ものぐさ日記

ひとり遊びが好きな中年童女の日常

故郷を愁う

2014年05月06日 | まいにちのできごと

 3年前まで、「みどりの日」前後は毎年十日町に帰るのが恒例でした。母や兄が亡くなった後は、いろいろ思い出してつらいので、日をずらして、ゴールデン・ウィークの前半に帰省しました。今回の目的は叔母や友人達に会うことと、和箪笥の中身の処分。

 

 母が生きていた頃は、帰省すると、「とーこにやってもらう仕事」リストができていて、帰省中、それをこなすのに忙しく、友人に会う暇もありませんでした。というか、家の近所のスーパーや、仕事リストにある銀行や市役所などの行き先以外に行くこともなかったので、十日町の町中もほとんど見ることがありませんでした。母が亡くなってようやく友人たちと会うことができましたが、みんなおどろくほど変わっていない…老けたのは私だけ。

 母の妹である叔母達4人にも会えて満足。ほんとうは、ゆっくり話をしたかったのですが、アッシーをしてくれる兄の体調もあり、予約して訪問することもかなわず、突然押しかけて失礼をしてしまいました。信濃川から千曲川に変わる土地の景色は、春ならではの格別なものでした。その前にこの景色を見たのは、絵手紙で賞をもらった叔母の作品を中心に、それぞれの短歌や俳句、手芸作品などを展示した『姉妹会』で長野県・飯山市を訪れた時でした。それがもう11年前。

 私が住んでいる埼玉も田舎ですが、近くに山がないし、植生が違います。雑草といっても、十日町の草は瑞々しくて食用にもなりそう。埼玉や東京でも山菜は売ってはいるけれど、見かけても全く食欲が出ません。亡くなった兄は特に山菜好きでしたが、山菜から新鮮な生命力を分けてもらっていたのかも。

 子供の頃よく行った、母方の祖父母の家を見に行き、兄から今まで聞いたことがなかった思い出話なども聞くことができました。

 実家の仏壇にある「過去帳」をひもとき、享保から続く父方の先祖の名前を知ることもできました。

 

 と、郷愁に浸りきっていたのですが、実家で慄然とする小冊子を目にしました。『原子力災害対応ガイドブック』。十日町市の一部が、休止中の柏崎刈羽原子力発電所から半径30km以内の避難準備区域に該当するので、十日町市の全戸に配布されたようです。休止中であっても、原発事故が起こらないわけれはなく、地震が起こるたびにぞっとします。原発は日本に50基以上あり、原発から半径5km以内の即時避難区域、30km以内の避難準備区域は全国のいたるところにあります。十日町市の『原子力災害対応ガイドブック』には、事故が発生した場合、①正しい情報の入手→②屋内避難(安定ヨウ素剤の服用、飲食物の摂取制限→③避難とありますが、避難先は候補地であり、決定しているわけではないようです。

 

 

 


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