今年の成人の日は1月12日でした。ハッピーマンデー制度のおかげで3連休は増えましたが、個人的には、毎年同じ日付が祝日の方が好き。2000年以前は、成人の日は1月15日でしたが、私の郷里、新潟県・十日町市では、その頃、一番雪が積もるので、成人式は5月でした。だから、1月15日は、成人の日というより、「小正月」のお休み。
私の子供時代の小正月といえば、「ほんやら洞」作り。他の地方では、「かまくら」と呼ぶようですが、雪で作るドーム型の家です。兄弟3人とも、まだ「ほんやら洞」で遊ぶような年頃だった全盛期には、中の広さが2畳ほどもある大きな「ほんやら洞」を作ったこともあります。雪でできているのに、中はけっこう温かく、こたつを入れてトランプや花札をしたこともあります。
亡くなった母の誕生日は1月14日で、毎年誕生日カードを送っていましたが、ときどきその返信に、町内会の小正月の行事に駆り出された…というようなことが書いてありました。「賽の神」とか、「どんど焼き」とか書いてありましたが、私は行事に参加したことがなかったので、どういうものか聞いたら、次の返信で詳しく教えてくれました。
いわく、
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◆「賽の神」は、小正月行事の一つで、雪国ではまだ続けている所が多い。このほか、「ほんやら洞」「鳥追い」「もぐらたたき」等もやる。いずれも健康祈願、農作物の方策を祈願する行事である。だんだん規模が小さくなっているようだが、野沢温泉の「道祖神」は日本の「道祖神三大祭」のひとつにあげられているほど盛大である。
◆母の生まれ育った地域(長野県栄村白鳥のあたり)の道祖神について
男子が10歳になると入会し、10~15歳の男子のみの会。正月4日から全員集合し、役員を決めて、子供たちで企画、運営する。
・宿を決める
・神様を作る人を決める
・芯木(しんぼこ)を寄付してもらう家を決める
・「木だし」を作る人を決める
道祖神祭のために、木と藁で、中に人が4~5人立てるくらいの広さがある建物を作るが、その中心に置くのが「芯木」。芯木を中心に支えの木で形作り、藁をかぶせて、三角錐型の建物を作る。中には神棚を作り、男女の道祖神を祀り、お神酒も供える。
1月14日の夕方までに作り、その夜は、交代で2~3人ずつ中で眠る。近くに祓いしていた道祖神宿があり、ここでも15歳以上のものが、交代で泊まる。
1月15日には、皆が宿に集まり、そうじやご馳走作りの準備。夕方にはほら貝を鳴らして村人を集め、皆、道祖神をおまいりしたり、賽銭をあげたり、お神酒をいただく。そのあと、ほら貝の合図で、木と藁でできた建物に火をつけ、書初めや古道具、ノートなどを燃やして、上達を祈願する。焼き初めの火で、餅やするめを焼く。この火(どんど焼き)であぶった食物を食べると、一年中病気にならないと言われた。その後は、道祖神宿でかるたや花札で遊び、片付けは翌日。
翌日(1月16日)は、午後から隣組単位で「鳥追い」や「もぐら打ち」。
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芯木は、その年(註:道祖神の祭は1月に行われるので、おそらく前年の誤り)男の子が生まれた家から提供してもらうので、女子ばかり立て続けに7人生まれた祖父は肩身の狭い思いをしていたらしく、母の弟が生まれた時には、「今年は全部おれが出す」と主張したとか。昔は成人式がなかったので、「道祖神」の仲間入りが、そんなようなものであったのか、道祖神の仲間入りしたとたん、男子がクラスでも女子を見下すような態度になったものだ…などと書かれていました。
「鳥追い」や「もぐら打ち」は、鳥やもぐらが農作物の種や根を食べないように、声を出して、畑を叩きながら回る行事のようでしたが、その歌の歌詞も、十日町(新潟県)と、栄村白鳥(長野県)では違ったようです。
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【十日町】 あの鳥はどこから飛んできた。信濃の国から追ってきた。
【栄 村】 あの鳥は唐土(とうど)の鳥がわたって来ぬうちに…ごもっともごもっとも…。
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母は手紙に年を書きませんでしたが、この話を書いてくれた手紙の日付は1月27日。ちょうど母の命日でした。私が実家にいる頃は、母は忙しくて、こういう昔話を聞くこともありませんでしたが、文通していたおかげで、7-80年前の行事を知ることができました。
忘れていたことも多いし、気づかなかったこともあると思いますが、子どもが村に溢れていた時代、大したイベントもなかった時代ですから、真冬の大事なわくわく行事だったのでしょう。
母とユキツバキさんの世代差ということもあるかと思います。
十日町でも、どんど焼きや鳥追いをしていたようですが、私は参加したことがありません。
お正月明けから準備が始まる半月がかりの行事ですから、その頃は、1年の中でも一大行事だったのではないでしょうか。
真っ暗な中のどんど焼きはとてもきれいだったとか。
展示されますね。
10人くらい楽に入れる感じで、ストーブやこたつを持ち込んでもちを焼いて食べたり、甘酒を飲んだり、とみそっかすだったけど混ぜてもらって楽しかったです。
一応、町場だったので鳥追いとかはした記憶がないのですが、少し離れた母の実家では農家だったこともあり、従姉妹たちは鳥追いもしていたようです。
ほんやら洞は翌日は中に入ってはならない、ということで翌々日には危ないからと崩してしまっていましたね。
十日町ではやはり小正月が休みでないのでいろいろ行事に影響があるみたいです。
十日町では米粉細工は、「ちんころ」と呼んでいます。節季市などで売られていました。ホスピスに入ってから無表情になっていた兄ですが、私が手作りのちんころ(不細工でしたが)を持っていったら、とてもびっくりしてくれたので嬉しかったです。
そうそう、こたつやストーブを入れても大丈夫でしたね。暖房器具も変わったたので、ストーブで焼いた餅が懐かしいです。
寒いのや雪は大嫌いですが、子供の頃はそれなりにいろいろ楽しんでいたんだなぁ…