天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

円満とは

2019-11-25 19:40:26 | 運命と生活

2019・7・12、天地の公道
[円とは、満とは]

この言葉も、天地に満ちていて、観る心がなければ見えない現象です。『なんでそうなのかと?』といえば、『今という時間』は、天地自然の法則が成りたち、すべての生命体は生きて、生かされているからです。これを『天地の妙理』といいます。

だからこそ、『切れて離れるたとたんに苦しみ、悲しみが心の奥底から湧きあがります』それに気づいて、繋がろうとすると、先ほどの、苦しみはどこかへいき、喜びに満たされてくるのです。

その時の事情を、いかに相手が原因で事情ができたといっても、人間同士の間に通用しても、天地にはなんの関係もありません。『事情にこだわる人は、常に苦しい』のです。それは、『天地の働き、慈悲を無視している』からです。

『円とは』家族が感情に走らず、きれず離れず、常に丸く心を継ぎ合わせる状態。
『満とは』家庭内から生まれてくる、喜びと楽しみにより、和やかなる日暮らし。

人生のしあわせは、『円』を大切に。
なごやかに受け入れ『満』を大切に。
どんなことも、大きな壺に水を満たすよう、『円満』をもっとも大切にできる人は、しあわせは神とともにありですね。

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我が心

2019-11-25 10:42:02 | 信仰と生活


2019・7・11、生活と感情
[生活感情は人間生涯の住家なり]

『感情』は、どんなに理性がはたらく人でも、腹が立つ、悔しい、憎い、などに、心が動くことがあります。

『生活ですから、朝から夜までの心の働き』です。
どんなに相手が原因で事情が発生しても、それに対して敏感に反応するのは、その時のあなたの心です。朝から調子がよく良いことばかり、気も乗っていたのに、夕方にかけ、ちょっとした妻、夫、親子とのやりとりで、ひっかけたり、ひっかけられてしまう。

『生活の美醜は運命のすべてを支配』といわれます。
『生活の美』とは、話し合い、語り合い、よろこび、えがお、そして感謝の表現です。

愛の生活に努力する姿勢、これを『生活の美』といいいます。
『生活の醜い』ところは、『口を開けば不平不満と悪口』の中に、『つい大きな声になり、やがてダンマリで静か』『やかましいか、ダンマリをきめこむ』そして、『日ごとに、淋しく暗く、』『悩ましい対立と憂うつな生活感情』はどこにいる?
我が心こそ、我が永遠の住み家です。少し掃除をしてみますか。
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気の善用 

2019-11-25 10:32:39 | 運命と性格


2019・7・9、性格の善用
[気の長短は人を作る]

人間のこころに内在する『気の力』は、恐るべきものがあります。『御神尊様の行中の姿』に接すると、『神気そのものもの』その修行で掴まれたのが、今朝のことばです。

それは、

❶病は気から、
❷健康も気から、
❸喜びも気から(幸福感)、
❹悲しみも気から(不幸感)、
❺生命も気から、
❻生活は気の一切である。

つまり1日のすべては『気によって成り立ち、その使い方により、幸せも、不幸せも、支配される』といわれます。

『気が長い、短いは人の良し悪しを造る』しかし、
『なが過ぎると、陰気に走りやすく』
『短いと常に、イライラがつのり、これを度がすぎる』といいます。
悩みを深くし悲しみから、『なんでいつもこうなんだろう』と自らを責め、自らの、気をふさぎ生活が機能』しなくなります。

まさに、『血行、気』によって、その流れを左右す。
日常の生活を心身ともに機能するための手始めは『心を洗う手がかり』からです。
それには、『物を見るまなこ』をきたえます。
たとえば、食事は、『美味しそう』『これ美味しいね』『ああおいしかった。ごちそうさま』

まさに、『自ら我を救うべしです』
自分自身の気を自覚、『その気長からず、短からず』バランスよく発揮するためにの気を発揮、存分に救われるべしです。

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人に生かされる

2019-11-25 10:28:15 | 神と人


2019・7・8、人に生かされる
[人のなかりせば]

この言葉は、考えも及ばないことばです。『もし、無人島に漂着したとしたら、まず何をしますか?』という、質問はよくありますね。

この世の中で、『自分ひとり』『人がいない』なんて、考えたこともないでしょう。でも実際には、家族、仕事先、学生、趣味の仲間、ボランティア仲間たち、地域のひと、数えあげれば、キリがないくらい人びとに囲まれています。そして、毎日生きて生かされているのです。

しかし、心の内を覗くと、夫婦がうまくいかない。友人と対立した。恋人と別れた。親子が意見の対立。職場の上下関係がひしめいている現実があります。

『私はひとり』『誰も私の気持ちはわかってくれない』と、『孤独を深め』『笑顔を失い』『すべてがうまく回らなくなる人』が、あまりにも多い世間です。その人から見れば、『人が見えていない』のです。

その生き方は、自由気ままで、好き勝手な生き方の結果かも。しかし、人間として生まれた以上、『人と共に生き、人を思い、人に思われ、愛の生活』にいそしまなければ、生きられないようになっています。だからこそ、『人と人の間に神を置き、我ひとりにあらず』『神の結びにより、ここに善隣の道により、人となる必然性』が生まれてきます。!

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性格の善用

2019-11-25 08:40:44 | 運命と性格

2019・7・7、性格の善用
[無口はこれ不幸への門]

『三大不幸』
❶親に早く死に別れた者❷義理の生活❸無口の生活。と、教えられます。

そこに共通しているのは、『愛情の不足』があります。だから、人と心から打ち解けることができません。『私は、三つすべての持ち主』でしたから、叔母(養母)によく言われたものです。『本当に冷たいところがあるねえ。』御神尊様に出会ってからも、しばらくはいわれたものです。

小中学生の時代は、その頃流行った赤面恐怖症でした。授業中に、先生から『長久!』と、呼ばれたら、立った瞬間みるみる真っ赤になって、ひと言もいわずに終わったものです。

叔父叔母が親代りでしたが、無口そのもの、今にして思えば、愛情をそそいでも、底の抜けた容器と同じです。『愛情を受け止める、心の臓器がない』のと同じです。コミュニケーションは全く取れず、友人もいませんでした。

ところが、19才の時に、御神尊様に出会い、初めて『無口と人生の重要性』に気づきました。出会いのご縁は、心の空白を慈悲で、埋めてくださったのが御神尊様でした。

笑顔の青年に生れ変り、再出発で学んだことは、
❶心の思いを言葉で現わす。❷相手のことばに耳を傾ける。

簡単なようで、性となったものは変えようとするとき、その辛さに、御神尊様の前でよく泣いたものです。泣いた数こそ努力の結果、『よく話し、よく語るものこそ幸せなり』の、境地が理解できるようになりました。



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人間関係

2019-11-25 08:36:14 | 運命と病


2019・7・6、人間関係と運命
[敵を持たず、敵を作らず]

この言葉は、かなり厳しい表現になっています。咎めるとか、憎むとかが、はっきり敵だという言葉になっています。

その具体的な場面は、『御神尊様が、昭和35年、福岡県筑紫野市原田の山中で、300日間の修行中』『雨中の百度参拝を敢行』されました。そのさなか、北九州からきた男性が、御神尊様にすがりつきました。そして、『兄を助けてください』と叫んだのです。

すると、御神尊様は、『兄には、敵がおるぞ!』といわれ、その人は、『私が敵です』といいながら、さらに、『懺悔の涙』ですがりました。その時に、『やります!の裂帛(れっぱく)の気合』が、御神尊様から発せられました。すると、なんと、その頃、病床で危篤の状態の兄は、意識が回復、即決の救いを受けたのでした。

御神尊様は、『不平をもたず、不満を作らず』『不平不満が、心中のわだかまり』になり、『敵視するようになる』といわれました。
『不平を持たず、不満を作らず』『これを整理して、喜びと笑顔』で、家族や人と心合わせる環境こそ、幸せの道です。
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喜びの生まれどころ

2019-11-24 15:49:21 | 運命の原理



2019・7月5日、心の処理
[喜びは、汝自身の生命なり]

消えやすいといえば、『喜びごとほど、消えやすいもの』はありません。
人生には、さまざまな喜びごとが、目の前を通過します。しかし、自分が『見て、聞いて、ありがたい』と思わなければ、一瞬を頂点にくだり坂です。

つまり、『喜びの心のまなこ』を開く修行がなければ、人生に喜ぶ材料はありません。『悲しみは毒薬、喜びは心身の良薬』につながります。そのポイントは、『切り替えの力』です。

どんな、解説本を開いても、処世の術はとかれています。しかし、『切り替え(新陳代謝の道、独特の人間力』からきたものです。しかも、『御神尊様の苦行の悟り』です。

3度の食事をわすれないように、まず以って『祈りこそ、人間力をたかめる』ものです。祈りの力こそ、どんな事情に出会うとも、それを『ありがたいと受け止める心の養い方』につながるのです。

『喜びは、あなたの見方、考え方によりうまれる』ものです。きのうも、明日も、そして 、今日ただいまの現在に、その姿を現わしています。

『悲しみに邪魔され、悲しめば視野はせまく』だから、見逃し、『ありがたいと、口にするだけ』で、その瞬間の喜びを手にできるのです。

『努力なき喜びは、悲しみがふえる』だけ。しかし、『努力より生まれた喜び』は、さらに喜びが増えるのです。

喜ぶべきことを以って、喜ぶのは当たり前、喜びの生まれどころを知って、初めて感謝と喜びに浸ることができます。
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10704 心の処理

2019-11-24 15:43:16 | 運命と心


2019・元年・7・4、心の処理
[悩むは罪なり]

私たちの意識の中には、時に嫌いな人、合わない人がいるものです。その思いが表れて、すべての悩みはうまれます。ところが、同じ事情、似たような関係でも、悩み方については、個性的でちがいがあります。

悩む姿は、ことの善悪は別にして、良い印象はあたえません。その陰気を、もらいたくないため人は離れます。ここから、運命は下り坂になるのです。『これを人に及ぼす罪』といいます。

そして、日常に支障がでて、『家族や人に、不愉快を及ぼしていることにめざめ』『悩まざるの道を努力』しなければなりません。

『悩まざる道』とは、『見て、聞いて、悩む』執われる心を、『深い悩みに育つ、前に食い止める』ことです。『1日悩んだら半日に、治めるよう』まずは『合掌の心です』そして、『悩みに時をかさず、動く』『人の世話に動く』生活のあり方を変え、『悩むひまなし、時間なし』です。

『あなたの悩む姿は、罪無きがごとく』
『家族に、人に顔色をうかがわせることは罪』人間らしくない生き方と、天地の道が教えています。
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10703 精神と生活

2019-11-22 16:55:10 | 信仰と生活


2019・7・3、精神と生活
[不幸は不幸に任せるよろしく。病気は病気に任せるよろしく]

見方によっては、かなり投げやりなことばにきこえます。しかし、任せきれない人があまりに多いようです。

取り越し苦労はやめてみたらどう?』どうせ、『事情にこだわったところで、簡単には解決しない』から。『病気も心配して治るものなら、心配しなきゃいけないけど』なんだか。気持ちが疲れるだけですよね。ストレスが増すばかりです。

そもそも、事情も病気も、日頃の生活に、穏やかでない心があるからです。それは、『見ては、聞いては、邪気という心のポケットに入れて、とりこ』になります。次に『感情の上下が激しい』そして、『気持ちの対立に持ち込み』『心は風波激しい毎日のくりかえし』です。これで、健康だったら、おかしいですね。

つまり、『自分自身の心の処理』が、『穏やかでない』わけです。不幸や病気の心配する前に、『穏やかな心の調節に努力』といわれます。

具体的に、『❶安らかで落ち着いた精神状態』『❷ことば柔らかく、顔は笑顔で。』❸感情に走らず、ひと呼吸』『❹親しみの情で。』❺邪気、邪念をやめ、嬉しく楽しい日々。』を、努力してみること。

これを、『神にお任せする』といいます。私もまた、これのくりかえしです。『人生は修行、これで良いなんてないですね!』


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10630 三世と霊性

2019-11-22 08:47:10 | 人生


2019・6・30、三世と霊性
[生まれこぬ先も、生まれて住める世も、罷(まかる)も神の懐(ふところ)のうち]

おはようございます😃
けさは、『三世のこと』をいわれてます。『過去世、現世、来世』のことです。このうち、経験してきたのは『過去世と現世、今体験中』ということです。そして、『生きてきたように、死んで行くのです』ということは、『現世の生き方次第で、来世は予測』がおおよそつくわけです。でも、困ったことに、『いつ来世に行くのか』こればかりは、寿命ですからね。

『いつお迎えが来るのか?これぞ神のみぞ知る』です。いつ生まれてきたのか。記憶は消されてます。気付いたら、親も決まっていたのです。隣の親が良かったといっても、これは宿命でしょう。

『魂、(たましい)から、霊(たましい)の世界』実は字が変わるだけで、『たましいは前世から来世まで、生き通している』のです。『死なき世界』なのです。私の体験で語れば、ベットの周りで固唾(かたず)をのんで、臨終の瞬間を待っても、本人はたましいとして、来世に飛び立っていくのです。しかし、遺族は、亡くなったと落胆します。哲学的にいうならば、『本人に死は存在せず、周囲の人には、肉体の終りを持って、死と認識しているだけです。

生死に関していえば、孫悟空のように、空を飛んで世界の果てに行ったつもりが、実はお釈迦様の手のひらだった。とは、非常に示唆に富んだはなしです。『人間は、生まれ、生き、罷る(まかる)亡くなること。』『すべては神の手のヒラです』
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