goo blog サービス終了のお知らせ 

天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

救いに気づく

2022-01-05 17:13:00 | 神と人
令和4年1月5日人生の処方箋
[まずは自分を改めることから]ライン日記

人間関係では、相手の言葉や態度が気にはなっても、その時の自分の対応はどうだったか?には考えはおよびません。

ましてや、お正月は家族が集まります。このお祝いの日でも神酒のおかげで、ケンカ口論もよく聞きました。自分の苦しみをわからせるための、行為行動はあっても、自分のここが悪かったとは、きずかないものです。

この人間関係の悩み、腹立ち、咎めに、御神尊様は『苦こそこの世の宝なりけり』とサトシたものです。それを私たちは、『気づかせのご慈悲』と受け止めることができれば、合掌の精神が身についてきたといえます。

とにかく『改める心』に毎日、御神尊様が人に化身して、救いの言葉があなたと私に、注がれています。やります
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孤独の達人

2021-12-21 08:43:00 | 神と人
令和3年12月21日人生の処方箋
[孤独の達人はいるのか]ライン日記


孤独は人間誰にもあります。しかし、孤独感は人により、さまざまです。多勢の中にいての孤独感、多勢からの疎外感の孤独です。

孤独感と対峙し続けながら、20年もの修行は御神尊様です。
結論は、『孤独にも、孤独感にも慣れることができなかった』と語っています。

御神尊様は神の孤独です。その根本に人の命を慈しむ慈悲の深さが勝っています。苦悩者に道をの一心です。

つまりは、苦しさを超えて楽しくはなかなかです。『道を知る人、自分の進む道をわかる人』が、孤独感を超えることができます。その体験が人生を楽しくもします。

それは、『助けられるより、助ける力を身につける』『導かれるより、導く力』をつけてこそ、『孤独の境界を超えたといえましょう』やります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昼の働き

2021-12-04 13:19:00 | 神と人
令和3年12月4日 人生の処方箋
[人は昼に向かう]  ライン日記

すべての生物は昼に活動し、夜は休息するものです。人もまた、体も心もそのようです。現代では、夜の睡眠の質によって、昼間のはたらきも影響されるといわれます。

それは言いかえれば、昼いかに目の前に全力を尽くすか、今日ただ今に意識を集中できたかどうか、を御神尊様はいわれたものです。

夜の休息は、昼の活動を支え、昼夜の一体が生命を生み出すことになります。しかも、それは心と体の動きを示していることでもあります。それは動きと働きもまた生命のもとです。それが順調に転換するとき、生命は光明に輝くのです。

いのちある私たちは、静止しては瞑さに、動きは光に自分自身で道を作って、楽しみ苦しむだけです。
それは、常に向陽性を人に求めています。やります!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつもふたり

2021-10-10 09:38:00 | 神と人
🔴令和3年10月8日人生の処方箋
[天地の親と 自分の親と]ライン日記

壷井栄さんという作家がいました。作品に『親のない子と子のない親と』があります。情愛を社会の情勢に絡ませて、関係を描き映画にもなりました。

この世に生を受けた瞬間から、宿命と運命に弄ばれて人生を生きていき、生きてきました。親を選べず、環境も選べず、受け入れる人、受け入れられずに反発する人。そのなかのひとりが、私であり、あなたです。

そして、性格や精神が養われ、生活という人間関係を作り、幸不幸を実感しています。自分でも気づかない間に、同じような失敗に泣いてもきました。

御神尊様は親は仮の親といわれたものです。真の親は天地にあり、だから、親をなくしても、希望を失うことはない、道を学べば真の親に目覚め、幸せにも恵まれるわけです。

ただ、大事なことは『私はふたり』ということです。ひとりという言葉の響きは、孤独を感じさせますが、天地という大きな風呂敷を広げなくても、悲喜交交(ひきこもごも)いつも御神尊様とともにが、エネルギーの源泉。笑顔のもとでもあります。
やります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天地と私

2021-09-19 10:33:00 | 神と人
令和3年9月15日人生の処方箋
[私は天、私は地なりとは]ライン日記、2178日

私たちは天地の間に生かされて生きています。それを身近に感じるのは、四季ではないでしょうか。

そして日々の気象です。雨が降りそうだから傘。暑くなるから薄着しよう。子供たちには水筒、雨ガッパ。などです。

そのほかに心身の健康に影響が見られることから、大きな目で見ると『私は』の意味は『天地は神のはたらき』ということになります。

ただ身近に事情が起きるまで、この健康は当たり前と思い込んでいるのが恐ろしいことです。

天地は教えています。天候で、気候で、気象で、体から心へ、『切り替えよ。持ち越してないか。取り越し苦労してないか』『あなたの苦はそこにある』んだよ。と、

天地は心配のあまり四季、二十四節気を通じて導こうとする親心なのです。学びましょう。感謝の道を。やります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聴く道

2021-06-08 08:42:00 | 神と人
令和3年5月24日人生の処方箋
[聴くことと 聞いてもらうこと]ライン日記

まず『ああ今日も命をいただいた』から、その日の動きが始まります。ゆったりした心のようにして『時間がないとか』『あれを片付けなければ』の心の声がしきりにします。

それで気が急いで、まわりの声に耳の傾け方が足らないのではと、これはひとつの自分の反省です。

聴くの字画は『耳に14の心、旧漢字は、よこ一棒』がありました。つまり『二つの耳で多くの悩みを一心にきく』という意味があるようです。

でも『ほとんどの人は、自分の話しを聞いて欲しい』につきます。誰かに聞いてもらい『自分の心の痛みを取り除いて欲しい』のです。だから語り足らず同じはなしになります。

楽にはなりますが『捨てたものを拾う』ことにも長けているので、その不幸や不安は逆にとどまり続けます。

御神尊様は『聞く』よりも『聴く』を大切にした方です。『聴くことで、他の人の人生の荷物を軽くする』ことで、やがて自分の悩みを忘れることになります。これで道がやっと開けます。やります!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実生活

2021-05-07 08:33:00 | 神と人
令和3年4月26日人生の処方箋
[人間みな神にすかれようとしている]

人間は妙な生き物で、何かといえば神を引き合いに出して、事情があれば、解決を願うところがあります。

神の側から見れば、なんと都合のいいことではないか。といいたいもの。神の教え、家族の言い分はいい加減に聞いています。

だから日常生活も人に嫌われる性格を発揮しながら、相手の合わせる努力が足らないとなります。それでいて神前にぬかずけば、その場限りの神妙な姿勢になるのが不思議なものです。

まるで別人のような見事な使い分けです。では、せっかくだから、神もおかげをその殊勝さに免じてあげたいもの、しかし、神の前では融通はききません。

神の前でも役者では助けようもありません。なぜなら実生活こそ、その人の人間性だからです。

神のまなこを信じている人は、常に心を洗っています。とがめ、憎み、とらわれを、日々に清めて流しているものです。その清々しさ心の清らかさこそ、当然、お陰げに包まれるものです。やります。!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心は見える

2021-05-07 08:20:00 | 神と人
令和3年4月24日人生の処方箋
[どうかしましたか。はこわい]


どうかしましたか?いえなんでもありません。と否定しても不思議なもので、隠そうとすればするほどあらわれるものです。
どこに現れるか。顔に出るに決まっています。顔ほど怖しいものはありません。

誰かに言われたあと愛想笑いで返したものの、心配した人は振り返って見ています。こわばった背中でとぼとぼと歩いて、先程の笑顔から、お面のような顔に変げしています。

固まっている本人はまさか見られているとは思いもしません。なぜなら気がかりなことで腹一杯だからです。そして、どうなりますか?の、その後は『はい、そのとうりになりました』

これが運命の行手です。油断も隙もありません。神は人を遣わしてそれとなく、慈悲を与えられています。気づきを与えられています。

天地の道を学び、合掌の心がけで歩く人は、『どうしましたか』に敏感です。だから『ハイ、わかりました』『ありがとうございます😊』救われましたね。やります!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人と共に

2021-01-14 08:43:00 | 神と人
令和3年1月11日、人生の処方箋
神は神によって 知ることはできない

このコロナ時代、神にすがって、一挙に封じ込めたいものです。
しかし、今起こっている現象を通じて、一人と共に伴走してこそ、神の慈悲をうることができるといわれてます。

だから、神との都合のよい直接交渉より、人との交渉こそ、神に繋がる道です。

それが、願いの実現となります。
うまく、和やかに笑顔の交渉力こそ、神の期待されるところです。

この時代、神の期待に応えて、神と家族と人とが手を取り合い、困難を伴走してまいりましょう。
きっと、良い方向にいくはずです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人と人

2020-11-09 08:03:00 | 神と人
令和2年11月9日
[不幸病気は 交わりの浅き者の身の上につきまとう]


健康な人にとっては、いつまでも健康が続くという過信を持つ人がいます。
でも実は病気も死も実は隣りあわせにいます。先日はこんなことを聞きました。
病弱で仕事も思うようにできない父親が82歳まで、命をいただいたそうです。

これなども寿命と病気は直接的には関係がない例のひとつです。
しかし、心の奥を覗けば、誰もが1日といえど心の安まらない日々にあるようです。

事情が続くと、我が家は呪われているとか。祟られているとか。なお疑問が深くなって、安心の境地は得られないものです。

なぜでしょうか。これは簡単な理由です。
道が見えないからであり、心と体の役割がわからないからでしょう。
人として当たり前のことを生活の場に実行できるかです。
ひとことでいえば、『人との交わりが欠けている』からです。

人との関係は、まずは無条件から始まるものです。
うまくゆかないのは、相手の欠点ばかりを捉えて、批判が絶えないところからきているだけです。

その足らない部分を、心から分けあう、喜びや楽しみを共にできるように変わるだけのことです。
これを名前をつければ『合掌の生活』ということができます。
そこには安らぎしかありまぜん。やります!








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする