Andyの日記

不定期更新が自慢の日記でございます。

女系天皇

2005-11-30 14:00:44 | よしなしごと
「もうどうでもいい」という雰囲気になっているために、あまり真剣に
考えられていないこの問題、本当にこれでいいのかな、と、ときどき
疑問に思うことがあります。確かに、誰が皇位を継承しようと、日本
経済に大きな問題があるわけでもなし、直接的な利害がないので、
あまり切実に考えられていない問題ですね。

ここでもう一度おさらいしておきますが、「女性天皇」と「女系天皇」は
違う、ということ。女性天皇は、推古天皇や持統天皇のように、これ
までも日本の歴史の中に登場しました。だから、今問題にしているのは、
女性が天皇になることが是か非かということではありません。天皇の
系譜が女系になってしまうけど、いいのか、ということです。

「男系天皇」と「女系天皇」との違いですが、「男系天皇」とは「父方を
辿ると、初代神武天皇につながる」系譜のことです。推古天皇や持統天皇も、
父方をたどれば初代神武天皇につながります。またこれらの女性天皇は、
一時的な天皇であり、その後には男系男性天皇が即位してきました。そして
この男系の歴史は、2000年以上も継続してきたのです。

上の図で示されているように、もし、愛子様が皇室とつながりのない
民間の人と結婚して子供をもうけると、その子供の父方に初代神武天皇に
つながる人間がいなければ、神武天皇への血筋は母方を辿るしかなく
なります。これが、女系天皇です。理由はどうあれ、男系天皇の系譜は
万世一系として、これまで一切の例外なく存続してきました。

だから、たとえはかなり変ですが、比叡山で茶髪を認めるか、とかそういう
ことですね。天皇についてうるさい人は、もっとあれこれと理由をつけて
女系天皇に反対していますけど、我々ごく普通の一般人の意識としては、
そういう「伝統」の世界が崩される、という意識でしか、このことを認識
できません。それが、この問題をあまり重く受け止めることができない
理由でしょう。

正直、私もあまりこの問題を、重く受け止められません。ただ、ずっと
続いてきた歴史が、この平成の世で終わってしまうのかと思うと、なにか
少し寂しくなるような気がします。手はないのでしょうか。

狂言

2005-11-28 17:42:52 | 観光・お出かけ
日曜日に、和泉元彌の狂言を見てきました。日本の伝統芸能を見るのは
実はこれが初めてで、ああいうところに行くのには、きっちりと正装
しなければいけないのだろうか、などと思ったくらいに何もかもわか
らない、という状態でしたが、思いのほかリラックスして楽しめて
感激でした。

狂言というと、あの独特のしゃべり方のために、何を言っているのか
聞き取りにくい、という部分は誰でもあると思います。また、狂言の
世界では決まりごとになっていることや、舞台上のセットのそれぞれの
意味なども、知らない人にはまるで理解できないものです。

私も当然のことながら、狂言のことはまったくわからない状態で観劇に
望んだのですが、和泉元彌さんは狂言で特徴的な単語、擬音、また
舞台装置の意味や由来、演者の動きの示していることなどを、演目の
前にわかりやすく解説してくださいました。おかげで、ほとんどの
演目の内容は理解することができて非常によかったです。

上演された演目は、①末広かり②盆山③棒縛の3つでした。どれも
とても面白く、素人の私でも理解できるくらいにシンプルなお話でした。
ただ、次に見るとしたら、やはり屋外で見たいな、と思います。
というのは、上演された場所はハーモニーホール座間という多目的
会場だったので、せっかくの素晴らしい声が、会場中に反響しまくって
しまい、何を言っているのは聞き取りづらいことがありました。

ただ、残念だったのはそれくらいで、全体的には素晴らしい狂言を
楽しむことができました。またぜひ見に行きたいと思います。

歩く3

2005-11-25 17:09:36 | スポーツ
さて、あくる朝、2日目のコースに参加したのですが、これは掛け値なしに
すごかった。もともと、<健脚向けコース>と紹介されていたので、
そこそこはきついのだろう、とは思っていましたが、そこそこどころか、
とんでもありませんでした。私は紐靴を履いて参加していたのですが、
その紐が何度も緩んでしまうほどの難コースでした。

最初は紅葉のきれいな山道を、参加者全員がマイペースで進んでいたの
ですが、しばらくしてから問題が発生しました。参加者の先頭に立って
先導する役の人が、このコースを知らない人であったらしく、事前に
参加者に渡されていた地図上のコースとは違うコースを進んでしまい、
大混乱となりました。あちこちで「どうなってるんだ!」と怒号が飛び交い、
参加者が近くにいた箱根市役所の役員に詰め寄るシーンもありました。

ただその後は、特に大きな不都合もなく、ウォークラリーは続きました。
スタート後、しばらくは車の通る大きな道路の歩道を歩いていたのですが、
「湯坂路入口」あたりからは、きつめのハイキングコースのような、
アップ&ダウンの連続のコースをひたすら歩き通しとなります。
道の土がやや粘土質で、しかもかなり湿っている個所も多かったため、
滑りやすくて注意が必要です。

さらにしばらく行くと、大きな石を埋めて作ってあるくだり道が続きます。
下り道は楽だろう、という印象があるかもしれませんが、実はくだりは
くだりできついものがあります。特に、ふくらはぎと足首にかかる負担が
並大抵ではなく、普通に歩いていても足が笑って、くじきそうになるほど
です。それが石畳の上なのですから、すさまじい衝撃が足全体に伝わる
のです。石畳の上にはあちこちに苔が生えているため、滑らないように
歩くと、消耗する体力は尋常ではありません。

もっと進むと、小学生の高学年向けの遠足に使うコースくらいはあるような、
急な下り坂が続きます。下り坂というよりは、大きな段差のある、階段の
ような道です。ここでは、かなりの人のペースが極端に落ちました。
疲れているうえに、足場がしっかりしていなかったり、不安定であるため、
一歩一歩、確認しながらの山くだりとなります。足に強い痛みがはしるのか、
足を押さえたまま休んでいる人もいました。

山を下りきって湯本に出ると、ここからはひたすらアスファルトの上を
てくてくてくてく・・・・・、と歩き続けます。もうこの頃には、
むしろアスファルトの上を歩くほうが苦痛になっている頃です。山道に
慣れた足でアスファルトの上を歩くと、こんなにつらいものなのか、と
目からウロコの気分を味わえます。もう、足首もふくらはぎも、がたがた
になっているので、へっぴり腰のような姿勢で歩いています。

えんえん、2時間くらいはアスファルトの上を歩いたでしょうか。ふと
前を見ると、海が見えました。あぁ、もう小田原は目の前だ!もう
箱根神社から、ここまで歩いたんだ!そう思うと、なんだか感慨深い
ものがありました。箱根駅伝の選手の人たちには到底かないませんが、
私たちも、それと同じような場所を、同じくらいに苦労して(個人的には
こっちのほうが苦労してると思うが)、ここまで戻ってきたんだ、と
いう気持ちで、胸がいっぱいです。

あと少し、あと少し、という気持ちで、疲れた体に鞭打って、ゴールに
到着したときの気持ちは、無言の感動、としか言いようのないものです。
何か、すごく大きなことを成し遂げた、という実感が、心のそこから
湧き上がってきました。この感動、これから何度でも味わってみたいと
思います。来年、また早いうちに、どこかのコースに挑戦!

歩く2

2005-11-24 17:58:11 | スポーツ
10km コースを終えると、空腹を満たすために昼食をとることにしました。
つみれ汁もおいしかったですが、ほんの1杯だけなので、さすがに疲れた
体には足りません。奥様は「うどんが食べたい、炭水化物を補給したい」
と訴えていたので、小田原駅への道中、うどん屋さんがないか、探して
みました。

そうして歩いているうちに、気がつくと奥様の顔が、うなぎ屋さんの方に
釘付けになっています。松琴楼という鰻屋さんだったのですが、奥様も
私も、気がつけば吸い寄せられるように入り口のほうに足を運んでいました。
鰻弁当というのを食べたのですが、大変おいしい鰻でした。肝汁も格別で、
しかもお値段据え置きという、スーパーお奨めの鰻屋さんです。

お昼を食べた後は、一昨日のブログに記したとおり、Pさんのお茶室で
お茶をいただきました。長距離を歩いた体の、甘いものと楽しい会話は、
疲れた体のリフレッシュには最高です。

さて、2日目が箱根コースで、集合地点が箱根神社のすぐそばだったので、
この日の宿は箱根で取ることになっていました。10月の時点ですでに
予約を入れていたのですが、いざ宿に到着してみると、受付の人は「予約が
入っていない」。こちらの電話番号も伝えてあるのでよく調べて欲しいと
言ったのですが、「入っていない」の一点張り。奥様は、前日に、アメニ
ティーのそろい具合を確認する電話まで入れているというのに・・・・・。
明らかに受付の怠慢なので、そのホテル名を示しておきます。
『プチ○テルみやこ』

仕方がないので、近くにあった旅館紹介所に、代わりの旅館を紹介して
もらうことに。そこの人によると、こういうことは箱根ではときどき
あるそうで、できるだけリコンファームをしたほうがよい、ということ
でした。「なぜホテルの予約にリコンファームが必要なの!?」という
やりきれない気持ちと、信じられない気持ちでいっぱいでしたが、
結局最初に予約したホテルの倍近い値段のホテルしか空いていなかった
ために、そこを紹介してもらって泊ることになり、とほほでございます。

そこのホテルは、いい味出してるおじいさんとおばあさんが経営している、
「春素(はるもと)」という旅館でした。客室も旅館全体も、いい意味で
昭和テイストあふれる旅館で、ここはけっこうおすすめです。特に、
客室にこたつがあるのがいい雰囲気です。温泉には24時間いつでも
入れますし、ご飯も正しい旅館のご飯、という感じで、まるです。
続きはまた。

歩く1

2005-11-22 18:29:52 | スポーツ
11/19, 20 に、朝日新聞主催の『城下町おだわらツーデーマーチ』に参加して
きました。これは、小田原城址公園をスタート地点とするウォーキングの一大
イベントで、コースには 10km コース、20km コース、30 km コースがあり、
そのいずれかを選んで、2日間にわたってウォーキングを楽しみます。今年で
7回目になるこのツーデーマーチには、北海道から九州まで、各地から大勢の
参加者が集まりました。

私たちは、初日は 10km コース、2日目は 20km コースを選びました。
コースの内容は、以下のとおりです。

<飯泉観音コース10km>
小田原城址公園銅門広場……蒲鉾通り……酒匂川スポーツ広場……小田原大橋……
飯泉取水堰……飯泉観音……飯泉橋……けやき通り……小田原市役所……青橋……
小田原城址公園銅門広場

<箱根コース20km>
元箱根苑地……箱根神社内県道への登り口……元箱根石仏・石塔群保存整備
記念館入り口……虎御前の墓前……フラワーセンター駐車場トイレ前……
湯坂路入口……鷹巣山山頂……浅間山山頂……湯坂路石畳手前……湯本小学校……
箱根町役場……風祭橋……早川橋……西海子小路……小田原文学館……小田原城址
公園銅門広場

このツーデーマーチの前に、私たちは 12km の距離を歩く私鉄ウォークラリーに
参加して、制限時間内に 10km くらいの道のりを歩ききるのに必要なペースは
どのくらいであるのか、また 10km を歩ききっての疲労度などをだいたい把握
していたので、初日のコースについてはそれほど心配せず参加しました。

さて初日のコースですが、あまりよくありませんでした。まず問題だったのは、
参加者がかなり多いにもかかわらず、全員が一斉にほぼ同じ時間にスタート
しなければいけなかったことです。数千人はいたであろう参加者が同じ時間に
スタートしたため、最初のうちはまるで遠足のような状態で、おしくらまんじゅう
ウォーキングになってしまったのです。

また、10km コースの最初のほうには、道幅が狭くて歩道がない地区もあった
ため、かなり車の邪魔になっていたはずです。さらに、幹線道路を延々と歩く
地区もあり、景観という面でも健康上の面でも、また安全性の面でも、少々
理想的なコース内容とはいえないものでした。これは、次回までの課題として
主催者にご一考いただきたいところです。

歩き終えて小田原城址公園に到着すると、完歩証明書、抽選による景品引渡し、
またつみれ汁の無料配布を受けることができました。短いとはいえ、やはり
10km も歩くと、体にはけっこうきます。疲れた体に、つみれ汁が染み渡る!
コースはそれほどよくはありませんでしたが、このおいしいつみれ汁を飲むと、
すべてはいい思い出に変わってしまう不思議。続きはまた。

お茶室

2005-11-21 18:18:21 | よしなしごと
土曜日に、Pさんのお宅にお茶にお呼ばれされたので、お邪魔してまいり
ました。雨男の私がお邪魔したせいか、途中から雨がパラつく肌寒い天気に
なってしまいましたが、とっても楽しいお茶の時間をすごさせていただき
ました。

私があの茶室造りに参加させていただいたのは、Pさんが熊本から調達して
きた古い土壁を崩してもう一度新しく土壁用の土を作るところからだった
はずで、それから壁塗りと三和土を微力ながらお手伝いさせていただきました。

考えてみれば、茶室造りに参加させていただくことそれ自体がすでに、日本では
貴重な体験である上に、土壁を作ること、塗ること、三和土を調合すること、
塗り固めること、すべてがそうそう体験できることではないことを考えると、
ちょっと自慢してもいいくらいの体験をしたんですよね。

出来上がったお茶室の中でいただくお茶は、大変おいしゅうございました。
お抹茶は初体験でしたが、「お薄」であったため、少しも飲みづらいという
ことはなく、むしろ抹茶の香ばしさをしみじみと味わうことができました。
私はお茶のお作法がまったくわからなかったのですが、Pさんと奥様が優しく
指導してくださったおかげで、緊張せずに楽しむことができました。

お茶室は言うまでもなく、とても小さな部屋ですが、炭火を囲んでお茶を
飲み、おしゃべりに興じていると、不思議なくらいにリラックスできます。
表現は不適切かもしれませんが、まるで子供の頃の「秘密基地」の中に
いるかのような、そんな独特の感覚を覚えます。自分が茶造りに参加した
から、そんなふうに感じるのかもしれませんが。

プロレス界の今後

2005-11-15 13:43:42 | よしなしごと
プロレス団体、どこも大変ですね。K1やPRIDEがそこそこ固定客を
つかんでいるのに対して、プロレスはかなり苦戦しているようです。
いい意味でも悪い意味でも、プロレスが「ショー」であるということが
わかってしまってからは、ファンが冷めた目でプロレスを見るようになって
しまったのが、やはり一番の原因かと。

むしろ相撲のほうが、朝青龍の7連覇や琴欧州の大関昇進などで盛り上がって
いるように思えます。実際、相撲を見ていると、相撲という競技がいかに
日本人の肌に合っているか、ということが感じられます。ちょんまげ姿である
こと、礼儀作法を重んじること、大きい力士と小さい力士が戦うときに判官
びいきの精神をくすぐられること(垣添頑張れ!)、そして何より、勝負が
一瞬でつくということ。短気な日本人には、うってつけです。

しかし、相撲にもいろいろと問題はあるようです。貴乃花で一時話題となった、
相撲協会内部の問題、外国人力士の入門数制限、怪我の多さ、年棒、etc。
日本相撲協会でも、これらの問題は当然意識してはいるでしょうけど、やはり
組織が大きく歴史もあるだけに、巨大な船がゆっくりゆっくりと進路を変更
するがごとく、なかなか改革が進まないのでしょう。

そこで、集客力不足で困っているプロレス団体が結束し、新しくスポンサーを
見つけて、相撲の新団体を発足させる、というのはどうでしょう。現在の
日本相撲協会がかかえている問題のうち、新団体ならではの身軽さで、簡単に
変えられる部分を変えて発足させれば、面白いことになるのではないでしょうか。
たとえば、

o 各部屋ごとの外国人力士の数に制限を設けない
o 入門時の身長・体重制限を撤廃する
o 入門後は怪我対策として、体重制のクラス分けをする
o 年に一度、クラスを超えた総当たり戦をする
o 民間企業のスポンサーを受け入れる

少なくとも、今のままプロレス団体を続けるよりは、明らかに注目度が高い
はずです。私はこれ、ちょっと見てみたいなぁ。

マリアージュ

2005-11-10 17:48:27 | よしなしごと
紅茶にミルクを入れたり、紅茶にレモンを入れるのは、おいしいですよね。
では、紅茶にバターを入れたらどうなるでしょう。これ、実際に中央アジア
のほうでは、バター茶という飲み方として一般的だそうです。日本で普通に
飲んでいるトワイニングとかに雪印バターを入れてもおいしくないかもしれ
ませんけど、きっと当地の材料を使えば、おいしくなるんでしょう。

同じようなパターンで、ウーロン茶にラー油を入れたら、どうなるでしょう。
まぁ、やってみてください。驚きます。マリアージュとはどういうことか、
というのが、この不気味なお茶一杯でわかります。また、緑茶にわさびを
少し入れて飲んでみると、どうなるか。チューブのじゃだめですよ、ちゃんと
すりおろしたやつで。

ちなみに、このウーロン茶にラー油を入れるというパターン、今日の昼食で
やりました。正確には、意識的にやったのではなく、料理にたらそうとして
まちがって数滴がお茶に入ってしまったのですが。

バベルの塔

2005-11-09 17:56:22 | よしなしごと
先日 NHK スペシャル『立花隆 最前線報告 - サイボーグ技術が人類を変える』
を見て、慄然としました。もう、科学・医学の進歩は、ここまできているのか、
と驚くとともに、人類はもうすぐ、神の領域にすら到達してしまうのではない
のか。ことによっては、神も宗教も必要なくなってしまうのではないのか、と
すら思えました。

http://www.nhk.or.jp/special/
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/sci/

この番組によると、脳にコンピューター・チップを埋め込むことで、うつ病、
パーキンソン病、ジストニアなどの病気が、信じられないほど完璧に治癒して
しまうのです。うつ病になると、脳の中で悲しみを司る部位が活発に活動する
ことがわかっているため、その部分の活動を抑えるように、脳に直接電気刺激を
与えるのですが、それによりうつ病がほとんど完全に治ってしまうのでした。
パーキンソン病も、信じられないくらいにすっかり治ります。

これはつまり、人間の感情というものは、今日の技術ですら、ある程度コンピュー
ター・チップでコントロールすることが可能ということです。近い将来、人間の
あらゆる感情をほぼ完璧にコントロールすることすら可能になるかもしれません。
そうなると、たとえばこれまでは矯正が困難であった精神病の治療だけでなく、
凶悪犯罪者を真人間にすることも可能になるということです。

また、記憶を司る海馬、という脳の部分をより活性化することも可能になって
きているそうです。これにより、人間はそれほど苦労しなくても、勉強した
内容をいつまでも記憶していられるようになるのだとか。そして今後は、まるで
Windows のように、定期的に脳をバージョンアップできるようになる日もくる
ことでしょう。それも、大手術など受けなくても、予防接種か何かくらいに簡単に
チップを埋め込むことが可能になる日も遠くないはず。

しかし、この技術で本当に怖いというか議論すべきことは、やはり感情を完全に
コントロールすることが可能、という点でしょう。この技術を応用すれば、
たとえばクローン人間の人格形成に関する問題も解決できるかもしれません
(自分はクローンであること、そしてオリジナルの体に奉仕できることを誇りに
思う、というような感情を持たせることも可能)。もっとも、そんなことをしても
いいのか、という議論は起きるでしょうが。

立花隆さんも番組の中で言っていましたが、人間の脳というものがこんなにも
機械的に出来ていて、簡単にコントロールできるものなのだとしたら、人間と
いうものを考え直さなければならなくなるような気がします。この問題について、
議論できる時間はあと数年しか残されていない、と番組内で指摘されていました。
ということは、実用化まであと数年しかないのです。人類は、この先どうなって
しまうのでしょう。

難しい問題2

2005-11-07 13:27:50 | 映画
しかし、世界で最初に人権宣言を出した国であるフランスのこと、当然、
こういうブランド化・グローバル化の動きに頑固に反発する人もいます。
南フランスのラングドックにあるアニアーヌ村は、その代表的な土地で、
ここの土地をアメリカの最大手ワインメーカーのロバード・モンダビが、
大量に買い占めようとしたことがありました。そのことは村民には事前に
通知されておらず、怒った村民はその年の村長選挙で、村民を裏切った
村長(社会党)を選ばず、共産党の対立候補を選んでしまったほどです。
この村長は、この年に選出された村長のうち、唯一の共産党の村長となり
ました。

この映画では、ワインのブランド化に反発しながら、昔ながらのワイン造りに
頑固にこだわるワイン職人さんが何人か登場しますが、どの人も実に味わいが
あって、深みのある意見を聞かせてくれます。ワイン造りのドキュメンタリー
映画のはずなのに、ヒューマンドラマでもなかなか聞けないような、枯れた
味わいのあるセリフ、情熱のほとばしるセリフ、自分の不完全さを露呈させて
一切恥じるところがない堂々としたセリフなど、見ていて目頭が熱くなるほどです。

ワインというのは、本来その味に均一性はなく、同じ畑で取れたワインでも、
おいしいワインもあればそうでもないワインもある。その土地その土地に
よって、芳醇な味になったり、力強い味になったり、柳腰の味になることも
ある。その個性を楽しむことが、ワインを飲む醍醐味なのだ、ということに、
職人さんや心ある関係者の人たちの言葉から気がつかされます。

心ある関係者、と書きましたが、このワインのブランド化に反対しているのは、
フランス人ばかりではないのです。アメリカの、しかもニューヨークにも
いました。ニール・ローゼンタールさんという、NYでワイン商を営むその
人は、昨今のパーカリズムによる悪影響を非常に危惧しています。このまま
では、世界中のワインから個性が消えてしまう、パーカリズムに屈する結果
としての味の改造により、今のワインの味は非常に不自然だ、と指摘しています。

私もこの映画を見て知ったのですが、最近のワインというのは、いわゆる
バニラの香りをつけるために、わざわざワインを香りの強い新品のオーク樽で
熟成させているのです。ワインの世界では、バニラのような香りが有難がら
れているので、その香りを強く感じられるように、こういうマキアージュ
(化粧)を施しているのですね。しかしこれは、消費者に豊かなテロワールを
味わってもらうための加工というよりは、「バニラの香りがするワインは高級」
というスノビズムを満足させているだけではないのか。

さて、この映画を見終わって、しばらく考えさせられました。確かに、
パーカリズムやブランド主義は、ワインの個性を奪います。しかし、
それがすべて悪いことなのだろうか。現実に、この流れのおかげでワインの
出来不出来の差は極小となり、世界中のそれほどワインにうるさくない
人たちは、安くておいしいワインが入手できるようになった現代の環境を
喜ぶかもしれません。あとは、おいしい食事があり、気の置けない人と
楽しい話題で盛り上がることができれば、それはそれで素晴らしいはず。

そして一方、この人工的な味のワインが増えてゆくことにより、ワイン職人
さんの心意気や腕、その土地のワインだけが持つ個性を味わえる、昔ながらの
ワインが減りつつある、ということもまた事実です。映画の中で、ワイン造り
には、詩人の心が必要だ、と言っていたベテランワイン造りの職人さんの
言葉が、深く心にしみこみます。気候による出来不出来も、土地の良し悪しも、
またひとつのテロワールなのだ。そういう心で精魂をこめて作られたワインで
こそ、ワインの何たるかを本当に味わうことができるのではないか。

現代人と同じで、あたりは優しいが中身がなく、よく味わおうとすると
背中を向けて逃げてゆく、そんなワインばかりになるというのは寂しい。
一方で、何事もコストダウンとスピードが要求される現代社会で、何十年も
熟成が必要な、時間のかかる高価なワインばかりというのでは、これも困る。


おいしければいいのか?