JR西国分寺駅から
散策スタートです。
駅から約10分歩くと
小さな公園の中に
縄文時代の竪穴住居跡が
ありました。
武蔵台遺跡です。
都営府中武蔵台2丁目のアパートを
建設する前に発掘調査があり
多くの住宅跡や土器・石器が
発見されました。
地面を掘り込み
床に川原石を
平に敷いています。
円形部分の中央には
炉が作られています。
この遺跡の近くには
約80軒ほどの
住居あとが発見されています。
4,000年前もこの辺は
住宅地だったのですね。
上記の場所から5分ほどで
国分寺市立歴史公園の
武蔵国分尼寺跡です。
天平13年(741)に聖武天皇が
鎮護国家祈願の為
諸国に国分寺と尼寺を
建設するように命じたのです。
その武蔵国の尼寺跡です。
主要伽藍の規模、基礎が
分かるように復元図あり。
掘立柱塀の一部復元や
東門、中門の位置表示も
わかりやすいです。
調査時に出土したチャート石。
尼寺の金堂など主要建物の
礎石に用いられと考えられます。
大きな石は約700キログラムもあり
奥多摩で採取し運搬されたのです。
上記の場所から3分で
国分寺市立四中の一角に
国分寺市文化財資料展示室の
建物があります。
無料なので覗いてみましょう。
四中校内から武蔵国分寺を
修理する為の施設、
鍛冶工房跡が出てきました。
ここから出土した
瓦、土器、鉄製品など中心に
展示してます。
国分寺尼寺跡の
整備事業の紹介映像や、
東山道、東海道諸国の古瓦も
展示しています。
上記の場所から10分ほどで
武蔵国分寺跡に来ました。
都に通じる武蔵路、
広大な敷地、豊かな湧水、
などの好条件で
現在の西元町が選ばれ
天平13年(741)
武蔵国分寺が建設されました。
武蔵国分寺の境内は
東西1.5km、南北1kmの
広さがあり、ここには
金堂・講堂・経蔵・鐘楼・
僧坊・七重塔・築地塀・
中門・南門がありましたが
鎌倉時代「分倍河原の戦い」で
焼失しました。
上記の場所から7分位。
国分寺仁王門に来ました。
ここは国分寺境内になります。
宝暦年間(1751~1764)に
建設されました。
門の左右には、作者不明の
仁王像が安置されています。
仁王門から階段を登ると
建っているのが
国分寺薬師堂。
ここも国分寺境内です。
建武2年(1335)
新田義貞が寄進したもの。
堂内には重要文化財の
木造薬師如来座像が安置
されています。
薬師堂からすぐの
都立武蔵国分寺公園です。
公園内。
広さ約11万平方メートル
一周500mの円形芝生広場を中心に
サクラ・ケヤキ・イチョウなどの巨木、
滝、池、噴水が配置されています。
池のまわりには延長33m巾3mの
藤棚やノウゼンカズラの棚がありました。
開花の時期にまた来てみたいですね。
公園から徒歩5分で
真姿の池湧水群。
私は何度来たことでしょう。
この付近に来ると
ホッとしますね。
ここに来るといつも
地元の子供達が
水路の中に入って
ザリガニ採りに夢中です。
「幸せな子供達だな~」
国分寺市内の湧水は
野川の源流です。
水路からお鷹の道へ。
2~3分歩くと
おたかの道湧水園(100円)があります。
旧本多家住宅長屋門を
通って園内に入ります。
本多家は代々国分寺村の
名主でした。
ケヤキなどの大木が
生い茂っている
おたかの道湧水園内。
奥にある建物が
武蔵国分寺跡資料館。
ここに入ります。
見る・学ぶ・訪ねるを
コンセプトにしている
史跡武蔵国分寺跡を
紹介する資料館です。
長年の発掘調査の成果を
出土した資料と共に
展示しています。
縄文時代の土偶も
展示してありました。
調査がすすむと
武蔵国分寺は全国に建てられた
国分寺の中でもっとも
大きいことがわかったのです。
これからも、
昔の人達の生活の跡が
残されているこの史跡を
大事に保存してほしいものです。