天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

偕に生きる

2024-04-27 09:07:00 | 信仰人生
🔴24令和6年4月27日実践心学
[.ひとりで生きるため?]ライン日記

当然かえってくることばは『ひとりでは絶対に生きられない』
です。

🔵『一意一従』(いちいいちじゅう)自分の考えに従わせようとすること。すると、相手もまたこちらを従わせようとし、相手も反発します。これが対立のすがた、やがてふしあわせの現実となります。

🔵二意同行(にいどうこう)これこそ、人と人とが心を合わせて生活すること。家族や世間の人と心を合わせ生活する喜びの姿です。混じり合っての和の道、人はひとりでは生きられず、とはいいながら、孤立したがるのは、どうしても『我(が)の病気持ち』だからです。『素直で朗らかに生きるは、人のためだから何の苦もない』そこだけ。やります!
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再現性

2024-04-27 06:25:00 | 運命と心
🔴24令和6年4月26日実践心学
[うれしさ たのしさの再現性]ライン日記

ものごとがうまくいくときほど、楽しくて嬉しいときはありません。ところが、うまくいく現象には、じつは手応えがないのです。だから同じことを繰り返せば、うまくやれるはず。でも、できないのです。それを再現性がないといいます。

ところが、意見は対立しやすく、咎めたり、やかましくいうことは、意外とたやすいのです。つまり、再現性があります。
これはチカラがことばと一緒に入り、手応えを感じます。まさに心の使い方しだい。

喜び笑顔は、心身が柔らかくリラックスできます。対立は心も体も固くなるもの。とにもかくにも、喜びと笑顔でリラックス、病気予防の習慣で、幸せの再現性となります。
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素直が一番

2024-04-27 06:20:00 | 運命と性格
🔴24令和6年4月25日実践心学
[我(ガ)の性分が寄り付かないもの]ライン日記

人間には、誰もが持つ大きなクセがあります。それは、我の根性(こんじょう)という心の病気です。これが治れば、おかげは願わずともあたえられるものです。そんな保証があるなら、嫌でもやらなけりゃですよね。

『我の性分が、嫌がって寄り付きにくい』のは、なんといっても『素直なこころ』です。間違えたら相手がだれでも『頭を下げて詫びること』ができる。淡々として物事にこだわらず、柔和な笑顔が絶えない、これにはさすがの『我も、張り合いがない』コソコソと姿をかくすよりありません。『我は明朗快活に庇(ひさし)を貸して母屋を取られる』ようなもの。運命転換なんてこんなものです。やります

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繋ぐの意味

2024-04-24 08:43:00 | 信仰と生活
🔴24令和6年4月24日実践心学
[関節が教える道]ライン日記
その❷
おはようございます😃
『病と性分』は、誰かに当たるので、人生の香辛料と思ってくださいね。『憎み咎め』は誰もが持っている性分のひとつです。そこには『性格的に浅い人、根深い人。短い人、長い人』の差があります。

今朝は関節系、は『頑くなで解けにくい』ところがあります。体は辛いので治りたがっていますが、でも『性分が赦さない』のです。『頭の回転も早く、会話が空中を飛びかう』ほど。だから『アッサリが大の苦手』です。

『骨と骨をつなぐのが関節、これを断ち切る』わけにはいきません。ちょうど『親子、兄弟の縁のようなもの』です。でも『切ろうとするからやっかい』です。なに『心をつなぐ修行と思えばよい』のですが。やります!

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遺伝

2024-04-24 08:40:00 | 考え方
🔴24令和6年4月23日実践心学
[骨と骨は親戚なのでしょうか]ライン日記
その❶

病気というものは、天地のはたらきから観れば、性(しょう)のあらわれといいます。つまり性格のこと。親からもらう、先天的とのちの家庭環境から育つ後天的の両方で身に備わってきます。

親が楽天的なら、子も楽天的。親が悲観的なら、子も悲観的。親が笑わなければ、子も笑いません。無口も当然のなりゆきです。そこにあらゆる病の根が潜んでいるとすれば、おろそかにできません。


時に、全身の骨格は骨と骨、そして関節は骨と骨を繋いでいます。そこに病いが現れることがあります。その病気によっては親戚といわれています。今日はここまでにします。やります!
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人間リニューアル

2024-04-22 10:39:00 | 新陳代謝
🔴24令和6年4月22日実践心学
[ふしあわせの のれんをおろす]ライン日記

ここでいう『のれん』の意味は、病気、経済、人間関係などの事情を一掃、のれんをおろすといい、廃業を勧めています。では、どうすれば、ふしあわせ屋を廃業し、しあわせ屋の新規開店となるのか。

一体何を売っていたのか。それは不平不満で、不和と不満を店頭に山盛りの商売。では新規開店では、メニューは、喜び笑顔焼きそば。グチナシラーメン、明朗快活(替え玉、無料)
これで千客万来です。
ふしあわせ屋の陰には『わたし我(ガ)』の恩着せが隠れています。これを捨てれば、のれんもしあわせ屋となりましょう。やります!
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祈りの目的

2024-04-22 10:34:00 | 信仰と生活
🔴24令和6年4月21日実践心学
[天地は立体的な生活をのぞむ]ライン日記

両の手を合わせる合掌の、真のエネルギーはただ、天地の神に祈るだけでは、願いはとどきません。その合掌の心そのままに、純真で敬虔(けいけん)な感情を家族に向け、社会に向け流れ続けているのが肝要(かんよう)です。

ただ、天地に祈りながら、人とつながらず、邪気に汚れた一方通行の合掌では通じないのです。天地に祈る前に、人と人がつながりをもつ、それは和をうみ、喜びの源泉となります。

そこに幸せで、健康で、和やかな家庭となり、初めて天地の祈りとなるのです。そのことを立体的合掌生活といいます。

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自我の出口

2024-04-20 09:06:00 | 運命の原理
🔴24令和6年4月20日実践心学
[自我と共に倒れそう]ライン日記

ある方が語ります。『今日もきのうの続きくらいの刺激のない日々を送るうちに、私は大変なことをしでかしていました。
自覚もないうちに、心臓が弱っていき、息がはずみ、足はぶくぶくと腫れ、家族の心配をよそに、腫れはひかないのです。』

さて、よくよく心の内をふりかえれば、(我が)の強い私がいます。『私が我慢すればことはすむ』それはいつしか、自分を否定することになり、自我は出口を失い体をこわしはじめ、それが心臓にきたのです。
そこで助け舟。
『自我を一枚めくれば、そこにあるのは真我(しんが)』です。我慢は切れること。『真我は、素直に受けて、つなぐ心』そこに手がとどきさえすれば、心臓に心配かけることもないでしょう。やります!

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生きる道の開拓工事

2024-04-19 08:35:00 | 人生
🔴24令和6年4月19日実践心学
[今年こそはで もう4月]ライン日記

私たちは、年頭にあたり今年こそはと、何かしら誓いをたてるもの。すでに4月を越え、新年度、新学期、私には神学期です。カメのような歩みですが、目的に向かい山を登っています。なんであれ、善いことも悪いと思えることも、実は目的にみちびく道です。山道もあれば、舗装された道路もあるもの。どちらにしろ、歩かなければならないのです。

止まるは最悪。時事刻々『これ新たなり。日々これ新たなり。年々これ新たなり』どうでしょう。ウサギはカメに負けたくないの勝敗感情のみ。でもカメはそんなことより、苦しさの中に気を切り替えて、目標に向かっています。そして喜びの道を切り開いています。やります!
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いま為せる事は

2024-04-19 08:32:00 | 人生
🔴24令和6年4月18日実践心学
[為すべきことを 十分に為すこと]ライン日記

為すのことばには成る、はつきもの。でも、今朝は『為すに為す』とにかく、今は高齢化が心配される時代、さて自分を含め為すべきを十分に為し尽くしているのか。この世に何もし残したことはないのか。

ところで天地の道を学びながらおかげ目的、そのような功利的なものではなく、心身の修養におくことにあります。

ある日の御神尊様は、『人の生き方は千差万別なれど、死ぬ時に真に安らかに、眠るが如く死を迎えるには、その人の生きている生き方に問題がある』と語られています。つまりは、死に方の問題は『生き方そのものを見ればあきらか』というわけです。それは、どれだけの人を喜ばせたかでもあります。やります!
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