天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

10625 握手の両手

2019-08-17 09:37:58 | 人生


2019・元年・6・25・赦しと人生
[あらそいの、握りこぶしも開くれば、可愛いと撫でる同じ手の先]

<おのが身の、くもりはうつる世の人に、人は我が身のかがみなりけり>このような道歌があります。『人間関係の良し悪しの現象』に、『ほとんどの人は、相手が原因』と見てしまいます。『本当に自分に責任はないのでしょうか?』

『自分や他人に対して、先入観、固定観念』を持っていると、とても柔らかい人間といえません。『柔らかい』でまず浮かぶのは、笑顔です。
笑顔では、対立も意見の違いも、あらそいの拳にはなれないものです。
それよりも、『お互いに意見をすり合わせ、一致点を見出して、握手の両手になる』でしょう。
対立しやすい心のわだかまりを切り替え、心の新陳代謝を実行。
愛と情で心をつなぎ天地の道、幸せの道が開かれていくのです。

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10624 失念とは

2019-08-10 10:52:43 | 運命と生活


2019・元年・6・24・感謝と人生
[人間には、失念性がある]

『失念とは』『うっかりわすれること』『どわすれ』『宗教的には、正念を失うこと』言葉の使い方として、相手に失礼にならないように、お詫びや、不始末に対する丁寧な言葉になるようです。

その意味より、『人間には本来、忘れやすい一面がある』といわれます。たしかに、わたしも高齢者になって、忘れやすくアイホンのカレンダーには、スケジュールを必ず書き込んでいます。そして、それを日記に移し、整理するまいにちです。

けさは、その『失念性には、幸不幸の運命を左右する』ものといわれます。それは、『忘れてならないもの』『忘れなくてはならないもの』は、以下を身に付けたら、最高の人生です。

❶(過去の事情は、忘れずにいて、捨てきれなければ、)幸せ感は、ありません。
❷(人間は、異なる人格がある人生は、運命的)にも、それぞれ違います。そして、(絶対に忘れてならないもの)
(天地の恵みは生命の親、)(家族や人の情愛に包まれて生きる、人すべて、生命の親と親しむこと。)(人は皆、自己の一切に生かされ、自己のすべてを、命の綱と頼って生きています)

『天恩、人恩、自身恩、の三大恩』といいます。この三大恩に包まれて生きて、生かされる、幸せの道です。
だから、失念性があるなどと、いっても、『三道、これだけは忘れることなく、心の内カレンダーに、しっかり感恩の生活として、明記してください。』

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6/21 報恩の人生

2019-08-10 10:42:28 | 人生


2019・元年・6・21、報恩の人生。※
[汝、今日より、忘れ、忘れず、着せず]

今日は何とも、不思議なことばです。しかし、字解きをすれば、その意味は明解です。
人生には、『忘れてしまうことがらも多い』が、『絶対に忘れてならないこと』があります。そして、『その忘れてはならないことを忘れず』にいて、しかも、『恩に着ても、恩に着せてはならない』といわれます。

『忘れること。恩に着ても、着せないこと。』
❶人にしてあげたこと。(口癖にして、恩に着せる人がいます)
❷人にしてもらったこと。(いつまでも、恩に着て感謝)
❸人を喜ばせたこと。(すぐに忘れること)
❹人に喜ばせてもらったこと。(いつまでも、忘れないこと)
❺人のためになったこと。(すぐに忘れること)
❻人に泣かされ、悩まされたこと。(恨みを忘れ、切りかえる)
この六項目によって、お陰のすべてを忘れず、感謝の気持ちで、家族の人の、役に立つ人生で、幸せの道を開きましょう。


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6/14 生きる権利

2019-08-09 08:44:20 | 運命の認識


2019・元年、6・14、人間と権力
[人間は各々の生きる権利を持って生きている]

人間は、それぞれ『生きる権利』は当然持っています。
それだけではなく、『権利を主張する』うえは、『生きるに重大なる義務』もウラオモテとしてあるわけです。しかしながら、道徳や法律、社会通念として語るなら、専門家の書籍は山のごとしです。

それではなく、『人間は天地のもの』であり、『天地は人間のもの』
『天地の公道』を歩み、『幸せな人生を確実』にするのが目的です。
まずは、『幸せの道を歩む』にあたり、『人間として生きる権利と守る義務』からのぞいてみます。

『生きる手段』として、『動物は弱肉強食、人間は共存共栄』です。そして、仕事について、収入を得ることからです。では果たして、『働くだけ、儲けるだけで、幸せなのか?』『生きていけるのか?』『幸せは、かならずしも、境遇や環境と運命』を左右するもであはりません。

『職、貧富、その人の運命を定められず』『人格の異なるところ』に、運命が異なって生まれてきます。だから、『職業、貧富を言い訳け』にして、『幸せの道を、自ら遠ざけない』ようにしたいものです。ここまででも、『人生を生きる権利』は、ただ、働くだけ食べるだけで、生きるだけでなく、『あくまで生き甲斐ある幸せな生涯』を全うすることです。

『生きる権利』として、親、子、夫、妻の名に恥じないように、『なんの義務があるか』といえば、『いつも明るく、みんなと仲良く、』つまり、『和解和合の生活』です。しかも、維持するために、たとえ、『どんな事情に遭遇する』とも、『とらわれず、悩まず、憎まず』が『人間に課せられた義務』といえましょう。
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6/13 天地の呼吸

2019-08-09 08:36:15 | 運命の認識


2019、元年、6・13、心の鍛錬
[不幸、病気は、三つの力の崩壊作用に依って、生まれてきます。]

先日は、少し『三つの力』にふれましたが、それを『実践する障害』となるとなるものがあります。それは、『生活感情』です。
気持ちの良い状態は、幸せの渦中にいることになります。

しかしその『生活感情』が、次のようなものなら、本人も周りも、苦悩の人生のどん底に陥入ることになります。
それは、『不愉快』『不機嫌』『不平不満』そして、『憎しみ』『深い悩み』に『とらわれていく』ことです。

そのような『生活感情を持つ』傾向のある人は、一日も早く、『みずから、明るく楽しい気持ちになれる』ように、『天地にマネして、切り替え』の、大きな力を借りて転換してください。放って置くと、出口が見えなくなるだけです。『家族に相談する』とか、『信頼する人に、方向を相談する』ことです。

❶心中のわだかまり、を捨てる努力❷身も心も、明朗なるところにいる努力❸人間関係を明るく楽しいものに努力。
天地の運行と同行することは、まさに、神のふところにいだかれるもの。かならず、運命は好転することになっています。

『人間関係を明るくする』ためには、『自ら、心を整理整頓』し、『切り替えの力を持って、』スッキリさせることです。
『どんな事情も、難しい問題も、無条件で捨てきる』ことです。
簡単にできないからこそ、『合掌の両の手を合わせる行為』が、鍵となります。それにより、『生活感情が調整されていきます。重ねていえば、『自分の力』『人の(家族)力』そして、『天地の呼吸に合わせる力の合作』です。
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6/11 自他分離

2019-08-09 08:33:36 | 運命の認識


2019、元年、6、11、天地の運行(こうどう)
[不幸は自他分離より生る]

『運を開く』とは、『運気、運勢、運命を開いていくこと』です。『具体的』には、『運気を陽気』につかえば、『運勢も波動が強く』なり、『運命そのものは明るく』なります。しかし、『気の働きは、一定する』ものでもありません。

『陰気に使えば、運勢は急降下し、運命も暗く』なります。そして、『人間関係いたるところに、ほころびが出て』『運命も暗く沈んで』いきます。つまり、『相手と切れて離れる関係の結果』です。『運勢、運命を、不幸に導く運気』ではなく、『幸福に導く、陽気、和気、』そして、『合掌の両の手より発する運気、を心がけ』ましょう。

ということは、私たちは、日々の生活で運命を造っているわけで、まさに『心は運命の製造者、生活は運命の製造所なり。』です。だからこそ、『運気は陽気から』『それは、自他の気持ちを合わせる』ように、『努力してこそ喜びがうまれます』『働いて、食べて生きるだけの生活』から、『喜びを分かち合う生き方に変えていく』ことです。その姿こそ、『求めてやまない、幸福』なのです。

『今日の対立の感情』は、『明日に持ち越しては』なりません。相手から、『手をのべているのに、自らその手を振り払う陰気は、その人の人がら』です。『人のことを批判するだけの資格はないよう』ですね。
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6/10 自力と他力

2019-08-09 08:28:38 | 信仰と生活


2019、元年、6・10、人間と自力
[人間はほとんど、自分の力だけでは、どうにもならない]

『あさのことば』は、『過去、現在、未来』に渡り、『自分の力だけで、幸せな人生を開いていけるのか?』と問いかけられています。どうしても、『人間は、自分の力だけで、生きていると勘違いする場合』がみられるようです。

そういえばあるご主人が、自損事故で頭部と首を打撲しましたが、どうしても頭痛で首も回らない状況でした。『講習会』を受講。その折の、『反省と懺悔の力』こそまことの『自分の力』を使い、即決をいただきました。

その時、『初めて自己を見つめる時間』をあたえらました。『家庭でも、仕事先でも、恩を着せての日常』でした。『どんなにか扱いにくい、自分だっただろう。』と、自宅に電話を入れても、『妻や家族の反応は、元気になったらしい、困ったねえ。』でした。

御主人の悟りは、『今まで生かされていたのは、私の力ではなく』『家族のおかげ、同僚たちのおかげ』そして、『なによも、天地の運行の恵みのおかげ、で生かされてきた』『なんという、生き方だっただろう。』家族は、夫、父の『笑顔の大輪の花』❶に手を取り合いました。

実は、『❶自分の力』を否定することはできません。『不幸、病気は、その人が、自分の力だけで生きて行こう』として、『まわりが、全く見えなくなっている』ときです。でも、『運を開くには、さらに❷人の力を加え』『仕上げは、❸神の力、』すなわち、『❸天地の運行の恵み』の『三つの力のわざ』にすがるとき、自ずと幸福感に満ちた、人生を生きることができるのです。



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