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「いのちてんでんこ」と防災教育

2015年04月10日 19時39分02秒 | 東日本大震災

長文注意です。ほぼレポート並みの長さです(笑)

 

津波てんでんこ(つなみてんでんこ)は、1990年(平成2年)11月に岩手県下閉伊郡田老町(現・宮古市)にて開催された第1回「全国沿岸市町村津波サミット」において、津波災害史研究家である山下文男らによるパネルディスカッションから生まれた標語(ウィキペディァから)
この言葉は防災教育がなされていた地域と(学校)となされていなかった地域(学校)とを対比させるような報道に良く使われたような気がしました。

実際は「「自分の命は自分で守る」ことだけでなく、「自分たちの地域は自分たちで守る」という主張も込めていると述べており、緊急時に災害弱者(子ども・老人)を手助けする方法などは、地域であらかじめの話し合って決めておくよう提案している。つまり、標語の意図は「他人を置き去りにしてでも逃げよう」ということではなく、あらかじめ互いの行動をきちんと話し合っておくことで、離れ離れになった家族を探したり、とっさの判断に迷ったりして逃げ遅れるのを防ぐのが第一である。(ウィキペディァから)」事とありました。

私は内陸育ちなので3・11の震災の時まで一度も聞いたことがありませんでした。
しかし沿岸部の地域では、多くの方が知っておられた言葉なんですね。

なんで今頃??こんな話題とお思いでしょう。
実は韓国の留学生が1年間の留学終了レポートに「いのちてんでんこと防災教育」という内容で書きたいとい我が家にやってきました。
彼女は3年前にも被災地を訪れています。大船渡で被災地ガイドさんのお話だけでは3年前とあまりにもトーンが異なり困っていました。

そのような訳で、田中が一肌脱ぎました。
知り合いの団体さんを通して、陸前高田の被災者の方々にインタビューさせて頂けることに成りました。

折しも関西県の高校の教育旅行の中に防災教育に関わることが求められてきた事もあります。

彼女の予測は「いのちてんでんこ」のような防災教育がなされていた所は、人的被害が少なかった。人的被害が大きかったところは、防災教育がなされていなかった。という仮説を立てていました。

 

 

確かに陸前高田でのインタビューに答えてくださったの方々から1名しか「てんでんこ」の言葉は出てきませんでした。

こちらから聞いてみると「言葉としては知っていた、家族で話題に成ことはなかった。」との事でした。

私は、今回のインタビューで公務で避難してきた方々の世話をしていた為に逃げ遅れて亡くなった方の話を、何とも後味が悪い気持ちで聞いてきました。

その施設は4階までありましたから、事実同じ職種でも生き延びた人が1/3名おりました。

同じ職種で助かった人失くなった方の差はなんだったのしょうか?

「いのちてんでんこ」なら、災害弱者を残して
イヤ職務というのであれば、一つの命を引きずってでも、高いところに逃げれば良かったはずです。しかしその方はそうしませんでした。たった数人で押し寄せる避難者の世話をしていました。そして亡くなってしまわれました。

「天使の声」と言う話になった南三陸町の防災アナウンスの遠藤未希さんがおられましたね。
彼女の事は多くの人が知っていますし、今後語り継がれて行くのでしょう。しかし同じように
命を落としていった、多くの若者もいました。
私は知りませんでした。

そしてそのような方の遺族がとても辛い気持ちのままで、誰にも辛さを吐露できずに過ごしている現状を知りました。

 

写真はボランテァさんによる「収集洗浄され遺族の元に戻ってきたものです」

地元の方々は、様々な形で被害に遭っているし、家族をなくした方も大勢います。

今では死体の一部が上がっただけでも良かったねという感じなのだそうです。

死んで良かったねなんてなんて悲しいことでしょう。

その現象は・・・話は急に内陸になります。
一関市は昭和23年のアイオン台風による鉄砲水の洪水被害で、473人の死者行方不明者を出しています。

同市は前年の22年にもカスリン台風で洪水被害を受けたばかりなのに,

何故翌年なのに被害が大きかったのでしょうか?


去年の経験は生かされなかったのでしょうか?


色々な理由があると思いますが、一つは、災害を受けた家族・地域の人々は

何が起きたかを語るのに時間がかかったということです。心の傷を癒すのに時間がかかりました

。周りの感情を察知して語れませんでした。

アイオン台風の生存者が体験談を語るのに50年かかっているそうです。
きっとあの時も今回の沿岸部の津波被害の方々のように、みな口を噤んでしまっていたのでしょう。

現代は被災地に様々なボランテァの人々が入ってくださり、傾聴ボランテァもなされています。
また第三者が防災教育とは何ぞやと語ってくれます。少しずつ体験談から防災のヒントが得られます。
今回のインタビューから、これは良い事なんだ実感しました。

当事者でないからと関わり合ったり、話を聞いたりする事に臆病になっていましたが、
大いに関わっていく必要があるんだな~とつくづく思ったわけです。

「いのちてんでんこ」・「災害弱者」もう少し皆で論議する必要がありそうです。

津波被災者でない私達だから、議論したり、討論できるのかもしれません。

種まきで飽和状態の頭で書いたのでなにが言いたいのかな~?てな文ですが皆さんどう思いますか?