天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

1/22 愛の足し算

2019-01-22 15:50:47 | 運命

[愛すれば、愛される]

この世は、因果関係で成り立っています。
かくすればかく成る道。
今朝の言葉の反語は[嫌えば、嫌われる]です。
それが、人間世界の道理であり法則です。

だから、相手の陰気を責めるより、
自分が、その分まで陽気になり、足してあげる心の働きこそ、愛の足し算です。

不平不満の心も、生活がおもしろくありません。
これも、生活を不幸にし、仕事や子育てに悪影響をあたえます。
『けしからん!』の正義の上に道はあります。

愛の足し算こそ誠を尽くす姿、思わぬ喜びに恵まれるものです。
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1/21 運命開拓

2019-01-21 15:28:19 | 信仰


31・1・21、〔努力は、祈りに勝る]

年の初め、今年の努力、精進によって、運命の展望をかんがえます。

[短期の運命]
今日幸せでありたいならば、今日切り替えよ。

[中期の運命]
明日も幸せで、ありたいならば、人と仲良くしよう。
関係を整える。過去、現在、未来の、心のしこりを整理しよう。

[長期の運命]
ずーっと幸せでありたいならば、徳を積もう。
つまり、人のお世話をしよう。そして、末代を開こう。
人生を、『長く、深く、広く』見渡し、改善観で行こう。
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1/20 母親と運命

2019-01-21 15:22:27 | 運命


31・1・20、
[母の情は、母死すとも消えず]

世の中には、さまざまな形の親子関係があります。
親を知らない子供たちもいます。
しかし、よくよく見定めてみると、親が無くても、親代りをつとめてくれるご縁もありますね。

今朝の言葉は、母のことをいわれてます。
玄関に入って、『お母さんは?』と聞かれるのが、おおかたでしょうね!
お父さんは、あまりききません。
何しろ、この世に生まれた瞬間から、昼夜を分たず、分身のように、直接的、
愛情をタップリと、注いでくれる存在は、母親です。

父は、今より先のことを、仕事上、生活上に、思いが飛びます。
しかし母親は、今と今日を、子供とすごします。
10月10日の胎教を含め、母親の愛情には、かないません。

私は、父母に育てられてないので、養父母が基準になります。
養母を思い起こせば、他人の子供にでも、理性を超えて、お母さんと呼ばせる力!、は本当にスゴイ、
そして、生命を産み、育てる、天与の使命、深く感じます。
これに、信仰の力が備われば、母親は、さらに強くなり、子供たちを社会の風雨から、
いのちがけで守りきるのです。

死してのちも、『守り御霊』として、子の行く末までも、神とともに
見守り続けているのです。

『父は、たての命を伸ばし、母はよこの命をのばします。』
そして女は弱し、されど、母はつよし。この表現にきわまるようです。




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1/19 祈る

2019-01-19 10:41:51 | 運命と心


[暗きが故に迷い、迷うが故に悩み、悩むが故に死す]

『暗いから、迷う』とは、心が今にないからです。
『明るい人は、今に生きる人』だから何事も平気です。
カラっと笑って終わりです。
そこで改めて〔心を、今ここに置く〕とは、カギは祈りの心がけにあります。

私たちは、世の中に「み教え」をひろめようとしています。

病気を治す、幸福にしようというもの、でもありません。

祈りの言葉を、[御璽経](ごじきょう)といいます。
神からの賜りものです。

大本(おおもと)は、[御聖経]です。
その、85節を縮めると、
[天地一切一心正念経](てんち、いっさい、いっしん、しょうねんきょう)の、御璽経になります。
その[御璽経]を、さらに縮めれば、『やります!』です。

[御璽経](ごじきょう)の意味は
(てんちは、それぞれ、バラバラに見える、霊の世界では、繋がっている)
それが、[天地一切一心正念経]です。

『気力と念力が』導き出されています。

(暗いとか、悩ましいとか、迷うとか、)吹き祓われるでしょう。

とにかく祈ること。
「祈った後で、あなたの悩みを聞きましょう!」
と神は言われてます。


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1/18 ここのところ

2019-01-18 10:28:06 | 信仰


31・1・18、〔信仰は、神のいかなるかを知ることではない。]

神を学びたかったら、何処かの大学の、神学科に行けばいいでしょう。

苦しみを背中いっぱいに背負っているものからすれば、そんな悠長な話ではありません。

今、話を聞いて、今助かりたいのです。
しかし、これには落とし穴があります。
今まで即決に助かった方々が、『人生が救われる道』を理解できずに、
道から離れてしまわれました。

1、信仰は、神のいかなるかを知ることでもない。
(祈りと教会参拝などを通して、道を(教え)我が身につけることである)
2、幸福への道を知ることではない。(幸福になることである)
3、健康への近道を学ぶことではない。(健康になることである)
4、これから、善人になろうとするものではない。(善人になることである)
5、助かろうとすること、ではない。(今ここに、助かることである)
[神はここの所に、来たりて救いたもう]

<ここのところ>です。

『いかなるかでもなく、知ることでもなく、学ぶことでもない、なろうとするのでもない』

ただ、[ここのところ]に揺れる心を定めて決めることです。

決めたら、歩けば良いのです。
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1/17 上中下位

2019-01-18 09:00:18 | 信仰と生活


31・1・17、信仰と運命
[信仰は、神を上位に、人を中位に、我を下位に、
もって神と人と我を、尊と敬に置かんとすることなり]

ちょっと、長いですね。でも、明快に私たちの立ち位置を、示されています。

神を敬うのは当たり前として、人を(夫や妻、親、子供たち)を自分よりも上に、
そして、初めて自分が下位に出てくるのです。
普通何か嫌な事があると、「こんなの自尊心が傷つくから嫌だ」といって、
苦悩している方がほとんどです。

それは、人生がもったいない、時間がもったいない、とは、思いませんか?
徹底した感謝の表現で、感性を磨きましょう。
そうすれば、買ったばかりのメガネのように、苦悩の原因が手に取るように分かる筈です。

『おれが、』『私が』が、地番上の立ち位置にあります。
神を立てるように、周りの人を立てれば良いのです。

スッキリと、尊(とうとく) 敬(うやまう)する。
そこに、信仰の良さががありますね。実にシンプルです。
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1/16 祈る

2019-01-16 11:29:35 | 信仰と生活


31・1・16、〔人を思うは祈りなり 人を幸せのために、己が我を殺すは、祈りなり]

おはようございます。
今朝は、御神殿の前ばかりが、祈りではなく、人間関係の中に活かすことを求めています。

いろんな、祈りの解説がありますが、
ここでは、御神殿に向かい熱涛の祈りをいくら、唱えようとも、

1、人のことを、思うこと。
2、人のために、我をあとまわしにすること。
3、人を待たずして、行うことを、先にすること。
4、そのような祈る心には、悩みがない。
と教えられています。

『御聖経は、20年間の御苦行の悟りの集大成です』
そして感動するのは、[心は運命の製造者にして、生活は運命の製造所なり]
の大原理が、どこにもでてこないのです。

それは、85節の経文で表現されているのです。
そしてすべての経文は、天地と人に向けられています。

『人を無視しての祈り』に、運命開拓はありえません。
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1/15 神に至る道

2019-01-16 11:21:34 | 神と人


31・1・15、〔感謝は神に到るの道]

おはようございます。
昭和57年10月21日〔御霊殿建立、新本部道場拝受〕を記念して、新宗連全国総会が行われました。
そして夜には、筑紫野市二日市温泉、大丸別荘で懇親会が開催されました。

来賓の各宗教の教主様、会長を代表して、東京のG会の会長先生が、ご挨拶されました。
私は、そのお言葉に感動して、いまだに忘れずにいます。

右手に御聖経を掲げ、〔69節の感謝〕を挙げて
『ここまで、感謝の意味を解説された、経文を知りません』とお述べいただきました。

ここに改めて、記してみました。

[天地一切のものと、和解するとは、これ天地萬物に感謝することなり]69
[先ず、天の一切に感謝せよ 地の一切に感謝せよ]70
[汝等の祖先に感謝せよ]71
[父母に感謝せよ]72
[子に感謝せよ]73
[夫に妻に感謝せよ]74
[兄弟姉妹に感謝せよ]75
[而して、すべての人に感謝せよ]76
[かく偕に感謝の生活に、生き抜くことこそ 則ち神に感謝することとなる]77
[これ神に到るの道にして神のもっとも、よろこび給うところなり]78

この経文には、縦の命の流れと、横の命の結びは、すべて
[感謝の2文字]の実践にかかっていることを、お示しになられています。

合掌








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1/14 模倣性を生かす

2019-01-16 11:10:47 | 信仰と生活


30・1・14、〔子供は親の延長である〕

実に平凡な言葉、当たり前の言葉として、聞き流されてしまいそう。
でも、平凡な言葉ひとつできないのが、私たちです。

子どもたちが、思う通りにならないのは、昔も今も変わりません。
確かに、[子は親の言う通りにはなりませんが、する通りににはなる]と言う
[模倣性がある]のが特徴です。

この特徴を活かして、『良い生き方、素直な生き方』を示しさえすれば、必ず親の生き方をマネて、
願う通りの子どもに成長してくれるでしょう。

御神尊様はさらに、
〔口で小言を言わず、素直なる行いをもって、教え示せ、
人間には、模倣性というものがある]と教えてくれています。

ちなみに、父母の言葉から、『はい』が抜けていたり、
『ありがとうは、いわなくても解ろう』などは、
まさに『恩着せ』の最たるものです。

素直ならば、当然のように、自然に出てくる言葉です。
やがて、小言も姿を消すはずです。

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1/13 親業

2019-01-16 10:56:03 | 信仰と生活


30・1・13、〔子は常に、親の光なり]

小さかった子供たちは、やがて思春期を迎え、人生のさまざまな難問に
行き当たることになります。

その人生の岐路にたち、「父や母だったら、こんな時どうやって乗り越えたのだろうか?』
と思い悩むときがあります。

私たち親は、日々子供達に、何を学び取らせていたのでしょうか?
親の真価が、問われます。
折にふれては、『喜びを表現していたでしょうか?』
『愚痴をこぼしてきたのでしょうか?』
どの様な生き方を、選択してきましたか?

真に、子供の幸せを願うならば
『喜びの光ある生き方』を、常にこころがけたいものです。

[汝、親たちよ、子供に泣かされる親の悲しみより、逃れんとするなかれ]

[これ成長期における、当然の現象であり、これこそ汝の子供たりし頃の報いなり]

[いかに、子供に泣かされるとも、これ苦しき楽しみなりと自覚し、無条件に子供を愛して、
母の(おや)の誠を、我が子に献げよ。よき子の育たざるなし。]
[かくありてこそ、神の慈愛や注がれん]

聖主様が、私の子供の方向が決まるたびに、
『お前の処の子どもたちは、個性的な道を行くなあ!』
と、誓願殿で言われたことがあります。

『どうしてでしょうか?』と聞くと
『そりゃお前が、そんな生き方してるからに、決まっとろう!』
今も、耳の底に聞こえてきます。




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