天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

5/4 生活と実践※2

2019-05-15 10:04:17 | 運命の認識


令和元年、5・4、
[善は、人に施すことによりて増す]

『善という言葉』ほど、誤解されやすい言葉はありません。『善には、道徳的な面と宗教的な面』とがあります。だから、「宗教と道徳は同じだろう」と、いわれる人もいます。

しかし、良いことを行うために形がみえるのが、道徳的な善です。宗教からみれば、その善に、たましいを入れ誠意をもって、行うことにあります。御神尊様は、そのことを[善を苦しめる宗教の世界]といわれました。善行は、その中味は問いませんが、宗教は、その中味が問題です。何しろ、運命となって、おもてにあらわれるからです。

家庭にも、社会にも、喜んで人の助けになろうと、動く人もいれば、仕方がないと、いやいや動く人もいます。そのことを、形は良いことをしても、『喜んでが欠けている』と、せっかくの『奉仕、善行も』その人の人生に良い結果をもたらすことはありません。

『善行』も、自然に行える人は、『意識もなく、恩に着せず』『おはよう、ありがとう、ご苦労さま』など、そのさわやかさが、『善のはじまり』でしょう。『私たちは、どこかで、誰かのおかげ』を受けています。むしろ、善行の意識より、『おかげ様のお返し』という気持ちで、行動することが、重なって伸び、あなたの徳として備わり、その徳が我が家を包む日がやってきます。
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5/3 心と機能作用※1

2019-05-15 09:57:48 | 運命の認識


令和元年、5・3、
[心の手、心の足を、相手と偕に動かそう]

太陽は万世(ばんせい)に照り輝いて、天地の生物を育くみ続け、地球は寸秒も休むことなく自転し続けています。時に甘露の慈雨を降らせ、天地自然の恵みのあまねきことでしょう。まさに、天然美そのもの。昭和25年ごろの講習会、閉講式では、美しき天然のメロディーが流れていました。

このような天地自然の動きは、人間の生活には、直接関係ないように見えます。しかし、天地の恵みこそ、人間を含めた生きとし、生けるものの生命線です。私は70年もかかり、今その感動を日々、受け取り、どのようにお返ししようかと、努力の最中です。

『あさのことば』まさに、天地の思いに馳せ、人間関係に表現しなければならない、人間としての使命があります。
それは、関係をつなぐのに、互いの思いを言葉にして、優しく語れば相手の心に伝わるのに、それができないために、次第に心と心がズレ、すれ違っていきます。

また、相手の言葉に込められた思いを、素直にうけとめようとしなければ、さらにズレていくものです。
感謝の思いは、上から目線では、通じません。一段へりくだり、優しい言葉で語りかえさえすれば、いいのです。

その時は、天地の歩みと同じ歩行、『心の手、心の足が、偕に働き』人間関係が成立していきます。心身は天地の働き、呼びかけを、真似れば、順調に機能していくものです。
ありがたいことです。



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5/2 感動人生

2019-05-05 21:45:19 | 人生


令和元年、5・2
[よく泣き、よく笑い、素直に生きて、感動人生]


令和となりました。昭和は遠くなりけり。
先日テレビで、在宅医の日常を密着取材していました。最近は家で終活という患者さんが増え、それを受け入れる、かかりつけ医も増えてきました。

その医師も、若くはありません。でも、その元気は患者さんから、もらっているものでした。患者さんが上司で、私は部下といわれ、看取っていく決意がつたわりました。明るく朗らかに、笑顔で快活。患者さんと家族を、しっかりみているのです。

患者さんに問いかけます。『あなたは、どうして家をえらんだの?』すると、『庭の花が見たかった。病院では見れないから』と答えました。でも本音は、奥様や家族と偕に過ごすことでしょう。しかしその言葉はでませんでした。

医師は『どう治すか?』『どのように、看取るか?』笑顔のすべてを注いでいました。若さと元気のもとは人間関係にあり、笑顔のもとも人間関係にあります。『人生を面白くする』のは、『夫婦、親子、友人、などの、人間関係』です。

私は、孫の成長を観て、腹一杯の笑顔をもらいます。それをそのまま、大人の関係にまで伸ばすと、『涙がでるほど、笑い』『笑いの上に、また笑う』『毎日が感動の連続』です。
そして人生の目的は《感動するため、感性を豊かに保つため、人とつながりを切れず離れないため》です。
家族のために、進化と変化を恐れず、感動人生です。
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5/1 嘘とは

2019-05-05 21:35:28 | 人生


令和元年5・1
[嘘は不安の基、嘘は自ら信を失う、嘘は短命の基]

[嘘とは]何を指しているのでしょう。生き方に[不誠実と誠実さ]をさしているのでしょう。
それは、人間関係に正直に現れてきます。きずかなければ、見ていなければ、その場しのぎの言葉や行動、態度。それが人間関係では、隠してもその人間性は自然に現れてくるものです。
わからないだろうと、隠しそうとするのも、その人の人格です。
やがては運命上に姿を見せてきます。

本心を隠して、つごうの良い生き方は、神もあなたも、心の奥でよく知るところです。
やがてそれは《自分で自分が信じられず、不安と不信に悩まされて、不幸せに遭遇(そうぐう)する》ことにつながります。

赤信号を無視してわたる大人。真似して渡ろうとした子どもたち。
国道の無人屋台で、旅の恥はかき捨てで、お金を払わずにいく人。
そこで、鏡をつけました。
卑しい顔は、鏡が神の代わりになり、思わず本心を呼び起こされた人がいます。

妻の気持ちが、夫の忙しさがわかりながら、優しさの言葉を、胸にしまう夫婦。
それも、一種の嘘でしょうか。
周りに不誠実という嘘を、いっぱいついてきた人生でした。
これで幸せは虫の良すぎ?『今日も一日、自分に、家族、人様にも、誠実さで、真実の人生を生きること』を、神に祈りで誓いましょう。
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