今年もインドから、チャッティスガル州にある、ジャラーラーム寺院設立9周年式典の招待状が届きました。毎年、送ってくださるご厚意がありがたいです。
去年までと違うのは、招待状がヒンディー語ではなく、グジャラーティー語だったということ。チャッティースガル州の公用語はヒンディーとチャッティースガリーなので、グジャラーティーは話せても、読み書きできない世代が増えつつあることに、危惧を感じているのかもしれません。
左:今年のグジャラーティー語(ピンク)
右:去年のヒンディー語の招待状(赤)
去年までの招待状は、ヒンディー語で書かれていたので、さっそく、それを見ながら、グジャラーティー語の招待状の解読に挑戦。グジャラーティー文字は、ヒンディー語に使うデーヴァナーガリー文字と似ているので、慣れれば、デーヴァナーガリーに置き換えるのは、さほど大変ではありません。ふむふむ、数字も違うのがあるのか…、ややっ、ヒンディーにはない発音の文字もあるのねぇ…なんて、いくつか新しく発見したこともあって、楽しくなってきました。
何時から何時まで、というのを、ヒンディーでは、「何時 se 何時 tak 」というのですが、グジャラーティーでは、「何時 thii 何時 sudii」というとか、およそ役に立ちそうもない、断片的な知識とはいえ、新しく知るのは、なんだか嬉しい。そんな感じで、裏表4枚の招待状を解読していたら、na, ni, ne が出てきました。ヒンディーの ka, ki, ke にあたる、日本語では「○○の」の「の」、つまり所有格の「の」だと思うのですが、ペルシャ語じゃなくて、グジャラーティーだったのか!
以前、ペルシャ語で書かれていると思っていたのは、パールスィー料理の本。パールスィーの人たちの多くは、マハーシュトラ州にあるムンバイや、隣のグジャラート州に住んでいて、日常会話は英語だということですが、料理の名前はグジャラーティー語だったのでしょうか?グジャラーティー料理の本に書いてある野菜の名前とは、ちょっと違っているのもあったので、インドのパールスィーの人たちは、ペルシャ語とグジャラーティー語の語彙を両方取り入れていたのかも。
去年のヒンディーの招待状では、サンスクリット系の単語だったものが、グジャラーティーの招待状では、アラビア語系やペルシャ語系の単語に置き換えられていたのも興味深かったです。ジャラーラームは、ヒンドゥー教系の宗教だから、普通だと、ことさら、サンスクリット系の単語を使いそうなものですが、グジャラーティーにすると、しっくりこないんでしょうか。グジャラート州は、アラビア海とも接してして、西から異民族が入ることが多かったので、グジャラーティーの単語にも、早くからアラビア語やペルシャ語の語彙が入っていたのでしょう。
招待状の最後のページは、ジャラーラーム寺院の設立に至るまでの、主催者(グジャラーティー協会)の発足の歴史など、去年の招待状には、載っていなかったことも書かれています。さらに読解を進め、しばらく楽しみたいと思います。
去年までと違うのは、招待状がヒンディー語ではなく、グジャラーティー語だったということ。チャッティースガル州の公用語はヒンディーとチャッティースガリーなので、グジャラーティーは話せても、読み書きできない世代が増えつつあることに、危惧を感じているのかもしれません。
左:今年のグジャラーティー語(ピンク)
右:去年のヒンディー語の招待状(赤)
去年までの招待状は、ヒンディー語で書かれていたので、さっそく、それを見ながら、グジャラーティー語の招待状の解読に挑戦。グジャラーティー文字は、ヒンディー語に使うデーヴァナーガリー文字と似ているので、慣れれば、デーヴァナーガリーに置き換えるのは、さほど大変ではありません。ふむふむ、数字も違うのがあるのか…、ややっ、ヒンディーにはない発音の文字もあるのねぇ…なんて、いくつか新しく発見したこともあって、楽しくなってきました。
何時から何時まで、というのを、ヒンディーでは、「何時 se 何時 tak 」というのですが、グジャラーティーでは、「何時 thii 何時 sudii」というとか、およそ役に立ちそうもない、断片的な知識とはいえ、新しく知るのは、なんだか嬉しい。そんな感じで、裏表4枚の招待状を解読していたら、na, ni, ne が出てきました。ヒンディーの ka, ki, ke にあたる、日本語では「○○の」の「の」、つまり所有格の「の」だと思うのですが、ペルシャ語じゃなくて、グジャラーティーだったのか!
以前、ペルシャ語で書かれていると思っていたのは、パールスィー料理の本。パールスィーの人たちの多くは、マハーシュトラ州にあるムンバイや、隣のグジャラート州に住んでいて、日常会話は英語だということですが、料理の名前はグジャラーティー語だったのでしょうか?グジャラーティー料理の本に書いてある野菜の名前とは、ちょっと違っているのもあったので、インドのパールスィーの人たちは、ペルシャ語とグジャラーティー語の語彙を両方取り入れていたのかも。
去年のヒンディーの招待状では、サンスクリット系の単語だったものが、グジャラーティーの招待状では、アラビア語系やペルシャ語系の単語に置き換えられていたのも興味深かったです。ジャラーラームは、ヒンドゥー教系の宗教だから、普通だと、ことさら、サンスクリット系の単語を使いそうなものですが、グジャラーティーにすると、しっくりこないんでしょうか。グジャラート州は、アラビア海とも接してして、西から異民族が入ることが多かったので、グジャラーティーの単語にも、早くからアラビア語やペルシャ語の語彙が入っていたのでしょう。
招待状の最後のページは、ジャラーラーム寺院の設立に至るまでの、主催者(グジャラーティー協会)の発足の歴史など、去年の招待状には、載っていなかったことも書かれています。さらに読解を進め、しばらく楽しみたいと思います。
いえ、私の場合、言語というレベルじゃないですよ。パズルみたいなもので、実際に使えるというか、日常会話ができるレベルは日本語だけです。
akberlinさんこそ、日本語のレベルは高いし、英・仏・独語と、実際に会話できるじゃないですかー!!百年かかったって、そこまでたどり着けそうもありません。
読める言語だって四苦八苦なのに、文字の違う
言語をいくつも・・・て。
とーこじー、インド人でもないのにすごすぎます・・・。てか、すでにインド人から「日本にいる娘」と公認ですからね、インド人か・・・。