天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

2022/02/15

2022-02-15 09:56:00 | 神と人
🔵令和4年2月12日人生の処方箋
(その4)[先師は 己が道に至誠を捧ぐ]ライン日記

おはようございます😃
けさは、長くなり、お付き合いくださり感謝です。

明治天皇の推奨による尊徳伝は多くの人に読まれ、苦悩者に生きる勇気を与えました。明治の大作家、幸田露伴の筆によって伝記となり、さらに拍車がかかります。

尊徳師の報徳仕法の弟子たちは、富士講で学んだ人も多く、一般の弟子よりも、学びにちがいがありました。その違いは『奉仕と人のため』が身についていたからです。死後も弟子たちの手によって、仕法は各地で大いに進んだとあります。

富士山登山を祈願して、富士講は生まれています。しかも女性を受け入れたので、江戸城大奥にも人気が高かったと資料にあります。

富士講開祖が、長崎に滞留しているとき、佐賀鍋島、小城支藩から医師の柴田花守も長崎に出張していて、富士講に感化され修行、許されて分派『神道実行教の初代管長』になります。

明治からは、大正、昭和初期に、信教の自由はなく、現人神(あらひとがみ)天皇を中心とする、国家神道で国政を自由にしていた時代です。

佐賀も新たな宗教は許されず、佐賀に生まれた実行教の佐賀県教会長として、父辰三郎に続き、御神尊様も教会長をつとめています。

ここで、二宮尊徳師との時代を超えた、苦悩者への慈悲が地下水流のように、表にあらわれてくるのです。
(ここまで、)やります。!
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