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天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

夢の実現

2022-09-13 08:20:00 | 神と人
令和4年9月12日天地の恵み
[科学に夢見るもの]ライン日記

御神尊様のことばに『宗教は科学的ではならない』とは、29才の時のことばです。

何かの番組で、ホログラフイーで登場する人形をみたことがあります。光があたると、3次元の立体像が生けるがごとく、その姿を見せてくれるのです。

その後、御神尊様の再現を考え続けたものです。未だに心の中のどこかに眠っていたのでしょう。

それが京都工芸繊維大学に、ホログラフイーの進化形が登場しているのです。原理は、1948年ハンガリーの物理学者、デニスガボールが発明、ノーベル賞を受賞しています。

科学の力で、まずこれを再現し、かってのことばに応えてみたいものです。やります!
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エネルギーの凝縮

2022-07-20 09:22:00 | 神と人
令和4年7月19日天地の道
[なぜ 人は合掌するのでしょう]ライン日記

合掌は、『人間の霊性が表現された最高のすがた』で『神に最も近いすがた』でもあります。そのかたちは精神的な高まりそのもの。

合掌はエネルギーの凝縮であり、ひきはなすことはできません。しかも『心のやわらかさと優しさ』を示しています。

そして、『見えなかった自分の欠点が見え、気づかなかったことに気づく』ようになります。それは『心のかたよりから、平らかさ』も身につけつつあるものです。

やがて少々のことには耐えられ、心の波立ちも時をおかず穏やかに、人間関係も楽しく、嬉しい時間を過ごすことができることで、周りの人はどんなにも安らかでしょうか。やります!

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民族の平和②

2022-03-29 08:39:00 | 神と人
令和4年3月24日人生の処方箋
[そこにある危機、そこにある平和]ライン日記
(今朝の❷)

中学生のころ、孤独の文学少年でした。なぜか詩人プーシキンの『太尉の娘』からコサック騎兵を思い出したからです。

記憶は曖昧ですが。コサック騎兵はウクライナにもいて、16〜17世紀にかけてだったか。仲間を守るために命をかけて戦う集団でした。ロシアの軍隊に向かい命懸けで戦うすがたは、コサックの精神を思わずにはいられません。

近代では、帝政ロシアと1930年にソ連のスターリンの圧政で年間400万から1000万人が餓死させられました。その辛酸を舐めた経験から、ウクライナは『今、国があっての生命』といっています。『日本では、命があればいずれ国は立て直すことができる』といいいます。本当にそうでしょうか?

ただし、日本は天災の国、支援をたくさんいただいてきました。だから助け合わなくてはなりません。だから、『健全なる民族の平和興隆』なのです。やります!

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民族の平和①

2022-03-29 08:36:00 | 神と人
令和4年3月24日人生の処方箋
[健全にして民族の平和興隆を祈念す]ライン日記
(今朝の❶)

ふたたび民族の平和興隆について、それが国家の争いに紛れる民族の争い。言語の争い。など。国の国境線に関わらず、民族が違う、言葉が違う、なにかと争いになります。

御神尊様は、先の大戦から宗教の布教をめぐり、戦争もあることを思いその犠牲に心を痛めています。だから、宗教を正義の旗印にして、戦争を戒めるのが表記のことばです。

表記の文言(モンゴン)を、教義としている宗教はおそらく世界ひろしといえど、私は聞いたことがありません。

それぞれの、民族の生活に融合した宗教としての道を示しています。けして宗教が戦争を主導してはなりませんが、実態はその逆です。この道がなぜそこにも生まれたか、思いを新たにお願いします。やります!



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2022/02/15

2022-02-15 09:58:00 | 神と人
令和4年2月14日人生の処方箋
(その6)[先師は己が道に至誠を捧ぐ]ライン日記

尊徳師は『奉仕と人のために生きる』身分差別の時代にありえないこと。そこに命をかけています。
御神尊様の運命探求の道も、『天地に祈って救済の道を悟る』にあります。

かくて、佐賀県多久市に昭和22年『瑞鳳園精神修養道場』を開き、戦後の『神も仏もあるものか』これも人心の荒廃、天地の公道と人の道を語り、神という言葉はつかわれませんでした。

時代の荒波は、日本の国体を崩壊させました。二宮尊徳師の農政と思想改革は、御神尊様の運命転換の絶対的、真理をうむことになりました。

時代を超えて真実の思想は、御神尊様に託され人間救済の道は、同心円の慈悲にあることを、ヒシヒシと心にきざまれました。長いことありがとうございました。
その日のことは、誠意、日々の繰り返しは至誠となります。やります!

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2022/02/15

2022-02-15 09:57:00 | 神と人
🔵令和4年2月13日人生の処方箋
(その5)[先師は己が道に至誠を捧ぐ]ライン日記

この項は、あと2日ほど、いただきたいと思います。よろしくおねがいします。

二宮尊徳師は、実践と理論を組み立て、誰もが、それを行えば、貧苦から解放される道としました。そもそも宗教とは、距離を置き、それは『祈るだけ、さわり祟りの責任にする』からです。

あくまでも天地の運行に合わせて、自らそれを実践する責任を問い、その努力を徳としました。この短歌がその心境を表しています。

『神の前千日去らず祈るとも 心邪なればその甲斐もなし』
『音もなく香もなく 天地は一切経を繰り返しつつ』

御神尊様も、その根本は、貧、病、争に苦しむ人々を棄ておくことはできず、その頃の祈祷宗教に疑問をもち、本当に神はいるのか。『私に苦難を与えよ』で20歳から修行にはいります。

さて、江戸末期の富士講、と実行教。さらには小田原から、二宮尊徳師の農政と思想改革の流れは160年前ごろ、佐賀におよび二宮尊徳師の

『神の前千日去らず祈るとも、心邪なればその甲斐もなし』
『音もなく香もなく 天地は書かざる経を繰り返しつつ』を御神尊様はたびたび説法されています。今日はここまで、やります!
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2022/02/15

2022-02-15 09:56:00 | 神と人
🔵令和4年2月12日人生の処方箋
(その4)[先師は 己が道に至誠を捧ぐ]ライン日記

おはようございます😃
けさは、長くなり、お付き合いくださり感謝です。

明治天皇の推奨による尊徳伝は多くの人に読まれ、苦悩者に生きる勇気を与えました。明治の大作家、幸田露伴の筆によって伝記となり、さらに拍車がかかります。

尊徳師の報徳仕法の弟子たちは、富士講で学んだ人も多く、一般の弟子よりも、学びにちがいがありました。その違いは『奉仕と人のため』が身についていたからです。死後も弟子たちの手によって、仕法は各地で大いに進んだとあります。

富士山登山を祈願して、富士講は生まれています。しかも女性を受け入れたので、江戸城大奥にも人気が高かったと資料にあります。

富士講開祖が、長崎に滞留しているとき、佐賀鍋島、小城支藩から医師の柴田花守も長崎に出張していて、富士講に感化され修行、許されて分派『神道実行教の初代管長』になります。

明治からは、大正、昭和初期に、信教の自由はなく、現人神(あらひとがみ)天皇を中心とする、国家神道で国政を自由にしていた時代です。

佐賀も新たな宗教は許されず、佐賀に生まれた実行教の佐賀県教会長として、父辰三郎に続き、御神尊様も教会長をつとめています。

ここで、二宮尊徳師との時代を超えた、苦悩者への慈悲が地下水流のように、表にあらわれてくるのです。
(ここまで、)やります。!
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2022/02/15

2022-02-15 09:55:00 | 神と人
令和4年2月11日人生の処方箋
(その3)  [先師は 己が道に至誠を捧ぐ]ライン日記

おはようございます。
江戸幕末期に、二宮尊徳師は農民出身で、父母を早くに亡くし一家離散の貧苦にあって、昼は全力で働き夜は寝る間も惜しみ勉学に励み、ついに、兄弟を引き取り二宮家を再興するのです。

天の理のままでは米は実らないが、人の理、すなわち働きを加えれば実り、その徳を働きで掘り起こすとしました。

金次郎少年像の、手にしている本は、江戸時代の儒学のなかの『大学』少年にして、修己(おのれを修める)を学んでいたのです。

やがて『農業と経済の報徳仕法を確立』され、命をかけて貧民に働く尊さを、自らのあくなき行動で示し、70歳で旅立ちました。

弟子の記録した伝記が、20年後明治天皇の目に留まり、感激のあまりこの伝記が世にでたのです。これはまた、世の中を救う道となりました。
[今日はここまで、やります]
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2022/02/15

2022-02-15 09:54:00 | 神と人
🔵令和4年2月10日人生の処方箋
(その2)[我が見えずとは 運命に暗きなり]ライン日記

おはようございます😃
明治の混乱期の時代を、先人の轍(ワダチ)をたどり、運命の壁に穴を開ける修行の夜明けへと世の中は動きます。昨日から少し戻ります。

明治維新の内乱から、1904年(明治37年)日露戦争の戦いは、大国ロシアに勝てるのか。大きな社会不安を招いていました。

そのおり、昭憲皇太后(明治天皇の妃)の夢枕にたち、日露戦争は勝つといったサムライがいます。その夢枕の話は社会に衝撃を与え、国民は湧き立ち社会不安は一掃されます。

それは誰なのか。坂本龍馬だったのです。戦争に勝ち正夢となるにつれ、坂本龍馬は忘れられた救国の英雄としてふたたび世に現れたものです。

それから2年後[1906年(明治39年)]御神尊様が誕生しました。これもまた、苦悩者や庶民へ真実の道を予感させるものでした。

西洋諸国に肩を並べるために、幕末は各藩校から英才が次々に明治の世に、政治家、軍人、学者、医学、建築家などとして輩出しました。この間をぬって苦しむ幕末の貧民と借財に苦しむ藩を救済した人が現れます。それが『二宮尊徳師』です。
ここまでにします。やります!

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2022/02/15

2022-02-15 09:53:00 | 神と人
令和4年2月9日人生の処方箋(その1)
[我れが見えずとは 運命に暗きなり]
ライン日記

おはようございます😃
けさは、わがままを許してください。御神尊様の苦行を少し深掘りしたいと思います。明日も続くことを許しください。

御神尊様の昭和25年頃の当時は、説法に登場する意外な人物は、1️⃣1420年前の佐賀鍋島、草創期の治水の神様、成富兵庫です。その石井樋(イシイビ)  佐賀県大和町の嘉瀬川に現存しています。

御神尊様は、成富兵庫のその学問の深さ、学びの姿勢に触れています。しかも、毎年多くの農民、庶民が救われたことにも、着目しています。

しかも、治水の専門家、成富兵庫茂安の技術は、現在のアフガニスタンの砂漠を緑に変えた治水に蘇っています。それを導入したのは故中村哲医師が異国の地に再現しています。

御神尊様の思いは、病苦に喘ぐ人、貧苦の渦中にある人、あえて修行は最低に落ちて苦悩者の実態を覗くことにあります。

だから、離島であったり、山間部、西国三十三ヶ所巡礼、四国八十八ヶ所遍路にあります。その中から心の使い方により、幸、不幸を作り出すということを、四国でその輪郭をえたのです。そして、明確な運命の実態を悟られたのが、長崎県平戸の島となります。(明日へ続く)やります!
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