ワシがKweenに在籍していた当時から、ずーっと応援してくれていた友人、絹田泰三くんが亡くなった。
彼は札幌のFMラジオ局、FM North Waveの番組ディレクタ、後に同じく札幌のAir G'のディレクターとして活躍していた。ロック・ポップスを片っ端から聞き込み、自らもプライベートではDJを行うなど、熱烈なMusic Loverであった。またクイーンの大ファンでもあり、ワシが在籍したKweenの公演をロンドンまで見に来たり。また東京でのライブにも時々飛んできてくれたり。そしてワシの北海道でのソロライブなどもよく手伝ってくれていた。
昨年の大みそか。同じく北海道で世話になっている親友、F本くんから電話が入った。F本は以前に書いたが、一度脳梗塞で死にかけたことがある。その時も岩見沢までお見舞いに行ったりしてたが、今はすっかり元気。
F本:「フレディさん、泰三が病気で入院してるって、Air G'の人から聞いたよ。」
ワシ:「いや、あいついつもビョーキやん・・・」
F本:「そういう話じゃなくて、余命●●か月とかいう深刻な話」
ワシ:「えっ!?」
詳しく聞くと、2011年にガンが見つかったのだが、すでに進行しすぎており、あちこちに転移しているとのこと。そういう状態なのですでに手術も不可能だということらしかった。
ワシ:「わかった、正月明けたらとにかく札幌に行くわ」
F本:「いや、そんな無理しなくても・・・」
ワシ:「泰三がちゃんと動けている間、ちゃんと話できる間に会いたいんだよ。命の期限切られてるんだったら、なおさら。」
というわけで、大晦日に航空券手配して、1月6日の夜からワシは妻と二人で札幌に行ったのだ。
1月7日に病院で会った彼は、実は思ったよりもずーっと元気そうだった。
そして、その日に狸小路のJersey Barという店で、店の新年会+F本の誕生会を行うということで、来るついでにちょっと歌ってよって言われてたんだけど、それを聞きつけた泰三は、「今日外出許可もらって遊びに行くねー」とあくまでも能天気・・・というか気分転換したかったんだろうな。で、その日の夜にJersey Barに顔出した泰三。ワシの歌に合わせて相変わらずの大騒ぎをして、嬉しそうにしてた。そして、それが彼を見た最後の瞬間となってしまった。
1月8日、彼からメールが来た。「回復したら東京のライブも見に行きます!」と書いてあったそのメール、そして「あんまり無理すんなよ」と返事を出したのが、彼との最後のコミュニケーションとなってしまった。
今朝、F本からメールが来た。
短いメールで「泰三が亡くなりました」と一言・・・
泣いた。すぐにでも奴の故郷の小樽まで飛んで行きたいと思った。でも、時間的に無理なのだ。明日は横浜でライブスケジュールも入っているワシ。今日の午前中は仕事に行けず、ひとしきり泰三との共通の友人達と連絡とって、午後から仕事に出たのだ。
この日記は、2012年4月6日の午後7時にアップされる。ちょうどその時間に、泰三の通夜が、小樽の真正寺で始まる。そして明日のライブでは、奴への思いも込めてThe Show Must Go Onを歌おう。
泰三
暑苦しいほどに暑く音楽を愛してた君のこと、俺は好きだった。
君との思い出は、本当に楽しいことばかり。声をからしながらススキノのBrits Beat Clubで遅くまで飲んで歌ったことも、ライジングサン2008のバックステージで遊んだことも、ロンドンの街を一緒に徘徊したことも、小樽の居酒屋で騒いだことも、全部昨日のことように思い出す。俺よりも年下の君が先に逝ってしまったのが本当に悲しくて悔しいよ。
向こうについたら、まずはフレディーと友達になっておいて。俺がいつの日かそちらに行ったときには、俺に紹介するように!
君は今どの辺りにいるのかな?まだ小樽のあたりをぶらぶらしてるのかな?それとも、もうだいぶ上まで行ってしまってるのかな?
また、いつの日かそちらで会える日まで・・・
この世ではさようなら、泰三。友達でいてくれてありがとう!
(4/7写真を追加)
2012年1月7日、左から元Brits Beat Clubのオーナーの川尻さん、ワシ、泰三、そしてF本。
この数時間後にワシが歌うライブに泰三が来てくれた。それが、泰三との最後のひと時だった。
彼は札幌のFMラジオ局、FM North Waveの番組ディレクタ、後に同じく札幌のAir G'のディレクターとして活躍していた。ロック・ポップスを片っ端から聞き込み、自らもプライベートではDJを行うなど、熱烈なMusic Loverであった。またクイーンの大ファンでもあり、ワシが在籍したKweenの公演をロンドンまで見に来たり。また東京でのライブにも時々飛んできてくれたり。そしてワシの北海道でのソロライブなどもよく手伝ってくれていた。
昨年の大みそか。同じく北海道で世話になっている親友、F本くんから電話が入った。F本は以前に書いたが、一度脳梗塞で死にかけたことがある。その時も岩見沢までお見舞いに行ったりしてたが、今はすっかり元気。
F本:「フレディさん、泰三が病気で入院してるって、Air G'の人から聞いたよ。」
ワシ:「いや、あいついつもビョーキやん・・・」
F本:「そういう話じゃなくて、余命●●か月とかいう深刻な話」
ワシ:「えっ!?」
詳しく聞くと、2011年にガンが見つかったのだが、すでに進行しすぎており、あちこちに転移しているとのこと。そういう状態なのですでに手術も不可能だということらしかった。
ワシ:「わかった、正月明けたらとにかく札幌に行くわ」
F本:「いや、そんな無理しなくても・・・」
ワシ:「泰三がちゃんと動けている間、ちゃんと話できる間に会いたいんだよ。命の期限切られてるんだったら、なおさら。」
というわけで、大晦日に航空券手配して、1月6日の夜からワシは妻と二人で札幌に行ったのだ。
1月7日に病院で会った彼は、実は思ったよりもずーっと元気そうだった。
そして、その日に狸小路のJersey Barという店で、店の新年会+F本の誕生会を行うということで、来るついでにちょっと歌ってよって言われてたんだけど、それを聞きつけた泰三は、「今日外出許可もらって遊びに行くねー」とあくまでも能天気・・・というか気分転換したかったんだろうな。で、その日の夜にJersey Barに顔出した泰三。ワシの歌に合わせて相変わらずの大騒ぎをして、嬉しそうにしてた。そして、それが彼を見た最後の瞬間となってしまった。
1月8日、彼からメールが来た。「回復したら東京のライブも見に行きます!」と書いてあったそのメール、そして「あんまり無理すんなよ」と返事を出したのが、彼との最後のコミュニケーションとなってしまった。
今朝、F本からメールが来た。
短いメールで「泰三が亡くなりました」と一言・・・
泣いた。すぐにでも奴の故郷の小樽まで飛んで行きたいと思った。でも、時間的に無理なのだ。明日は横浜でライブスケジュールも入っているワシ。今日の午前中は仕事に行けず、ひとしきり泰三との共通の友人達と連絡とって、午後から仕事に出たのだ。
この日記は、2012年4月6日の午後7時にアップされる。ちょうどその時間に、泰三の通夜が、小樽の真正寺で始まる。そして明日のライブでは、奴への思いも込めてThe Show Must Go Onを歌おう。
泰三
暑苦しいほどに暑く音楽を愛してた君のこと、俺は好きだった。
君との思い出は、本当に楽しいことばかり。声をからしながらススキノのBrits Beat Clubで遅くまで飲んで歌ったことも、ライジングサン2008のバックステージで遊んだことも、ロンドンの街を一緒に徘徊したことも、小樽の居酒屋で騒いだことも、全部昨日のことように思い出す。俺よりも年下の君が先に逝ってしまったのが本当に悲しくて悔しいよ。
向こうについたら、まずはフレディーと友達になっておいて。俺がいつの日かそちらに行ったときには、俺に紹介するように!
君は今どの辺りにいるのかな?まだ小樽のあたりをぶらぶらしてるのかな?それとも、もうだいぶ上まで行ってしまってるのかな?
また、いつの日かそちらで会える日まで・・・
この世ではさようなら、泰三。友達でいてくれてありがとう!
(4/7写真を追加)
2012年1月7日、左から元Brits Beat Clubのオーナーの川尻さん、ワシ、泰三、そしてF本。
この数時間後にワシが歌うライブに泰三が来てくれた。それが、泰三との最後のひと時だった。
まだ気持ちの整理ができてない。でも、これから横浜のライブに出かけなきゃ。自他ともに認める大のクイーンファンだった泰三。今日のステージは君に捧げよう。
それをBGMにしながら空に昇っておくれ。Istill love you!
音楽と漫研のつながりの20数年。
最近は、ちょっと畑違いの仕事を彼に頼んだり。
公私共にお世話になりました。
とにかく熱くてマシンガントークでポリシーを持って。
彼と最後に会ったのは、ジャージーバーの
『ガチ・ロック祭り/冬の陣』でした。あいかわらずいかしたステージでした。
1月7日。彼から20:00くらいに「ふれでぃ・えとうさんが来ている。今から来ませんか?」と誘いをもらいました。
でも、酒を飲んでいた私はパスってしまいました。
彼とはまたいつでも会えると思って。
悔やむと言う言葉が嫌いで、使わない思わないことにしている私ですが、この週末は「あんなことも。あの時に」と、悔しい思いで一杯でした。
なんてことを彼が望むわけもなし!
また会う日まで、ネタをいっぱい仕入れておきます。
たいへんな闘病生活から開放されて、今はちょっとだけ休んでくださいな。
愛してるぜ。たいぞーー!
すばらしいコメントありがとうございました。
えとう様。
絹田さんとの出会いは、ネットオークションでKWEENのLIVEのチケットを譲っていただいたことからです。つまり、絹田さんのおかげで、エトウさんのいろいろな活動への参加のきっかけを作っていただいたわけです。
エトウさんのソロライブの後で絹田さんと飲む機会があったのですが、エトウさんの素晴らしさを熱く語っておられた絹田さんのことを想い出し、涙が出そうになりました。
絹田さん、本当にありがとうございました。やすらかにお眠りください。
泰三と一緒に仕事してたんですね。
良くも悪くも「変な奴」だったね。でも憎めないあのキャラ(笑)。確かに好き嫌いが分かれるタイプだったとは思うけど・・・時々会いたくなる(苦笑)。
とにかく駆け抜けた感のある人生だったのかも知れませんね。
志麻ケイイチさん
そうでしたか・・・1月7日。
Jersey Barに来れればよかったですね。奴はめちゃめちゃ楽しそうに大騒ぎしてましたよ。まるで自分の病気を忘れたかのように。いや、忘れたかったからはしゃいでたのかな?そこは、今となってはわからないけどね。
>>なんてことを彼が望むわけもなし!
そうそう。そういう奴ですもんね(笑)。明るく行きましょう。闘病生活から解放されたあいつは、今頃天国でうるさくしてみんなに迷惑かけてると思うから(笑)
スフレさん
今年1月29日のライブにご来場くださった時、「泰三が調子悪いみたいなので、連絡とってあげて」とお伝えしたの覚えてます?あの時点では泰三から口止めされてたので、詳しいことは言わなかったのだけど、実はこういうことでした。そう、泰三がつないでくれたご縁なんですよね、スフレさんとは。
>>やすらかにお眠りください。
普通ならそうなのですが、奴のことです。静かにしてるのは最初だけでしょう。上でも書きましたが、今頃天国で周りに大迷惑かけながら音楽かけて大騒ぎしてると思います。そしてそう思ってあげるのが、ワシ流の供養かも知れません。
それで早速翌日、遅めの寒中見舞いのはがきを送らせていただきました。もちろん病気のことには触れませんでした。1月29日のライブのことが主な内容です。
毎年、年賀状のやりとりはしていたのですが、今年はちょっと事情があって年賀状を出していなかったので、寒中見舞いでご挨拶をするのは
不自然ではないかなぁと思って・・・
絹田さんに出会えたことによって、私の世界が拡がっていきました。
絹田さんに、心から感謝の言葉を伝えたいです。
ラジオ関係の仕事に就きたく、調べていたところ、ふとたいちゃんの事を思い出しました。
フルネームで検索してみたらこの記事が一番上に。
こんなにも愛されていたなんて知りませんでした。
感動です…ありがとうございます。
声のでかくてしゃべりだしたら止まらない、たいちゃんをたまーにたまーに思い出してあげてください。
よく話に聞いていたフレディ・エトウさん、応援してます。