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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

我輩はゲコである

2007-01-01 18:30:12 | Weblog
 私の身体は、痴れ水なるものをまったく受け付けない。別に検査を受けたわけではないが、それは「浅井家」に脈々と流れる“血”のようだ。浅井一族の集まる冠婚葬祭を見れば、それが手に取るように分かる。その場に置かれたビール瓶や酒の徳利は、乾杯用に中身を注がれた後に手を付けられる事はない。

 そういうのが嫌で、若い頃しばらくは無理をして飲んでみたが、身体が受け付けずにあきらめた。だから梅酒の中の梅を一つ食べただけでいい気持ちになってしまう。

 30日、若い友人夫婦の家に招かれた。二人(と言っても、主役は夫)が作る手料理に舌鼓を打ちに出かけたのだ。

 いやあ、この日のもてなしには正直、参りましたと頭を下げるしかなかった。食前酒からしてその後に供される料理の味や香りを考えて選んである。出されるものの一つひとつに彼の思想が籠められているのだ。それは、よくTVで見るグルメ嗜好のくだらぬこだわりとは違う。金で横っ面を叩いて生産者から奪ってきたような金に飽かせた食材ではなく、生産者が真摯に育て上げた材料を大切に真心込めて調理したものだ。

 健啖家と言えば聞こえがいいが、この歳になっても食欲が衰えぬ私は、食前酒は、なめる程度にして出される料理を何の遠慮もなく、次から次にペロリと平らげてしまう。そう、下戸である故に、酒を少しでも飲んでしまうと、料理の良さが楽しめない。だから、乾杯もそこそこに料理に手を出してしまった。まあ、その分、直子がいける口なので助かる。

 ただ、そのあたりをわきまえているこの主、食事の出し方もきめ細かく計算している。

 出された料理は、私の筆力では活字にしても美味しさは何ひとつ表現できないので敢えて省略させていただく。それに、私はあの料理評論家や芸能人たちが、まったりだの、ナンダノと言って味を表現するのが大嫌いなのだ。

 主は、珈琲の愛飲家でもある。だから食事の締めくくりは、珈琲ジェリーと2杯の珈琲。

 ところが、2杯目の珈琲を出される直前から私の体内に異変が起きていた。頭がぐらぐら、ドキが胸胸、いや胸がドキドキするのだ。その直前に、主の妻が珈琲を飲ませすぎないようにと主に注意していたことが気になった。だから、もしかしたらその原因が珈琲かと、2杯目の珈琲はひと口だけすするに留めておいた。この2杯目の珈琲がまた私の好みの味と香りであったからもっと飲みたかったが我慢した。

 それからしばらくして私たちは帰宅の途についた。家の外に出た途端、寒風が服の隙間から忍び込んでくる。直子は寒がったが、私には心地よい冷たさであった。冷気が悪寒を奪ってくれる感じがした。そこではたと気が付いた。

 「そっか、ザッハトルテに入っていた酒に酔ったんだ」

 実は、その日、私の知人が作る「ウィーン菓子の至宝」ザッハトルテを取り寄せて食べていた。その中に入っていた、恐らくラム酒であろう、アルコールに私は痺れていたのだ。

 原因が分かると、とたんに愉快になり、夜空に二人で笑い声を響かせた。楽しい年末の一夜であった。

 

 「IMAGINE」をさいたまから世界へ その1

2007-01-01 13:35:28 | Weblog
IMAGINEと聞いて浮かぶのは、ジョン・レノンの歌。世界に「差別と戦争をなくす想像をしてみようよ」と呼びかける名曲だ。私も、普段よく口ずさむ。この歌を愛する一人なのだ。

 この「想像」という言葉は、我々の生活にも欠かせない大切な視点だ。「相手を傷付けないため」にも豊かな想像力が必要だし、平常時・非常時を問わず、「自分や愛する人の命を守る」にもこれまた想像力がキー・ワードになる。

 ところが、かく言う私も想像力が欠如していたために他人を傷付けたことが少なからずあったし、この歳になっても、「あ、しまった」の連続だ。それに気付いた時には、時間を置かずに謝るようにしているが、反省の日々だ。

 これはただ、私一人のことではない。私のところに、「誰々に傷付けられた」「誰某(だれそれ)を傷付けてしまった」と相談に来る数だけを見ても、多くの人に共通することであることが分かる。つまり、人間、余程出来た人でない限り、程度の差こそあれ、他人を傷付けずに生活することはほぼ不可能に近いことらしい。それは、人を傷付けてしまう言動が、「怒り」や「恨み」、「憎しみ」「差別」だけでなく、「愛情」や「甘え」と裏腹になっていることにあるらしい。

 だから、自分のことを棚に挙げるようだが、大切なことは、他人を傷付けないように気をつけようと心がけることと、心ならずも傷付けてしまった時の対処だ。

 「傷付ける」とは、言葉や暴力で直接的に行なうものもあれば、心無い行動で間接的にやってしまうものもある。後者の典型が、違法駐車(輪)だ。「ちょっとぐらい」がどれだけ他人に迷惑になり、ある時は実際に傷つけているのか「想像」しなければならない。告白しておくが、私もかつてはこの部分がかなりいい加減であった。

 5,6年前のこと。JR南浦和駅の大通りの歩道は、幅員が4,5メートルはあるが、違法駐輪で歩行者がやっと一列ずつ行き交うことができるほどまでになっていた。幾度かひどい状態を見た時には自転車を整理することもあったが、とにかく自転車の数が半端ではない。私一人ではどうすることも出来なかった。

 ある時、反対側から視覚障害者(女性)が白い杖をカッカッと歩道に鳴らしながら歩いてきた。時間が遅いこともあり、その時は人通りは少なかった。

 危ないと思う間もなく、その女性は歩道に置いてあった自転車の車輪に杖を突っ込み、そのまま自転車の群れの中に倒れこんでしまった。7,8台の自転車が大きな音を立てて倒れた。当然のことだが、私は女性の元に駆け寄った。

 「大丈夫ですか」と声を掛ける私に、

 「すみません、すみません」と、その女性は私に謝った。

 「あなたが謝ることではありません。こんなところに止めるのが悪いんです」

 私はそう言いながら、彼女が身体を起こすのを手伝い、安全なところまで導いて現場に戻った。

 ショックだった。その間、誰一人として私に手を貸す者がいなかった。彼女に手を差し伸べる者もいなかったし、自転車を起こす人もいなかった。

 倒れたままになっている自転車を起こしながら私は思った。

 「これを放置していた私たちにも責任がある」

 その日は金曜日だったため、週明けを待って私は市役所の交通課に電話を入れた。市の道路安全管理責任を追及するためだ。その後、私は浦和市(当時)に執拗とも思えるほど責任追及をした。それと同時に、歩道の前にある銀行(客が頻繁に駐輪する)の支店長と面会して改善を求めた

 程なくして浦和市は、三市合併をしてさいたま市になったが、私は交渉を続けた。結果的に改善された点は、自転車の強制撤去の回数を増やすことと、整理員を置くに止まったが、私一人がやるにはそれが限界であった。

 この話も、「他意はない」が人を傷付けてしまう典型例だ。違法駐輪する人たちを見ていると、懐の寂しい若者ばかりではない。“いい大人”が結構多いのだ。

 違法駐輪が問題なのは、こういった平常時ばかりではない。大地震などの非常時に、逃げ惑う人たちの行く手をさえぎる障害物になる可能性が非常に高いのだ。つまりは、人の命を脅かすものとなるということになる。

 だから、その時必要になってくるのが、「IMAGINE」。想像する力だ。自分の都合でそこに止めてしまうのがどんなに迷惑なのか、考えてみることだ。

 違法駐輪だけでなく、世の中見渡せば、他人の安全や生命を脅かすものはたくさんある。

 私は特にこの体験をした後から「ひとり頑固オヤジ」を街中でやってきた。これは、私のブログやメイル・マガズィン、講演会でも時折り、状況報告をさせてもらっているから御存知の方もおられるだろう。しかし、頑固オヤジで終わるわけにはいかない。次にどうそれを発展させていくかを考えるようになっていた。

(続く)

「IMAGINE」をさいたまから世界へ その2

2007-01-01 13:30:07 | Weblog
 そんな経験や川口市で防災ネットワーク作りをしたこと、さいたま市に同様なものがないこと、さらに若者の政治離れなど、様々な経験と想いが私の中に蓄積され、そこから「ガラガラ、ポン」と飛び出したのが、政治への関わりです。

 地方議会に挑戦することに決めました。対象となる選挙は地方議会の議員を選出するものです。早い話が、さいたま市議会選挙です。

 そう決意したのは、暮れも押し詰まった12月半ばです。これまでは極々限られた人にしか発表していません。それを聞いた人の多くは、「いつかはそんな日が来ると思っていた」と言います。反対したのは、古里に住む年老いた母親ぐらいなものです。また、私のこと、特にかつてジャーナリズムで派手に活動していた姿を知る人の中には、「なんで『国会議員』ではなく、『首長』ではなく、『市会議員』なの?」と言われる方がいます。かつて、私を「岡崎市の市長」にさせたいと言ってくれていた故郷の友人たちも残念がりました。意外なことですが、友人の中には、「俺もやりたいと思っていたから手伝わせてくれ」と言う者もいます。

 市議会を第一目標にしたのは、政治の基本が地方自治にあると考えるからです。住民参加型の地方政治が国を変えられると信じているからです。確かに、様々な人情と利権がからまり、どろどろとしたイメージが強いことから、市民たちにはとかくこれまでは「どうぞ、勝手におやりください」と胡散臭く見られていたのが市議会です。でも、一方、そういった市民の姿勢にも問題があったはずです。本当は私たちにとって一番身近になくてはならないはずの市政が、どこか知らないところで行なわれてきてしまうようになってしまったのですから。

 首長、つまりは市長を目指さないのも、首長が抱える制約の多さ(権力の裏返しでもあります)を考えると、政治に未経験の私がいきなりこなせる役割ではないからです。

 この選挙を、既存政党の力に依存せず、またほとんど金を使わずにやってみせ、若者たちにも「私たちでもできるかも」と思わせたい、刺激を与えたいとの思いが強くあります。ですから、今回の私の選挙に情熱ある若者に集まってもらい、一緒に選挙戦を盛り上げて、そこから彼らに「新しい政治のあり方」を考えてもらいたいと思います。若い人たちと政治を語りたいのです。また、政治に目を向けてもらいたいのです。そして、その新風を「さいたま」から全国に広げていけたらなんて大風呂敷も広げるつもりです。だから、これを読んでいたら、そこのあなた、そう君だよ、僕に連絡をしてください。

 安全な街づくりにも、平和な社会にも、必要なのは「IMAGINEー想像力」です。さいたまにはIMAGINEを歌い世界に想像力の大切さを訴えたジョン・レノンの世界初の公認記念館『John Lennon Museum』がありますが、私が考える「政治を市民の手に」も全国に広がり、そしてやがては世界に羽ばたいてくれればと、考えています。

 「何を夢想してんだい?」と言われるかもしれません。だけど、ジョンも歌っていますよ。

  僕のことを夢想家だと言うかもしれない
  でも、僕ひとりだけじゃないんだ
  いつの日にか 君も仲間に加わってくれるといいな
  そうすれば 世界はひとつになるだろう
 
 そんな私を見て、ドン・キホーテと笑う人がいるかもしれません。でも、それは甘受するしかありません。角度を変えて見れば、私の生き様は、やせこけた馬にこそ乗っていませんが、ドン・キホーテそのものですから。

 さて、政治家を目指すのですから、話を分かり易くしなければなりません。ここからは必要事項を簡潔に箇条書きにします。

所属:もちろん、無所属です。
選挙区:埼玉県さいたま市南区(政令指定都市ですから区単位の小選挙区です)
選挙事務所:設けません。
公約:大規模災害対策一本に絞ります。それに付随する「命」に関わること、災害時に救援活動の拠点にもなる公民館などのコミュニティ・スペイスの改革は手がけたいと考えています。
選挙資金:「浅井久仁臣サポーターズ」を作り、集まった会費を充てていく予定です。
選挙活動:住宅地を周わって大型スピーカーからガナリ立てることはしません。駅頭で選挙民に私の考えを伝えます。

何らかの形で関わりたい方、私の活動に興味のある方はどうぞお気軽にご連絡ください。正月早々、朝からこれを取り急ぎ書き上げました。そんな訳で読みにくい箇所もあるかもしれません。また、誤字脱字がありましたらお許しください。

浅井久仁臣





 

謹賀新年 HPをリニューアルしました

2007-01-01 01:53:20 | Weblog
 新年明けましておめでとうございます。今年は昨年以上に力を入れて頑張るつもりでいますが、今また新しいことを考えていますのでお約束はできないものの精一杯やります。御愛読いただければ幸いです。

 私の公式HP『浅井久仁臣 私の視点』を改造しました。これまで皆さんに慣れ親しんでいただいたHPは、お陰様で約3年間でアクセス数が27万を超える人気サイトになりました。新しいHPもご愛顧いただけるようどうぞよろしくお願いいたします。