被下候(くだされそうろう)
 外冊 神様直筆 79才 老女
とあり、第12号の大部分は、明治9年の作で、頭初2首のみが明治8年12月27日の作であり、第3首から、明治9年3月14日よりの作である事を知る。
 尚、付言しておく事は、第12号には執筆の日付が比較的に多く、正冊にて7カ所、外冊にて15カ所。ただし、正冊の日付は6カ所まで外冊と同カ所であるから、次のように都合16カ所の日付がある事になる。

 日付についての正冊と外冊との比較表

 お歌番号   正冊         外冊(梶本本・中山本)   外冊(その2)
   1    12月27日より   12月27日より
   3    3月14日より    3月14日より
   7    4月4日より     4月4日より        4月4日
  11    5日         5日
  14    12日        12日より         4月12日より
  22    14日        14日
  31               17日
  44               24日           24日
  47               5月11日より
  54               12日
  58               13日
  62               24日7つときよりはなし
  70               25日4とき
  85               うる5月1日9半
 111               3日より8半とき
 157    6月28日5ときよりはなし

 これらの日付によって、執筆の日とお歌の連鎖とが明らかになり、研究上の便宜を得ると共に、表記の年月が『紀元より2536年』とあるごとく、太陽暦を使用されているにたいして、本文の日付も一応は太陽暦のように思われるに反し、第12号85の日付に『うる5月1日9半』とあるにより、明らかに太陰暦の日付である事を物語っている。つまり、教祖は依然として、従来の慣例により太陰暦を用いられていた事が知られ、表記の文字は、その頃の新暦たる太陽暦を用いている点、これまた、筆跡のみならず、用語例よりも、教祖ならざる者の筆である事を証明されるところである。ちなみに、明治9年は太陰暦によれば5月うるで『うる5月1日』は太陽暦の『6月22日』に相当する。
 また、日付のあるものと否とは、あるいは草稿と浄書本との区別のように思われる節もあるが、この点は他日の研究にゆずる。

とある。

「おふでさき」とは、教祖が直筆で書かれたものであるが、その中でも、天理教教会本部に現存する「17号のおふでさき」を「正冊」と呼び、今公刊されているものである。それに対して、それ以外のものがいくつか現存しており、それを「外冊」と呼んでいる。

二代真柱様は、その「正冊」と「外冊」とを比較研究して『続 ひとことはなし』(33頁より)にまとめられているのである。

そしてもう一つ、私の注釈付きおふでさきにはメモが記してあった。

それは、この12号には正冊と外冊とで並び順の違うお歌があると書かれており、『続 ひとことはなし』178頁で、外冊に沿って解釈をされている。

外冊の並び順を記しておく。

けふの日にどのよな事もゆうほどに
なにをゆうてもしよちしてくれ (12-150)

いまゝでも神のをもハくまゝあれど
ひがきたらんでしかゑいたるで (12-151)

だん/\ともふひがつまりきるからハ
どんな事でもゆうてをくぞや (12-152)

これまでハどこの人でもをなじ事
なにをゆうてもみなうたごふて (12-153)

このたびハほんしんぢつであるからに
これそむいたらすぐにかやすで (12-154)

せかいにわあめをほしいとをもたとて
このもとなるをたれもしろまい (12-155)

このもとをしいかりゆうてかゝるから
どんな事でもしよちするなら (12-156)

このはなし月日の心ばかりやで
にんけん心あるとをもうな (12-181)

この事をみな一れつハしんちつに
をもてたのめばどんな事でも (12-182)

六月廿八日五どきよりはなし
けふの日ハこのよはじめてないはなし
なにをゆうてもこれきいてくれ (12-157)

このよふわ神のせかいとゆいながら
どんな事でもしんわしらんで (12-158)

このしんをまことしんぢつしてみせる
これみたならばみなとくしんせ (12-159)

そして、解釈は、

 外冊にあっては、150のおうたから、紙が改まってあり、明らかに149のおうたと続かぬ事が伺われる。

 まず、今日からどんな話を始めても、納得して受け入れよ(150)、と宣言され、今までとて、親神の思惑は種々あったのだが、時が熟さなかったので控えていた(151)が、段々と日時が詰まって来たので、今日(こんにち)では、控えておられず、どんな事でも言っておく事にする(152)。これまでは、内外の区別なく、どこの人々も同様、教祖の話を皆疑っていたが(153)、この度は、もはや抜き差しならぬ時に至っているので、本真実を話すのであるから、この話に背くと、直ちに、親神は退くかえしをするのだから、よく心して聞け(154)とて、世間では、雨が欲しいと思っても、雨がなぜに降るか、又降らないかのその根本の理ー親神の守護を知らない(155)。今日はその根本の理を確かに話すから、よく理解しておけ(156)。

この雨の理の話は、人間心ではなく、月日の心から述べるのであるから(181)、その事を皆一列はよく承知して、教祖にもたれ、真実心から願えば、つとめによって、どんな事でも叶えてやろう(182)。

 外冊の順序に従えば、181,182のおうたは、156の次に次ぐ供養思われるゆえ、ここに解釈をつけておく。

とあります。

これらは研究する時に、とても大切な事だと思います。

また、この『続 ひとことはなし』を読んでみてもらいたいと思います。

webでも販売していました。

 

今日は、昨日作った支部例会の連絡を印刷するつもりでしたが、連絡する事が追加されて明日印刷をして配る事にしました。

また、バイトの連絡があったのですが、残念ながら日にちが合わず断りました。

ともかく、色々な事をしながらも、これを書き上げる事が出来て良かったです。

今日も一日ありがとうございました。

 

どうぞ親神様・教祖、大難は小難にとお守りください。

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