天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

徹する

2021-07-30 08:46:00 | 運命
令和3年7月25日人生の処方箋
[徹して運命を開く]ライン日記

道を学んでいるとよく落ちいる心もちがあります。それは何か起きると、しきりに原因を探し、反省を繰り返し精神的に疲れてしまうことです。

私も20代は実父を憎みながら、片一方では反省、懺悔をさんざん繰り返し疲れ切ったものです。

その時にいわれたのは『過去の親を捨てろ。いつまで背負っている』と。平然としている親を見て、祈る心、反省の心、懺悔の心が音を立てて崩れていくのです。

何度も涙をのまされた親も今は幽界にいます。あの辛さはどこに行ってしまったのでしょうか。今はまた新しい人生の壁ができています。でも、過去の苦悩に鍛えられた人間力があります。

そして『徹する道』を教えてくれています。何に徹するのか『天地の道は喜びと笑顔』です。だから、どんな苦しみにも、まずは笑顔から始まります。やります!

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他力と決心

2021-07-30 08:43:00 | 人生
令和3年7月24日人生の処方箋
[決心とはとかく緩みがち]ライン日記

何事も失敗すると、これからはニ度とくりかえさないように、心を入れ替え一念発起を誓います。

ところが、その場の雰囲気で感動からの決心は、たいてい線香花火のように消えやすいものです。

決心とは自分の生き方を変えることです。それには他力の援助も必要です。

その他力は、御神尊様のこと。決心を伸ばすには、よい事、尊敬する人の真似からはじめることです。

御神尊様は、釈迦は衆生を済度するために、最愛の妻子をも捨て、キリストは人類の罪を救うために、十字架上に血をながした。これこそ献身のきわみといわれました。

合掌とは献ずること、それは人のために時間を割くことにあります。決心のタガを締めるために、私は1人ひとりにお声がけをし、仲間の輪をひろげたものです。

その輪の中心には、いつも御神尊様と友がいて、その視線を感じて心を引き締めたからこそ今があります。やります!
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おかげが見える

2021-07-30 08:39:00 | 信仰と生活
令和3年7月23日人生の処方箋
[おかげは捨てるところから生まれる]ライン日記

天地の道に合えば、瞬間に救いが現れます。これを『おかげ』といいます。

おかげは1日働いたから、その分の賃金をもらわけにいきません。やりますをたくさん叫んだから、祈ったからもらえることでもありません。時に経済、病気、争いごとの解決に、目がいきがちです。

天地の道からのおかげを、あえて見たい聞きたいならば『人をよろこばせよ。喜ぶ笑顔、見えて聞こえた』ならば、それが『おかげというもの』とは御神尊様です。

さらに『おかげとは捨てるもの』でもあります。世俗のものを捨てるのではなく『身についた心の汚れ、曲がった性格を洗い落とし捨て去る』それが天地の道に叶うからです。

それこそ、神を愛するように人を愛することで、『運命そのものを変える』ことこそ『真のおかげ』です。やります。
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和と不和の間

2021-07-22 10:12:00 | 信仰と生活
令和3年7月22日人生の処方箋
[和と不和に生きている]ライン日記

対立感情と憎悪のふたつが、不和の原因です。
最近は、隣国同士の仲の悪さが目立っています。この関係を縮小したのが、私たちの人間関係です。そこにボタンの掛け違いで、憎悪、対立、そして懊悩から永遠の不和がうまれます。

ひとつの不和は、その人のすべての人間関係に影響を与えます。和の念の豊かな人は、穏やかであたたかくなごやかです。

やっかいなのは、和も不和もふたつともが、1人の人間の心の中にすんでいることです。

ところが、和の人は人とはなれず、悩むことを避け、人の世話をよくして、その日の感情にながされません。

したがい人に親しまれ頼りにされ、対立感情にはしることもありません。和と不和の間に合掌があって、和の生活に導いています。やります!
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信念化

2021-07-22 10:10:00 | 信仰
令和3年7月21日ライン日記
[合掌で信念を養う]ライン日記


けさも合掌から入ります。日々これ優れた人から学ぶものです。学んだら伝えてこそ生きてくるものです。

私の人生の学びは、御神尊様の足跡を知り自分の気づきを他人に伝え自分の喜びになりました。

ところが人間の心の邪気は、自分にはできないと思いこみがちです。私も『それはとてもできません』と、まず否定するクセが口をついてでたものです。

すると、聖主様は、いつからそんなに偉くなったといわれ、それは私が決めることだよ。と、思わず合掌したものです。

合掌とは、自分の心を内省し『ありがとうございます』と、その素直さにあります。この霊性は誰でもがもっているものです。『ありがとうで霊性に磨きをかけ信念化する』だけです。やります!
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天地の技

2021-07-20 08:45:00 | 信仰
令和3年7月20日人生の処方箋
[合掌の中に生きる人生]ライン日記

心配顔の人は、何か問題がある人です。その人のことが気にかかるのは、神のしわざです。なぜなら、声なくすがたのない神は、私たちの霊性に頼っているからです。

だから、悩む人が一目でわかるように、あなたのひたいからオーラが輝やき道なき人に、希望を配達する人でもあります。

あなたは合掌に生きる人であり、神の手足となって人々の苦しみを癒す手伝い人でもあります。

世の悩める人に『病気が長引いても悲観するな、絶望するなよ』と『心の持ち方、使い方』をのみ求めるものです。

そして、御神尊様が『私に任せなさい』です。これでお互いの苦悩の山を超えることができましょう。やります
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大きな声で誓う

2021-07-20 08:40:00 | 新陳代謝
令和3年7月19日人生の処方箋
[転ばぬ先の やります 大丈夫ですか]ライン日記

さて人生に試練はつきもの、この間もどこかで誰かが、そして私にも試練が待っています。

私も試練を待つ心境を、祈りの中で整えています。そしてこうも考えています。何の試練も経験もない者は誰の助けにもなれない、試練あればこそお役にたてることができるはず、と。

試練や事情は、私の幸せの鍛錬であり人の幸せのためでもあります。大きな心の荷物に、どこまで耐えられるのか。
御神尊様は、神は耐えられない荷物は与えられないといわれています。

その御神尊様は、肉をそぎ骨を削っての苦行の20年で、苦悩や試練に苦吟する者に寄り添ってきました。そして命をも縮めたものです。

『やりますのことば』『気の切り替え、精神の新陳代謝』をもって転ばぬ先の杖、転んで立ち上がる杖を発見されたのです。
心のなかでそっとつぶやくなどはしてないでしょうね。大きな声でさけんでこそ、自ずと切り替わるものです。やります!

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希望は未来に

2021-07-20 08:37:00 | 信仰と生活
令和3年7月18日人生の処方箋
[過去に生かされ 未来に希望を見る]ライン日記


過去というのは、精神的には悪いことで言われます。これは、過去への執着に原因があるからです。

この過去を歴史で見ると、先人たちの努力で救われた事実があります。日本はたびたび危機に見舞われ、災害もおおきなものがあります。その度に、過去の偉人に救われた歴史があります。

御神尊様の研鑽のなかに登場する、二宮尊徳先生は、復興の心がけは小さなことからといわれています。

御神尊様は『これは必ずやる、できる』『まずは周りの人に伝えることからはじめる』そして『心中の悩む材料は整理すること』と精神の復興を教えています。

尊徳先生は過去の偉人、御神尊様は現代の神人、過去から未来の希望へ導く人が必ず現れるものです。

私たちは道の実践を通じ変わることです。希望の未来は実は変化の積み重ねとしることになります。やります!
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天地の傘

2021-07-20 08:35:00 | 信仰
令和3年7月17日人生の処方箋
[運命を開く傘] ライン日記

傘の存在は面白いところがあります。朝から雨が降れば、傘を開いて出かけていきます。しかし、午後には雨が上がると傘の存在は忘れて、かえっていくことがままあるようです。

だから、忘れ物では常にトップにあります。加えて傘そのものの値段も下がり、コンビニで購入できますからなおのことですね。

しかし、これを運命の傘としたら、どうでしょうか。順調に生活がまわるときは、運不運や、病気や健康は、果たして話題にのぼるのでしょうか。

おおかたは、調子が狂い始めてどうしてだろうか。なぜだろうか。自分だけ、家族だけに降りかかるのか。想定外に悩みも深くなるのです。

でも日頃から『祈りと合掌の謙虚』な姿勢があれば、これは自分の力ではない、先祖や御神尊様の慈悲のおかげです、と。

天地の道という大きな傘の下にあることを、感謝できていれば、なにがあっても落ち着いていることができます。

傘を忘れていたことも思い出すでしょう。また気持ちを引き締めて、しばらくは濡れて歩くか。その耐える道はやがては晴れ間も迎えます。それにより、二度と運命の傘をわすれることもないでしょう。何事も幸せのはじまりせす。やります!
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最も恐れるもの

2021-07-20 08:32:00 | 運命
令和3年7月16日人生の処方箋
[邪気 邪念は相手より自分の体を痛める]

梅雨も明け、蝉がなきはじめました。夏の匂いがします。

さて、最近の医学は宗教の世界を侵食、精神医学のみならず、すべての病気と心の関係を指摘しています。でも、宗教のほうは先祖のさわり、タタリをいう迷信はなくなりません。本当に人間は弱いものです。

例えば、邪気邪念は嫌いな相手に向けられるものですが、昔は祈り釘で恨みを晴らしたものです。非科学的方法ですが、その人間の念の強さは、怖ろしいものがあります。

ところが、天地の理からいえば、相手が仲良く円満に生活していれば、その邪気は入り込む余地はなく、邪念と共に本人に帰り、我と我が手で自らの体を痛めます。

今ではさらに邪気邪念を入り口にあらゆる病いが生まれています。コロナもさることながら、最も怖れなければならないのは、邪気邪念です。運気を閉ざすものです。やります!
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