天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

3/29 性格

2019-03-31 10:23:39 | 運命の認識


31・3・29、性格と運命
[病気の三根と、人間の四悪は裏の生活の本体]

少しつらい言葉ですが、あえて取り上げてみました。

人間は生を受けてより、やまいの原因となる、『三根を持って』いて、その上、知らずしらずに、『四つの悪行』を重ねてしまう『四悪がある』とあります。これを、裏の生活といわれています。その共同作用で、『精神上、人格上の欠陥』が作られて、身体のどこかに弱いところが、生まれてきます。

『病気の本体』が、『四悪とわかった』以上、人間はいかなる場合であろうと、事情のことをかんがえてはなりません。
どんな込み入った事情であろうと、そのために病気になったのではありません。

事情は、すでに過去のもの、影も形もありません。
かつてに作った妄想妄念が、心の中に記憶として残っているだけです。
つまり、事情の解決によって、病気を治すことと、事情の解決とは、無関係です。

ただ、あなたには、『病気の元素』があります。『四つの悪』という、『悪い質と癖の元素』があります。これを、『自ら改善』しない限り、やまいは生涯、ついてまわるでしょう。

事情は解決しなくても、忘れられて行きますが、持った『性格から来る四悪』は、容易に取り除くことはできません。
さて、『その四悪こそ』『❶性格の翻弄、❷精神の懊悩、❸身体の鬱血、❹生活の乱行』です。
要するに、『人と離れるくせ、人の寄り付けないくせ』を持っているということです。
やはり、運命開拓には、改善するよりありませんね。




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3/27 運命の道理

2019-03-31 10:04:16 | 神と人


31・3・27、神と経典
[神は、経文、聖書の中にあり]

御聖経に、<人生は苦悩なり>とあるように、誰でもが、不安や、悩み、苦しみにおそわれ耐えられなくなることも、たびたびです。そして、その苦しみの中から、道を求め、救いを求め、それに応じて、神は手を差し伸べてくださることになります。

神は日夜に渡り、新しい命を供給されています。
忙しく立ち回る日常生活では、実感、体感するのは困難です。
そこで、御神尊様は、神の存在を実感できるようにと、御璽経
[天地一切一心正念経]と御聖経『善隣の園』を授けてくださったのです。

私は御聖経をお唱えするたびに、『人生は苦悩なり、』そして『されど一度び道を知らば、憂苦は晴れ、光明となる』(66節)を、この聖句にさしかかると、『20年の御行』という、字間の字が浮かんでくるのです。

世の人々が、苦悩から解放されには、『運命の道理を解明』『この道を創元』された苦行に思いをはせるからでしょう。
かつて、御神尊様は、『私が亡き後、教えが神になる、』といわれたことがあります。まさにその通り、その見えざる字間の字(85節)は、慈悲、慈愛のしずく、あなたの祈りが徹底されていけば、『御聖経が道をひらく』ことになりましょう。 合唱
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3/26 斎食(さいじき)

2019-03-29 15:33:50 | 生命力


31・3・26、祈りと生命
[祈りは、神の食(じき)にして、祈らば神に食(しょくを給わる]

食とは、いのちの糧であり、身体を養ってくれます。食によって養われたことで、笑顔の表現となり、喜びのタネ、幸せの糧ともなりますね。しかし、精神的に喜びに飢えたからと、やたらに、食事をすれば良いわけではありません。

そのときは、まずは『祈りです』ね。私たちは、『御神尊様に捧げる祈り』が、お食事である事を忘れ、『粗末な祈り』で、御神尊様にひもじい思いを、させていなかったでしょうか?
もういちど、原点に帰り、『最高の食(じき)』の『御聖経の祈り』と、『感謝の誠をこめた、御璽経』をささげることです。

そして、忘れてならないのは、御供物です。海の幸、山の幸、です。常に、『御神尊様への、食(じき、斎食、)と』『感謝の供物、と誠の祈り』を怠らずに、ただ、ひたすら祈りに徹しましょうね。

追伸、食と食、私たちが、いただくのは、食(しょく)。僧侶が食事をするのが、食堂(じきどう)と言われた時代がありました。また、斎堂、斎食(さいじき)ともいわれたようです。
御神尊様は、御聖経解説の中で、この、(じきとしょく)を使われています。





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3/25 慈愛

2019-03-29 15:30:00 | 運命と生活
31・3・25、生活と運命❷
❷[生活の七訓とは、家庭生活の七訓ともいえる]

昨日からの続きになります。さて、単刀直入に本題にはいりましょう。
七訓とは、(生活の七訓)とは。
❶(喜びを失わざる人生)は大切なり
❷(笑顔を失わざるは人生)の大切なり
❸(楽しみを失わざるは人生)の大切なり
❹(理解の誠を失わざるは人生)の大切なり
❺(懊悩をさけるは人生)の大切なり
❻(切り替えを早くするは人生)の大切なり
❼(慈愛のひぐらしをするは人生)の大切なり

『喜びという心』の表れが、『笑顔の表情』になり、しかも、『小さなことを、大きく喜び』『短いことも、ながーく喜ぶ』喜び上手というわけです。『笑顔は、家族の心を繋ぎ』ます。『人様との交流の力』です。
そして、『楽しみは、周りを見渡す視野の広さを育て、』そこから、『分かち合い』が始まり、『辛いことも気りかえて』共に幸せになれますね。

『理解とは、ひとまず相手の言い分を明るさの中で、受け入れて』みることです。そこから、『悩みを深くせず、あっさり』すすむことになります。

まとめてみましょう。『七訓のポイント』は、『慈愛』にあります。これだけを、コツコツ実践するだけで、『七訓の達人』になれるでしょうね。『責め合い、咎めあい』は、どちらかがやめない限り、永遠に終わりませんね。当然、いのちが足らないでしょう。

こちらかが、正しく、相手が間違っていようと、事情がどうであろうと、相手の立場になり、共に泣く心、相手を暖かく包む心、その誠を、愛の生活と言います。これこそ、天地の法則に生かされる道です。

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3/24 運命の起源

2019-03-29 15:24:39 | 運命と生活


31・3・24、生活と運命❶
❶[生活の七訓とは、家庭生活の七訓ともいえる]@

ここに言われる、生活とは、特に『家庭生活』を指しています。
あくまで、『家庭生活のいとなみ』が、運命を作り出す根源だからです。

外での人間関係の、深い悩みがあるとしても、肝心なのは、家族同士の人間関係です。したがい、[家庭生活の七訓]ともいえます。『夫婦生活、親子生活が肝心』です。この『七訓のすべて』は、そこに目を向けてください。

『心が乱れれば、運がみだれる。』過去の事情を忘れられずに恨むこと、あるいは、親子夫婦の愛情不足による不仲。家庭内の対立や不和があれば、外の人間関係もうまくは、いきません。

生活の基本は、あくまで家庭。人間、誰もがここで、1人前になり、社会へと、羽ばたいていきます。
言い換えれば、『夫婦は運命の製造者、親子生活が運命の製造所』ということです。

だから、『家庭生活』は、『夫として、妻としての心使い』あるいは、『親として子としての、生き方』を、『七訓』で立て直していただきたいのです。
本当に、相手の人格を批判して、無い物ねだりが、不足不満を呼んでいますね。
明日に続きます。
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3/23 秘法

2019-03-29 15:20:36 | 運命と心


31・3・23、心と修行
[三用心(さんようじん)](気の用心、身の用心、日の用心)

福岡県那珂川市、五ケ山御行場。ダム湖を挟んで、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町にあります。以前は、大祭のたびに、私は3日行を修してきました。

行庵の炊事場に、『気の用心』の木札がありました。この札は、かなりの歴史で、行者をみてきたはずです。その『気の用心』の裏がわには、『身の用心、日の用心』があることを、運命を開く課題として、示していただきました。

『感情の動物』人間は、常に、何かを見たり聞いたりしては、反射的に感情を動かします。油断をすると、つい、自分本位に『邪気』を使うものですね。また、『身体の使い方』も、日常生活上の人間関係も同様で、朝の言葉を意識していなければ、軌道を外れていくものです。

それで、『今日という、日に』邪気はでていないか?『不愉快、不機嫌な態度』は、と。
或いは、誰かを憎んで咎めてはないか?無駄な時間をすごしてはいないか。

常に注意をし、間違っていたら、『ただちに、気の切り替え』を行う、この、『ただちにが、秘法、秘訣』ですね。ここに、日頃の姿勢が丸見えです。

『三用心』で、あなたの運命も開けていくでしょう。

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3/22 病気の三根

2019-03-29 15:13:56 | 運命と病


31・3・22、病と性格
[知れば変わるんだよ。知ればたすかるんだよ。]

『病いには、三つの生まれどころ』があります。
どんな病気もこの三つのところに、根があり、原因があります。
健康をねがうならば、この三つの根を断つことです。
いくら、病院だ、クスリだと騒いでも、所詮は解決しません。
『治病の妙理は、三根を断ち切る』ことです。
これは誰にでもできることで、難しいものではありません。

三根は、
《❶人間の精神は病気の製造者、❷身体は病気製造の道具、❸生活は病気の製造するところ》といわれます。
世の中では、病気を恐れ、治すのは難しいと考えられています。《精神は者、身体は道具、生活は場所》です。

こうして作られた病気は、『心の悟りで病気の根を断つ』『心と病気のつながり』が、絶対のものです。

あなたと病気のつながりが、医師やクスリばかりに頼るのは、自分の生命力を弱らせてしまうでしょう。

病気が治らないのは、医師やクスリが悪いのでは無く、それらの手の届かない所に、病根があるということです。

その、『責任はあなた自身』に、あることになります。だから、『あなた自身の手で、病根を断つ』これこそ、治病の妙法であります。そして終わりに、『健康にも三根』があります。それは、『精神的健康、身体の健康、生活の健康、』です。
これまでの、朝の言葉を、読み返せば、理解できるでしょう。

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3/21 心の足並み

2019-03-29 15:09:05 | 運命と病



31・3・21、病と性格
[今日から、無条件で人の心に、あわせてみよう]

昨日に続き、病いと性格に、少し触れてみたいとおもいます。
人間は生きる上で、手足の大切なことは、いうまでもありません。手足があって、はじめて人間は生存に必要な、『動く、歩く、働らく、』という3つの重要な役割を果たしているからです。

私ごとですが、2年前に膝の半月板を負傷して、大学病院で、手術をうけました。術後の2週間、7階建ての病院内を、パラリンピックの選手のように、車椅子で走り回ったものです。
やがて、松葉杖、歩行と、進み、ました。

その中で、夜のベットでは、反省の毎日です。
教えの引き出しを開け、直接の心因をさがしました。
足は、心の足並みを揃えること、に通じます。
私は、いつも決断が早すぎて、周りが付いてこれないこともたびたびでした。

そして、得た結論は、『無条件で家族と、心の足並みを揃える』こと。
再び立ち直り、合気道の道場も相変わらず、年中無休で、皆さん通って来られています。
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3/20 親の生き方

2019-03-26 10:04:31 | 家庭生活


31・3・20、信仰と人生
[親は子供の個性を見きわめ、これを伸ばし、引き出して行かねばならない]

子供の個性を、見きわめるのも、親の役目のひとつであり、それでいて、親自身の生き方のひとつに、何を選んで、生き甲斐とするかも有ります。
しかも、その父親、母親の背中に影響されるのです。
何かに打ち込み、勉強すれば、そのように真似されます。

『子供の個性を見きわめる』ために、『親の感性も、問われる』ところです。いつも、『何かに興味を持ち、好奇心を働かせる心』があれば、すぐに、『子供の個性をみぬける』でしょう。

『親の生活態度でいえば、感性を育るため、』仕事の疲れから起きる、暗い顔を避け、何事も明るく受け止め、笑顔で周りを和ませて、ほしいものです。
その努力は、『子供の変化、家族の変化』が、敏感に受けとめられるものです。

『子供の個性の発見』と共に、あなたも行動を起こしたら、どうでしょう。伊能忠敬は、50〜70才にして、日本地図作成に、4000万歩をしるしました。貝原益軒は70才で、養生訓を20巻あらわしました。これを、『晩成の哲学』というそうです。では、『早成の哲学』もあるはず、御神尊様は、20才にして、苦悩者の隣に寄り添って、『運命の道理』を発見されました。

その年令で、志を立てた事に、真の価値がありますね。人間の置かれた立場は、今が旬ですね。何を考えて、進むかです。遅い、早いは問題ではありません。



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3/19 家族のために

2019-03-26 09:48:45 | 運命と生活


31・3・19、生命と生活
[日常生活は、生命の造られる処なり]

ただ食べるから、飲むから、生きていけるのでは、ありません。誰かと、一緒に食べ、飲み、暮らすから、生きていけるのです。
ポッンと一人で、共に食卓を囲む者もいない、切れて離れた状態では、生涯の運命を開くのが、辛いことになります。

生きるとは、生理的に生きることではなく、人間的に心を通い合わせて生きることが、天地の慈悲に報いることになります。
だから、家庭が生きる場所であり、生き甲斐を生む場所となります。

しかし、おおかたの人は、外に目が向いていますね。生活のためには、当然のことと言いながら、『過ぎたるは、及ばざるがごとし』です。
どうしても、家庭生活が疎かになりがち、夫が疲れて帰宅しても、無愛想で、迎えもない。また、夫がぐうたらで、働らく意欲が無いでは、夫婦の葛藤は避けられないなど。これでは、1日の疲れを癒し、明日の働らく意欲も生まれませんね。
人間関係を乱し、いのちを損ないもします。

このように、家庭生活は、いのちを育み、健康を作り出す場所です。運命の好転を願うならば、まず立て直すのは、生活です。
『何はともあれ、あなたが変わってください。』
『家族の為になる変わり方』ーと御神尊様はさけばれます。
とにかく、相手の心に感応する言葉からはじめましょう。
『今日は寒いから、気をつけて行って下さい。』
『お前にばかり、苦労をかけてすまんな』とか、
『おはよう、おやすみ、行ってきます、ただ今』など、
すでに、実践の方ばかりなら、笑顔をのせましょう。
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