天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

6/9 庭と心の手入れ

2019-07-17 10:07:05 | 信仰と生活


2019、元年、6・9、人の家、神の家
[一家繁栄の家には、常に神の守りあり]

結婚すると、『昔から!一家を成す、』と称していました。そこには、『繁栄を願わない人』はいないわけで、そこに、『喜びごと、幸せなことが、どれほどあるのでしょうか?』この機会に点検ですね。

『繁栄のもと』には、『必ず家族の和やかな団らん』があるものです。といいましたが、『必ずしも、家族が和気あいあいの団らんが、あるわけでもない』でしょう。でも、『お互いが、そこに向かい、団らんの生活を、織りなすところ』にこそ、『家は栄えることになりましょう』

『家というのは』『夫婦の婚姻によってはじまり、やがて子供を授かり、父母』となります。そして、『夫婦親子という、家族が』『喜びや悲しみを共にしながら、子々孫々にいのち』をつないでいきます。しかし、『そこには、家の存続、繁栄は、一家団らんなしには、実現』できないのです。

『家とは、』『夫婦、親子、兄弟、家族によって、家は営まれていきます』そして、『その家と家族を結んで、家庭』といいます。
さて、『繁栄の基礎』は、『団らんといわれてます』が、まずは、『家庭の庭の字を、考えてみましょう』『庭木は手入れを怠ると雑草が茂り、見るも無残な庭』になってしまいます。
『家庭もしかり、』『不和対立の、お互いの心の雑草を、野放し』にすれば、『家庭崩壊はあきらか』です。『そうならないように、夫婦、親子、偕に喜び合う』という、『心の手入れに加えて、家の中を明るく楽しく、枝ぶりも豊かな日暮し』こそ、『一家繁栄といわれる』のです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/8 心

2019-07-13 12:11:06 | 信仰と生活


2019、元年、6・8、精神力と信仰
[人間心は強くして弱し、人間心は悪に強くして善に弱し]

人間ほど、さまざまな環境に応じて、千変万化する動物はありません。以来、宗教家はこのことを称して、人間ほどの化け物はいない。といったものです。
『万物の霊長人間』言葉ひとつ間違えば、上機嫌が不機嫌に。笑顔も、一瞬で顔は固まるのものです。

そして、『喜びに弱くて、悩みに強い』
嬉しく楽しいことも、ひとつの電話の内容で、奈落の底に簡単におちていきます。

人間は強弱両面を持っています。
そのつど、相手との人間関係しだい、梶のない船のような人がみられます。

『明るく、柔らかく、優しくに弱く』『憎み、とがめ、とらわれに、めっぽ強い』
これを『悪に強い、善に弱い。』と心配されるのです。
心身ともに、明朗快活をを日常生活に実践してこそ、幸せの道のりが見えてくるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/7 偉大なる私 ④

2019-07-13 10:09:13 | 信仰と生活


2019・元年、6・7、心と運命
[汝の中の、汝の発見][偉大なる自分]その4


まとめてみます。『すべての人間に、平凡なる自分』がいるように、『人生の橋を踏み外さない』ため、外したとしても、『回復するだけの力』を持つ、『偉大なる自分』も心の中に、内在しているのです。それを実際の生活に使い、活かして、『生き甲斐ある人生を望まれているのが、御神尊様』です。

[偉大なる自分]とは、何を具体的に、生活に活かせばよいのでしょうか?
❶決めたことは、1日ずつかさねる自分。
❷油断は、邪気、邪念のもと。アッサリと対処する自分。
❸憎しみと、深い悩みに時間をかさず、喜びと笑顔には、こだわる自分。
❹囚われを捨て、手を差し伸べて、人間関係をまろやかにする自分。
❺何事もあきらめず為せば、かならずできるとの信念で努力を惜しまない自分。
❻不幸に泣かず病気に悲しまず、そのつど我が心のうちを振り返り整理して、常に心明るく幸せのところにいる自分。
❼切り替えを早くし、常に新陳代謝の日暮しえお忠実にする自分。
❽理解と愛はうらおもて、人生最高の生きる自分。
❾住みよき家住みよき社会造りに、生涯を捧げる自分。
➓世のため人のために、お役に立つことに人生を生き抜こうとする自分。

とにかく、自分を卑下せず、神から与えられた偉大なる自分の存在を忘れずに、その自分の発揮によって、幸せをつくりだすことです。
10項目の中から、これはと思うことにこだわってみてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/6 偉大なる私③

2019-07-13 10:00:42 | 信仰
2019、元年、6・6、神と私
[偉大なる自分]その3

『偉大なる自分』とは、御神尊様が20年の意志と信念で、つかまれた力です。われわれの次元でいえば、(邪気、邪念)に囚われたときに、少しでも早く人間らしくなれる力です。その『偉大な力』は、苦難に逢うたびに、自制、抑制も自由自在になり、パワーも成長していきます。

『御神尊様は、人間力』と言われました。100日間の三社参りの行中は、くじけそうになるたびに、『こんなことでどうするか?』『一人前の宗教家にならんぞ!』と、亡き父の声が耳たぶを打ちました。『どんなことでも、為せば、必ずなるんだ。』『なにも動かずして、何ができる』『神からいえば、お前たちの心中に神ごごろあり。必ず成る。』御神尊様は、100日間千里の道のりを踏破。(とうは)

御生家の玄関で、仁王立ちになり、叫びました。『為せば成るー〜必ず成る!』『やればできるー〜』『平戸の御行での、あなたのたましいは、神の社(やしろ)であり、神がおわします。』だから、神を遠くにもとめずとも
『あなた自身の心中に、偉大な力』として、いかなる苦難に出会うとも、実践の誓いで、お救いいただくのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/5 偉大なら私② 日常

2019-07-13 09:41:06 | 人生
2019・元年、6・5、神と私
[平凡なる自分]その2


昨日に続きます。
日常的な生活ではごく普通の事

❶朝、父親は仕事に、子供は学校に、母親も仕事かも、そんな1日です。その中に、病気や、単身赴任。一年中海の上という仕事もあります。

❷ひとり一人のその心中には、時により感情の上下で(人間らしさ)が、定まらない自分があります。

❸その時しだいの、感情のほんろうですね。喜んだり、笑ったり、泣いたり、怒ったり、その時により感情が左右されます。

❹幸福 健康のときには喜び、不幸 病気に悲しみ、その時どきの感情に左右される不安定な自分です。

❺毎日を喜怒哀楽の感情のままで過ごすため、常に心が落ち着かない自分がいます。

私もたびたび、『平凡な自分』がいて、人生の橋を踏み外しそうで驚きます。
自己の再発見です。
ここでいう、『偉大なる自分』を自覚の上、自在に発揮できれば、人生の車も安全運転ですね。明日は本題に迫ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/4 偉大なる私 ①

2019-07-13 09:26:47 | 信仰


2019、元年、6・4、偉大なる私
[汝の中の、汝の発見](その1)

あなたの中に《もう一人のあなたがいる》といわれています。
御神尊様の20年の修行は[まさにもう一人のあなたの発見と、臨床実験の旅路]でした。

その目の付けどころは、人里離れた山間部や人間関係の複雑なところを選んで、そこに独特の病気や事情の発生することに着目し、研究の確信が持てるだけの成果を確認しては、移られるました。

そして、昭和15年の平戸の御行では、ついにすべての人間の中に[偉大なるもう一人の人間]が宿っていることを、発見!
それを2人の汝といわれ、[平凡なる汝][偉大なる汝]と表現されました。

一見平凡な私。
その奥に偉大な力のある私が、隠れひそんでいるのです。
しかも、平等に差別なく、存在しているのです。
『愛ある生活』『調和のある生活』『偕に手を携えて生きる生活』これこそ、人間の霊(たましい)の奥底に眠る生命力です。

御神尊様は平戸35才の行を満願して、皆に言いました。
『神さんは、おらんとばい』と方言で、仰天のお言葉が口をつい出てきました。その場にいた信徒はのけぞりました。
そして、『神さんは、あなたの心の中に、おらすとばい』
おそらく、これほど、的確に、あなたのなかに、神の存在を明らかにした宗教家はいないでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/3 神からの贈り物

2019-07-13 09:20:17 | 運命と生活


2019、6・3、神からの贈り物
[あなたは、神から与えられたものを、どのように使いますか]

まずはこの『いのち』これは、あらゆる生物の中で、あらゆる、能力を保持しています。そして、『万物の霊長』ともいわれています。私は十分に発揮しているのでしょうか?

私は、21年前、55歳のとき、脳内出血で死線をさまよいました。その時に、病院のベットで、自身の心のうちを総点検したものです。神から与えられた、この貴重な『いのち』は、自分自身と、人間関係の中に活かすためのものでした。

その、『いのちの時間』こそ、『神から与えられたもの』それを、忙しさにこと寄せて、❶人を完全主義で責め、❷短気で仕事を急がせ、❸柔らかく見せかけた頑固、❹人の好き嫌い、❺おん着せ名人、に消費してきました。本当に、懺悔の日々でした。
しかし、『不思議ですね。』
『本当に、人生は辛苦の旅です』ー自分に呆れました。
『ようし、神さま』『今与えられたものに、気ずきました』
❶ぐちはすてます。きりかえます。❷懊悩をさけます。❸チリ箱に徹します。❹為に生きます。❺柔らかさ、笑顔に徹します。❻情に生きます、

『神から、与えられたもの、』いらい、これに徹してきました。だから、『悩み、憎み、囚われ』『相手を変えようなんて、偉そうな、私にたどり着いたのです。』
でも、神の慈悲は凄い、左半身マヒからの完全復活をプレゼントされました。そして今日があります。

『自分は弱い、信念がない』といって、心の時間を消費しないように。後悔しても、過去に戻れない。そして未来に期待しても先のこと。では、今はどうなっているんでしょうか。?今こそ、神からの下されもの。生かしてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/2 行けば着く

2019-07-13 09:16:30 | 信仰と生活


2019、元年、6・2、運命開拓の道
[行けば必ず着く、故に、着くことのみに魂を奪われず]


御神尊様が、[昭和28年1月4日、に重大発表]があり、[祈りの1年と定め][2日、12日、22日。三社まいり、徒歩の行]が行われました。寒い木枯らし、雪混じりの日、あるいは、大型台風に見舞われたこともありました。もちろん、真夏の油照りの、焦熱地獄をものともせず、『御神尊様は、為せば必ず成る』の精神を随行教師、幹部信徒に、自らの背中で教え諭されました。

その中で、肺結核の病み上がりでありなら、『随行教師に、若き日の佐藤瑞教師』がいました。42キロの道のりは、地獄の苦しみでした。小城街道佐賀鍋島本部から、天山に向かう県道の途中、小休止していると、先導の御神尊様が、つかつかと佐藤教師のそばに来て、小声で、『先を見るな、先を考えるな、足元をしっかり見て歩くのだ、』『でなければ、持たないぞ。』と慈悲の声をかけられました。

大勢の随行者を、引き連れながら、ひとり一人に目をかけておられたのです。自らの苦しみをものともせず、そして、
『行けば必ず着く』『行きもしないうちから、着くことばかりに気持ちをうばわれて』どうする、と。

『この世は、一瞬も時をとめる』ことはありません。『常に、自分のやり方、生き方を振り返りつつ、改善しながらすすむ』のが『行く』ことです。天地は前にしか、進んでいないのです。

『行きもせず、着くことのみ』を心配して、右往左往するなど、とんでもないことです。『行くことが先か、着くことが先か。』もうわかるでしょう。『行くという行動を忘れて、目的達成に魂を奪われる』のでは、目的を実現することはできません。佐藤瑞教師は、その慈悲の言葉で、我を取り戻し、元気にやりますの叫びと偕に、満願しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/1 天地の道理

2019-07-10 11:45:09 | 運命と心


2019、元年、6・1、性格と運命
[いかに正しくても、人をとがめたら負け]


[あの人の言うことは、間違っている][自分の立場は、正しい]と、しきりに主張してゆずらない人がいます。そのような時に、『あなたが間違っている』などというものなら、火に油ですね。

そもそもこの信仰は、天地道理を《御神尊様が20年に及ぶ、修行によって悟られた真理》です。
人間の心のように、何か事情が生まれるたびに、コロコロと、天地の動きが、止まったり、進んだり、その日の機嫌の上下で動いたのでは、人間はたまったものでありません。
考えれば、こんな恐ろしいことはありません。天地の運行は宿命みたいなもの、人力ではいかんともしがたいものです。

人間関係で、『あれは、正しくない』といっても『人が作った、道徳観』によるものであり、『倫理観で、批判している』ものです。直ちにいのちに影響はありません。

『神は、人間のどこを見ているか』といえば、『どんなことがらでも、とがめた瞬間』『苦しみを覚え、忘れきれなくなり、』『いつまでも、責め続けることを、負け』といわれてます。

『あなたの心が、過去におきざり』にされているからです。そして、『何と不幸は、正しいことと思われる』ことを、『主張したあなたにおとずれる』のです。それは、ことの善し悪しではなく、天地の動きを無視しているからです。

『対立しても、とがめても、恨んでも、』それは、直ちにその場かぎりにし、『アッサリした方が、勝ち負けの、人間的、表現では勝ち』になります。『神は、事情に興味』はありません。『人にして人を裁く資格』はありません。『あなたは神ですか?』
全て神さまにお任せして、悪しき感情の処理をおねがいします。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5/31 積極的に

2019-07-10 11:11:24 | 人生


2019、元年、5・31、感情と運命
[喜びは消えやすく、不平不満は、消えず心痛めて悩まし]


神から助けて貰うのは、わずかな一部分
自分の手の届くところは、自分で努力して処理していかなくてはなりません。
自分のことを自分ですることによって、初めて神は、力の及ばないところを助けていただくものです。

よって[運命は自分の力でひらけるもの]といわれます。
その日常を見ると、たとえば、跳ぶように喜びがあり、ワクワクして、誰かに言いたくてしょうがないとします。でもその喜びは、その日が最高であって、翌日からは感動もうすれ、やがては不平不満の海にひたるのです。つまり、絶頂は過ぎ去っていくのです。

ということは、常に新しい喜びの発見と補充をしなければ、不平不満に逆もどりです。
それで、喜びの内容よりも、今の喜びをさらなる喜びへ。
つまるところ、何でも、何度でも、声を立てて大笑いできる人になれるかです。

考えてもご覧なさい。腰を抜かすほどの喜びに、毎日であってますか?
いくらなんでも、そうはいかない。
ならば、ちょっとしたことに、感動する自分になった方が早い。
事情に左右されることもなく、良い事でも、悪いことでも、試練と受け止めて喜ぶ事です。

これも、習慣化です。
❶ラクしたい
❷面倒なことはしない
❸言われたことだけ
❹無理はしたくない
❺人に頑張って貰いたい、
消極的では、いつまでも我と我が手で、我が心身をくるしめることになります。
少しずつ亀の歩みで構わないでしょう。変化に挑んでみて下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする