Andyの日記

不定期更新が自慢の日記でございます。

小学校での英語教育

2006-04-04 17:52:52 | よしなしごと
小学校での英語教育必修化について、こんなページがありました。


・教員歴三十年の都内の女性教諭は戸惑いを見せた。
 「ハローぐらいしか言えないのに、子どもたちの前で英語を話すなんてできない。
導入前に辞められるよう早く定年が来てほしい」
 別の教員は「英語学習のスタート地点で、英語が苦手な教師に教えられ
迷惑するのは子どもたちです。英語嫌いな子を大量生産したら、どうするのか。
やるなら、きちんと英語インストラクター導入を」と力説する。 

 一方で、提言には背景もある。すでに全国の九割を超える小学校が歌遊びなど何らかの
 「英語活動」に取り組んできた。金沢市の場合、「英語特区」認定を受け、
小三からは正式な「教科」として英語教育を進める。

 親や小学生は英語必修を歓迎するのか。
 神奈川県内の私立小学校で英語教育を受けている小学校三年生の母親(39)は
「外国語は早いうちから触れた方が耳ができるので、やらないより、
やってくれるだけいい。ペラペラになるのを期待しているわけじゃなく、
英語授業を通じて、世界には、言語も考え方も違う人々がいることを
知ってほしい」と肯定的だ。

 親の七割が英語必修化賛成だが教員の過半数は反対という文科省調査もある。
 東京都公立学校教職員組合の吉田一徳委員長は教員の英語力を無視した議論に
「アルファベットや旅先での買い物といった会話なら指導できるだろうが、
文科省が子どもたちに、どういう内容を教えたいのか、はっきりしない」と慎重だ。

 慶応大教授の大津教授は「最近、相談が多いのは中学の教員からだ。まっさらの
状態で英語を教えたい、と思っていても、小学校で必修化すれば、英語嫌いになって
中学に来る生徒もいる。小学校での英語必修化は、縦軸としての小学校から
大学までの教育の在り方の問題になる」と指摘する。
その上で「英語を話せることと、教えることは別問題。大切なのは日本語で
きちんと議論できる能力でそこが確立できないと本末転倒になる」と心配し、
「英語をこれから学ぼうとする子どもにとっては最初に接する英語の発音は重要。
やはり、担任教員とインストラクターが組んで授業するのが理想的」と語る。


上の文章の内容について、いくつか思ったことなど。

o 英語学習のスタート地点で、英語が苦手な教師に教えられ
迷惑するのは子どもたちです。英語嫌いな子を大量生産したら、
どうするのか。

確かに一理あります。数学が嫌いな先生が、生徒に数学の面白さを伝えようと
したところで、無理なのと同じです。やはり、どうせやるなら英語教員の
資格を持つ先生に、小学校に来てもらうしかないでしょう。そのための
予算は確保できるのでしょうか?

o 英語授業を通じて、世界には、言語も考え方も違う人々がいることを
知ってほしい

それなら別に英語教育でなくても、何でもいいはず。それこそ、大阪弁でも
秋田弁でもよし。実際に秋田や大阪に住んでみて、自分たちとは異なる
言葉を話し、異なる精神構造を持つ人間がこの世には存在する、という
ことを教えても、結果は同じでしょう。ただ、そんなことを知ったからと
いって、何がどうなるとも思いませんが。

o 英語を話せることと、教えることは別問題。大切なのは日本語で
きちんと議論できる能力

この『英語を話せることと、教えることは別問題』という文章、ちょっと
意味がよくわかりませんが、それはさておき、よく言われる「日本語で
議論する能力」って、そんなに重要ですか?今の子供は言葉を知らないから、
まともな議論ができないとか言われていますけど、本当にそうでしょうか。
子供が本を読まないのは、今に始まったことではないはずです。できないの
ではなくて、ただしたくないだけではないでしょうか。

さらに言えば、私たちの世代は日本語でしっかりとした議論をする能力を
持っているのでしょうか?そして、仮にその能力があると仮定して、
小学校から英語教育を受けていたら、英会話ペラリ~ニョになっていたで
しょうか?そんなこと、絶対にありません。英会話に必要なのは、ひとえに
慣れです。

英語ネイティブが、みんなそんなに立派な議論ばかりしているとでも思って
いるのか知りませんが、別に議論するだけのボキャブラリーやら文章の
構成力がなくったって、英会話はできます、あたりまえですが。自分が
どうやって日本語を身に付けたのかを思い出せば、学校で習わなくても
言葉が話せるようになることくらいはわかるはずです。

中教審外国語専門部会では、小学校での英語教育を次のように定義して
いるようです。


『成績をつける教科とはせず、五、六年生は週一時間程度、
共通の教育内容を設定する』

『次世代を担う子どもたちに国際的な視野を持ったコミュニケーション
能力を育成する必要がある』

『英語を学ぶ目標としては、会話技術や文法などのスキルよりも、
国際理解を深めるコミュニケーション能力を重視する』

この内容を見ると、ますます意味がわからなくなってきます。
「国際的な視野を持ったコミュニケーション能力を育成する」って、
週に1時間程度で何をどうするのでしょうか。しかも「会話技術や
文法などのスキルよりも、国際理解を深めるコミュニケーション能力を
重視する」とはどういう意味なのか。ボディーランゲージでもするので
しょうか、フランス人みたいに肩でもすくめながら?

国際的な視野といいますが、それって英語だけ勉強すれば身につくもの
でしょうか?いまや中国は巨大マーケットに変貌を遂げたのですから、
中国のことだって勉強しなければならないでしょう。また、最近インドが
外貨の規制緩和を発表したので、今後インドが中国を上回る市場に成長
する可能性も高くなりました。だから、インドのことだって勉強する
必要があるはずです。

いえ、金になる国のことだけ勉強すればいい、というものではないでしょう。
真の国際化とは、世界中のどの国の人も、等しく尊重することができる、
グローバルな価値観に根ざした心を持つことではないのか。そんな大きな
ことを、小学生に身に付けさせることなんて、いくら英語を勉強させようが、
議論ができる日本語力をつけさせようが、無理に決まっていることぐらい
わからないのか。真の国際人を育てたいのであれば、むしろある程度の
教育を受け、しかも精神的にも成長している、高校生程度の生徒を対象に
すべきではないのか。小学生から英語を勉強させれば、それで生徒が
ひとりでに国際人に成長するとでも思うのだろうか。

あぁ、こういう、英語さえ勉強すれば国際人になれる、とかいう勘違いした
考え方って、ほんとにいやです。いじくり回される子供の気持ちに
なって考えてあげて欲しい。