天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

人生の目的

2020-10-25 15:26:00 | 沿革
令和2年10月10日
[成功は師なり 失敗も師なり 文字は師なり 天地自然は師なり]

私達の歩む道と、世間一般の道とどこが違うか?
限られた対象を救うことではなくて、すべての人が救われる道の探求に、全身全霊をささげられたのが御神尊様です。

けさの真意は、スペースが短かいだけに誤解されそうです。その誤解をあえて恐れずに、少しとりついてみたいと思います。

御神尊様はこれまでをふりかえり、『修行の過程で成功の場合もあり、失敗の場合もあった』といわれます。

成功はそれが臨床例となり『失敗のときはなぜなのか?』『その欠陥を修正し、反省と改善』をしたもの。このようにして『成功を師とし失敗もまた師』として、修行を重ねたといわれます。

『生きた人間の師』がいなかっただけに『自分の足跡を師』としたわけです。
その間の模索、手探りが20歳から40歳までの修行になりました。

あらゆる宗教書、経典の研究、そして自らの体を通じて臨床体験を積み、やがて『行間の文字、字間の文字、無字の字をも読み取る』努力によって『姿なき師に教え導かれて、天地の真理に到達する』ことができたのです。

小学6年時代の成績表には『卒業の見込みこれなく候』と書かれていたのは有名なこと。
それが、人間なんらかの、目的を持ちやる気で『やれば必ずできる』『為せば成る』『天地自然のはたらきこそ師と仰ぐこと』で道はひらけたのです。やります。!

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3/12 生月島

2019-03-14 15:17:17 | 沿革


(31・3・12、沿革、捨て身、生月 [腕力捨て身の祈り]

ずいぶん、沿革から離れていました。御神尊様には、『20年の行中』『7回の捨て身の祈り』がありました。次のようなことです。
❶桑鶴、捨て身の祈り(天山)
❷水行、捨て身の祈り(熊野)
❸腕力、捨て身の祈り(生月島)
❹捨て身の行、捨て身の祈り(平戸)
❺千里大行、捨て身の祈り
❻レンガの行、捨て身の祈り
❼百度詣り、捨て身の祈り(原田)

長崎県生月島では、月に1回渡られて、布教に当たられていました。ある日のこと、島1番の大男で、暴れん坊の男があらわれました。御神尊様が、ウワサ通りの方か、真偽を確かめにきたのです。
一目でそれと見抜いた御神尊様は、横柄な態度の大男の前に、仁王立ちになりました。そして、有無をいわさず、いきなりコブシで殴りつけられました。これには、一瞬、男の目の色がかわりましたが、御神尊様のケイケイたる眼光に、射すくめられてその場に、へたりこんでしまいました。

実は、彼は子供の病気を抱えて苦しんでいたのです。その男の正体を見抜き、人に迷惑をかけ、家族に心配を重ねてきた人生を、コンコンと諭されました。涙ながらに改心した、結果、子供も助かることになりました。

御神尊様の、厳しさの中の、慈悲に触れて、父親の情にめざめたのです。しかし、御神尊様は、彼に、頭を下げて、『あなたを、いきなり叩いたのは、見たところ、素直に話しはきいてはくれまい』と、『命がけで叩いた、もし叩き返されたら、いのちはなかったろう。本当に済まなかった』と謝りました。

のちに、生月の方々に、『宗教家がいかなることのあろうと、叩いたり、殴るのは、まちがいである。』『わたしの、行の汚点である、どうぞ、忘れていただきたい』といわれました。
あくまで、謙虚な生き神様でした。御歳、35歳頃。

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3/9 神様

2019-03-11 09:53:58 | 沿革


31・3・9、この道の特性 [汝、病むが故に、神もまた病む]

人間が倒れる時、その心中は、苦悩で絶望のふちに立っています。
その中身は『不平不満、憎悪、懊悩、悲哀』などと、キリがありません。
まさに心身ともに、病んだすがたです。

『心中に神ありの発見』が『平戸の50日の行』
だからこそ『神もまた、病む』といわれるのです。

『神は、無差別平等』に、愛して下さいますが、人間はそうはいきません。
昨日の夫、妻は、好きだったが、今日は嫌いというように、時により相手によって『愛に差別があるのが人間』です。

『自分の都合に合わせて、愛の生活』というのが、人間生活の現実です。
その時その場『自分に都合の良い、一方的な愛!』しか、持ち得ない人間。
そこを知っているからこそ『偕に病み、苦には苦』
試練をもって、あなたのために、道を開こうとされるのが、神の慈悲です。




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12/12 幽界物語(2)

2018-12-15 10:01:40 | 沿革

御神尊様は、幽界への旅立ちを、予感されてのお言葉でした。
やがては、多くの信徒、ご先祖様の、守護神(まもりみたま)としてのご存在を、視野に入れて
のことでしょう。この時、すでに御霊殿や、祖霊殿祭祀の芽生えが見られ、幽界も顕界も
独自の、御霊祭り(みたままつり)が行われるようになりました。

とりわけ御神尊様は、み教えを伝えることに生涯を捧げた、
功労者の慰霊祭を大事にされました。
春秋2回の祭典が、現在のひな形となりました。

昭和54年9月29日午前4時43分に、ご帰幽を迎え
御神化(ごしんげ)されることにより、『幽界のことは、まだ早い』と
『私は、ここには、入らない』は、御遺言のひとつとして、生命三斎の確立につながりました。

今朝は、幽界物語をこれから書き遺しておくために、
皮切りの2日間とさせていただきました。
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12/11 幽界物語、(1)

2018-12-15 09:41:27 | 沿革


かつて御神尊様は、佐賀本部の頃、ある教学研修会の席で幹部さんが質問されました。
『御神尊様、幽界のことは、どのようになっていますか?』
その質問に、『幽界のことは、まだ早い』といわれ、それ以上触れることは、ありませんでした。

やがて時はめぐり、昭和50年道祖50年祭のみぎり、はからずも、その答えが、明らかになってきました。
それは、記念事業として[平戸根本道場、原田全国御行場遥拝所]が建立されました。

その陰で、佐賀県久保田村大立野にある、願福寺の傷みがはげしいため、改修の話しになりましたが、予算がたたず、御神尊様は、[たとえ我が身は、水を飲み、塩をなめようとも、親孝行は
させていただく]の決意で檀家を説き伏せ、話をまとめました。

そして、『両親を始め、ご先祖様のお住まいになる、家作りだ。私たちが、立派な家に住みたいよ
うに、ご先祖様にも、立派な家にお住まいいただくように、努力するのが、子孫の務めだよ』
と、お語りになられました。

願福寺の改修に合わせて、お墓も建立され、
この時、『私はここには入らない、道祖様までである』と、重大なお言葉を遺されました。

余談ですが、この際の改修委員長として、絵画、書、などの、御真筆に精魂をこめ、費用を捻出されました。


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12/10 運命開拓

2018-12-15 08:08:51 | 沿革


こんなふうに言われると、健康と思もいこんでいる人にとり、
とてもショックなことでしょうね。

では、病気になれば、ふつうは病院に行き、診察されて病名を、もらう訳ですが、
それは、あくまで肉体上のことです。

しかし、ここでいう病気とは、運命に直結し、人生を左右する事柄を言っています。

つまり、目に見える前にすでに、あなたは病気を抱えていると、
神様は、あなたの心の中をのぞいて、診断されています。

それですべて、病人であると言われるわけです。
うーん?なに?でしょうね。訳わかんないぞ!

つまりは、[病気とは、精神上の中心を失い、日常生活が乱れて、人間らしさの失われた状態をいう]
と、続いています。かなり、長いのです。

御神尊様によれば、人間は病気になる前に、必ず、[精神上、性格上、生活上、そして、人格上の病気に
かかっていると]御指摘いただいています。

つまり、自己精神の中心におく、神やご先祖様の存在を忘れるだけでなく、
夫婦、親子、家族が切れて離れた生活をして、人間らしい、思いやりの心を、失った状態は、
病気そのものと言われます。

今朝は、運命開拓の基本的な入り口の認識ですが、日々の言葉はここから、枝を伸ばしていきます。
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12/9 沿革秘話 [力久少年物語、2回目]

2018-12-15 08:01:35 | 沿革


御神尊様は、明治39年10月28日にお生まれなりました。
その当時のもようを親戚で友人のTさんが、語られたのは、
[神への道]にある誕生のこと。

Tさんの父親の話では、夜明けに漁に出る船を見回りにいくと
うすぐらい雲の切れ間から、異様に大きく光る星がみえたといい。
漁師は、星とともに生きる仕事、『なにごとかあるな』と、感じたままでした。

母親は、女性の直感で、「ひょっとすると、西の家に子供が、産まれたのでは?』
西の家とは、力久家が西方にあり、そう言っていたのです。
直感が的中、元気な男子誕生、それがのちの御神尊様でした。

天地の神は、明治から大正期、昭和の中期の、悪夢のような苦悩の時代に、
かけて、力久家に与えられたお子でした。

育ちは、病い知らずで運動神経はバツグン。
性格は、頑固、負けん気の強さ、反面、ひょうきんで、思いやりの心にとみ、
友人も多かったようです。

Tさんがいわれるのは、日頃一緒にいて、本人が何気なく話したことが、
数日後に事実になり、驚かされたそうです。
[神への道]のなかで、帽子をタンスの裏から、発見したこと
などは、ほんの一部の出来事でした。









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12/8 天山徒歩の行

2018-12-13 22:48:41 | 沿革


30・12・8、
[毎年、12月8日。御神尊様立志記念日、天山奥の院、登山の日]
[御神尊様、初修行の地]であります。

[神よ、我に、苦難を与え給え]
[神よ、我が身を借りて世に出ざるや]と、神に問いかけた宗教家は、御神尊様だけでしょう。
神様、私は世の中には『貧、病、争』で苦しむ多くの方がいます。
私に苦しみを与えてください。

あなたは、姿もなければ、言葉もない、私を借りて世に出たいと、思いませんか?
こんな、宗教家は、どこを探してもいないでしょう。

やがて、神様からの答えは無く、自らのからだに、問いかける20年の修行に旅立だって行かれました。
それは、[天山奥の院、立志宣言]でありました。

(御神尊様の、深い決意をのぞく、言葉があります。)
[釈迦も孔子もキリストも人なり、彼らにできて私にできないことがあろうか!]

そして孤独の旅の道中、[ダルマは壁を拝み、鹿之助は月をお拝む。私は天地を拝んで、神を知る。]

今日は、教主様を先達にして天山奥の院参拝、登山に出発しています。
どうぞ、それぞれの地で、念波を送ってください。

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12/6 [平戸50日大行、4月10日 満願。][汝等の霊は是れ神明 舎なればなり]

2018-12-06 20:01:56 | 沿革


平戸の悟りによって、大転換を遂げましたが、信者さんの中には、ショックのあまり、
御神尊様のもとを、離れていく人もでてきました。

変わることの難しさを、感じるところですが、
御神尊様には、それ以上に、在鮮時代の宗教家としての、あやまちを
命をかけて清算された、その心中を汲みとらねばなりません。

『人を泣かせ、苦しませていながら、罪なきがごとくに装い、さらに新たな罪を重ねていく』
『信仰によって、己が罪にきずいたら、素直にそれを認め、直ちに改め、償いの
道、人のために、寄り添う人生、徳積みの生涯を歩く』ことを教えられました。

加えて、法によって罪人を裁くとも、信仰するものは、
罪を憎んで人を憎まず、広い心で被害者、加害者を包み込んでいくことを諭されました。

ここに御神尊様の悟りの真髄が現れています。
だから、平戸の御行をお語りになる時は、絶句されることも、しばしばでした。

昭和51年の『古希の年』にあたり、西鉄グランドホテルで、宗教界の方々を集めて
盛大なパーティーが開かれました。私も、34才准教師時代、参加していました。
御神尊様は、ご挨拶の中で、平戸の御行にふれ、
千人もの人が、ひしめく会場で、人目もはばからず、声をあげて泣かれるお姿を
忘れることはできません。

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12/5 [平戸50日大行][捨て身の行]

2018-12-06 19:53:37 | 沿革


夜陰の吹雪まじりの、烈風も収まり、東の空がしらじらとあけ染めるころ、
御神尊様は、簀の子(スノコ)のうえに、仁王立ちされ、お叫びになられました。

『神にお許しいただいたあ!』命の祈りは、神をも動かし、天をも動かしました。
[神を遠きに求むることなかれただ、己が心中に神を求めよ汝等の霊はこれ神明の舎なればなり]

満願を迎えて、御神尊様のお言葉は、
『神さんはおらんとばい、神さんは心の中におらすとばい』
方言丸出しの言葉に、150人からなるお迎えの信者は、訳がわからなくなりました。

行に入るまでは弁財天を拝み、御神尊様の霊能力、お話と、祈祷で助けられていました。
神頼み、他力本願でした。

平戸までの、15年に及ぶ行から行、臨床実験の中から、
すでに、[心と生活]に、運命の本源があることを、お掴みでした。
しかし、なかなか、旧態信仰 祈念祈祷から、離れることはできませんでした。

御神尊様は、それまでの祈祷や霊能力に依存する、他力本願の救いから、
教えによる自力の救いへと大きく舵を切ったのです。

偉大なる平戸の悟り
[心は運命の製造者にして生活は運命の製造所なり]

宗教史上、不滅の大真理をもって、真実の救いの道は開かれました。

こうして今の道は発祥したのです。




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