一人で国政を決定する首相
日本の国は、菅直人というただ一人の男に牛耳られている。衆参国会議員全員が束になってかかっていっても、この男一人が首相を辞めないと頑張ったら、どうすることもできない。日本中の政治家は、虚しく途方に暮れる以外にない。菅氏以外の男が首相なら、ほとんどの男は、いまの菅氏のように四面楚歌にたたされれば辞任するだろう。だがこの菅直人という男は、いささか通常人とはセンスが違う。ホラ、あの梅雨時に出てくるムカデ、恐ろしいのでハサミで二つに切っても動いている。あれと同じで菅首相も、切り刻まれてもまだまだ動いている、あのようなゾッとする生命力を感じさせる。
彼がやっと首相の座を手にしたのは昨年の六月だった。「何をやる」という政策はなくても、首相になるのが彼の夢だったのだろう。以来何度も彼を引きずり降ろそうという動きはあった。野党ばかりではない、与党の中からも厳しい妨害は繰り返されたのだが、彼は何度も絶体絶命の危機に追い込まれたように見えて、他の首相だったら、とっくに政権維持をあきらめる場面にたっても、この男にはそんな過去の常識なんて通用しなかった。
目標はただ一つ、首相であり続けること
菅直人首相、日本に現れた従来はなかった型の稀代の総理大臣である。彼のすさまじい政権への執着を見て、彼を独裁者だと評する者もいる。だが私はどこか違うと思う。独裁者は強い強制力をもち威圧力がある.
国民に為政者の求める政治を強引に押し付ける。だが彼に特別の国政の基本方針自体あるというのではない。何もしないしできないのだ。しかも彼はその場の思いつきで、閣僚にも諮らずに次々に政治方針を変更するから、何を求めているのかも分からない。
察するに、おそらく彼の頭の中は空っぽで、菅氏ならではの特別な政策など探してみるだけ無駄なのだろう。国会の答弁においても、記者会見でもその他の場合でも、首相の言うことはコロコロ変わり、自分の過去に言った答弁などにはとらわれない。閣僚までがそんな首相に追い付いていけず、ウロウロするばかりの状態なのだ。閣僚にさえ、首相として、彼が何をやろうとしているのかもわからない。そんな彼の政策を、彼の発言から掴もうとしている評論家などもいるようだが、無駄な努力だ、止めておいた方がよい。
彼は過去の自分が約束したことなどには、約束してもらった国民のようにこだわってはいない。具合が悪ければ、すぐに発言を変えるだけなのだ。
彼にとって、自分のする政治など、どっちを向いても構わないのだろう。ただ日本国の首相は俺だ。俺が主役で政治を指導している。そのことが大切な条件なのだ。
全共闘時代の生き残り
彼ほど純粋に自分が首相であり続けることだけに全精力を集中し、その維持のためには仲間でも平気で裏切って、どんなことでも犠牲にする男は、日本の歴代首相で見たことがなかった。
公職というものは、どうしても自分の一挙手一投足が国民の暮らしに直接響いていく。そのためかなりに我儘身勝手な男でも自分が政権の座に着くと、国民のことをついつい考えて、自分のことより国民のことを大事に思ってしまいがちだ。しかし流石に彼は、かつての全共闘時代の戦後のエゴイズム風潮の生き残りだ。自分を見失うようなへまはしない。
彼に関して書き遺した市川房江氏の印象や、過去に一緒に戦った仲間たちの、「菅とは一緒に組めない」とそろって彼から逃げようとする気持ちもよくわかる。菅氏は「俺が、俺が」の時代に育った、「最後に頼れるものは自分だけしかない」と信じて動く冷たい男なのだ。追い詰められたら仲間を見捨てても自分は生きようとする。これは菅氏の生き方なのだ。この男は確実に日本のこれからの歴史を変えるだろう。
騙されるほうがこの世界では悪いのさ
一月前に内閣不信任案が通りそうになると、彼は大胆な賭けに出た。与党内の分裂を表に出すよりは、すぐにでも政権を譲る男である風に見せかけて、「この不信任決議にだけは乗らないでくれ」と鳩山を動かして与党が反対に回って内閣がつぶれる難局を切り抜け、これにより不信任案が否決されると、「すぐやめるなどとは約束しなかった」と居直りの姿勢。
議会が会期内に同じ議題を何回も出さないという原則を利用して、これで国会開会中の自分の立場を安定させた。そして議題がなくても国会を閉会させずに延長し、その間自分が首相である立場を維持しようと試みる。
閉会すれば、また不信任案が出され、今度こそ可決される可能性が高い。首相にとって、震災復興がどうなるか、福島の事故がどうなるかなどはどうでもよいのである。首相はこれらの緊急の問題に、私が責任者として取り組みたいと云うばかりで、いつまでたっても成果は上がらず、どう手をつけるのかさえもわからないありさまだ。
誰も菅内閣でなければ震災復興や原発問題の処理はできないなどとは言っていないのに。それよりむしろ、菅内閣では復興などをする力がないと大かたのものが認めているのに。
狙うはただ一つ。自分が首相である期間を一日でも長く続けることなのだ。
分かりよい。実に分かりやすい理屈である。そして自分が首相であり続けるためには、政策も政党もあらゆるものを犠牲にしても気にしない。ひたすら首相の延命を図るだけである。
菅首相の腹はどこにある
菅首相の今後の狙いはどこにあるのか。彼はもう、二度と彼を信用してくれない国会をこれから残そうとは思っていまい。おそらく九月には国会を解散して、また思いつきの政策でも掲げて最後の勝負に出ようとしている。
その選挙のために、彼は国会の解散を指令する。「選挙のために」菅氏は国民の耳触りのよいスローガンを固めていま準備を重ねている。
震災復興など国民の切実に求めるものは置いておいても、「脱原発」と「新エネルギーの開発」の票を稼げそうなテーマを掲げて選挙する。それが現実にできることであってもできないことであっても、そんなことなど構わない。彼はこれを掲げて選挙を戦い、自分がうまく国民に受けて、再び首相の座に就ければ、しばらくはまた首相でいられる。
このかけは、小泉首相に似ているといわれるだろう。アメリカのいいなりに日本の金融市場をズタズタにした小泉首相は、それに反対した与党自民党員が参議院にいて、郵政法案が否決されたのに腹を立てて、なんと衆議院を解散し、この選挙は「小泉をとるか反対するかの一点に絞った選挙だ」と大宣伝を行って、大量の小泉チルドレンを当選させて大勝した。あれ以来、日本の選挙は小選挙区制プラス比例区という、ヒステリックな選挙が行いやすい制度に変更されてしまっている。民主党内閣ができたのも、この選挙制度への変更があったからだ。
菅首相はそんな選挙で、「原発はあった方がよいか、悪いか」、「安全なエネルギーを開発するか、原発を存続するか」に自分の支持を重ねて勝負をしようとしている。
さて、このたくらみに国民はどんな反応をするだろうか。
日本の国は、菅直人というただ一人の男に牛耳られている。衆参国会議員全員が束になってかかっていっても、この男一人が首相を辞めないと頑張ったら、どうすることもできない。日本中の政治家は、虚しく途方に暮れる以外にない。菅氏以外の男が首相なら、ほとんどの男は、いまの菅氏のように四面楚歌にたたされれば辞任するだろう。だがこの菅直人という男は、いささか通常人とはセンスが違う。ホラ、あの梅雨時に出てくるムカデ、恐ろしいのでハサミで二つに切っても動いている。あれと同じで菅首相も、切り刻まれてもまだまだ動いている、あのようなゾッとする生命力を感じさせる。
彼がやっと首相の座を手にしたのは昨年の六月だった。「何をやる」という政策はなくても、首相になるのが彼の夢だったのだろう。以来何度も彼を引きずり降ろそうという動きはあった。野党ばかりではない、与党の中からも厳しい妨害は繰り返されたのだが、彼は何度も絶体絶命の危機に追い込まれたように見えて、他の首相だったら、とっくに政権維持をあきらめる場面にたっても、この男にはそんな過去の常識なんて通用しなかった。
目標はただ一つ、首相であり続けること
菅直人首相、日本に現れた従来はなかった型の稀代の総理大臣である。彼のすさまじい政権への執着を見て、彼を独裁者だと評する者もいる。だが私はどこか違うと思う。独裁者は強い強制力をもち威圧力がある.
国民に為政者の求める政治を強引に押し付ける。だが彼に特別の国政の基本方針自体あるというのではない。何もしないしできないのだ。しかも彼はその場の思いつきで、閣僚にも諮らずに次々に政治方針を変更するから、何を求めているのかも分からない。
察するに、おそらく彼の頭の中は空っぽで、菅氏ならではの特別な政策など探してみるだけ無駄なのだろう。国会の答弁においても、記者会見でもその他の場合でも、首相の言うことはコロコロ変わり、自分の過去に言った答弁などにはとらわれない。閣僚までがそんな首相に追い付いていけず、ウロウロするばかりの状態なのだ。閣僚にさえ、首相として、彼が何をやろうとしているのかもわからない。そんな彼の政策を、彼の発言から掴もうとしている評論家などもいるようだが、無駄な努力だ、止めておいた方がよい。
彼は過去の自分が約束したことなどには、約束してもらった国民のようにこだわってはいない。具合が悪ければ、すぐに発言を変えるだけなのだ。
彼にとって、自分のする政治など、どっちを向いても構わないのだろう。ただ日本国の首相は俺だ。俺が主役で政治を指導している。そのことが大切な条件なのだ。
全共闘時代の生き残り
彼ほど純粋に自分が首相であり続けることだけに全精力を集中し、その維持のためには仲間でも平気で裏切って、どんなことでも犠牲にする男は、日本の歴代首相で見たことがなかった。
公職というものは、どうしても自分の一挙手一投足が国民の暮らしに直接響いていく。そのためかなりに我儘身勝手な男でも自分が政権の座に着くと、国民のことをついつい考えて、自分のことより国民のことを大事に思ってしまいがちだ。しかし流石に彼は、かつての全共闘時代の戦後のエゴイズム風潮の生き残りだ。自分を見失うようなへまはしない。
彼に関して書き遺した市川房江氏の印象や、過去に一緒に戦った仲間たちの、「菅とは一緒に組めない」とそろって彼から逃げようとする気持ちもよくわかる。菅氏は「俺が、俺が」の時代に育った、「最後に頼れるものは自分だけしかない」と信じて動く冷たい男なのだ。追い詰められたら仲間を見捨てても自分は生きようとする。これは菅氏の生き方なのだ。この男は確実に日本のこれからの歴史を変えるだろう。
騙されるほうがこの世界では悪いのさ
一月前に内閣不信任案が通りそうになると、彼は大胆な賭けに出た。与党内の分裂を表に出すよりは、すぐにでも政権を譲る男である風に見せかけて、「この不信任決議にだけは乗らないでくれ」と鳩山を動かして与党が反対に回って内閣がつぶれる難局を切り抜け、これにより不信任案が否決されると、「すぐやめるなどとは約束しなかった」と居直りの姿勢。
議会が会期内に同じ議題を何回も出さないという原則を利用して、これで国会開会中の自分の立場を安定させた。そして議題がなくても国会を閉会させずに延長し、その間自分が首相である立場を維持しようと試みる。
閉会すれば、また不信任案が出され、今度こそ可決される可能性が高い。首相にとって、震災復興がどうなるか、福島の事故がどうなるかなどはどうでもよいのである。首相はこれらの緊急の問題に、私が責任者として取り組みたいと云うばかりで、いつまでたっても成果は上がらず、どう手をつけるのかさえもわからないありさまだ。
誰も菅内閣でなければ震災復興や原発問題の処理はできないなどとは言っていないのに。それよりむしろ、菅内閣では復興などをする力がないと大かたのものが認めているのに。
狙うはただ一つ。自分が首相である期間を一日でも長く続けることなのだ。
分かりよい。実に分かりやすい理屈である。そして自分が首相であり続けるためには、政策も政党もあらゆるものを犠牲にしても気にしない。ひたすら首相の延命を図るだけである。
菅首相の腹はどこにある
菅首相の今後の狙いはどこにあるのか。彼はもう、二度と彼を信用してくれない国会をこれから残そうとは思っていまい。おそらく九月には国会を解散して、また思いつきの政策でも掲げて最後の勝負に出ようとしている。
その選挙のために、彼は国会の解散を指令する。「選挙のために」菅氏は国民の耳触りのよいスローガンを固めていま準備を重ねている。
震災復興など国民の切実に求めるものは置いておいても、「脱原発」と「新エネルギーの開発」の票を稼げそうなテーマを掲げて選挙する。それが現実にできることであってもできないことであっても、そんなことなど構わない。彼はこれを掲げて選挙を戦い、自分がうまく国民に受けて、再び首相の座に就ければ、しばらくはまた首相でいられる。
このかけは、小泉首相に似ているといわれるだろう。アメリカのいいなりに日本の金融市場をズタズタにした小泉首相は、それに反対した与党自民党員が参議院にいて、郵政法案が否決されたのに腹を立てて、なんと衆議院を解散し、この選挙は「小泉をとるか反対するかの一点に絞った選挙だ」と大宣伝を行って、大量の小泉チルドレンを当選させて大勝した。あれ以来、日本の選挙は小選挙区制プラス比例区という、ヒステリックな選挙が行いやすい制度に変更されてしまっている。民主党内閣ができたのも、この選挙制度への変更があったからだ。
菅首相はそんな選挙で、「原発はあった方がよいか、悪いか」、「安全なエネルギーを開発するか、原発を存続するか」に自分の支持を重ねて勝負をしようとしている。
さて、このたくらみに国民はどんな反応をするだろうか。