Andyの日記

不定期更新が自慢の日記でございます。

季節の変わり目

2007-04-24 19:06:59 | よしなしごと
別に大騒ぎするほどのことでもないのかもしれないが、最近の異常気象のせいか、
今年はこの時期、体調がよくない。せっかく花粉がたいしたことなくて喜んで
いたというのに、それを帳消しにするほどの天候不順。暑くなったり寒くなったり
するせいで、体の調子がなかなかいい具合にならない。そういう人、今年はけっこう
多いのではないのか。

しかし、今後も異常気象が続いたり、果てはもっとひどい異常気象が一年を通して
続くような状況になったら、季節の変わり目の体調不良というのは、新しい
国民病になるかもしれない。気温や湿度の変化に敏感な人だと、厳しいだろう。私も
けっこう敏感なほうなので、こんな状況が毎年続くようだとつらいと思う。
これも地球温暖化が原因で発生する現象の1つだとすると、いやなことだ。

たそがれ清兵衛

2007-04-17 15:15:13 | 映画
先日、いまさらではあるが『たそがれ清兵衛』を見た。昨今の番組改編
時期の特番ラッシュでうんざりしていたので、借りてきた。いい映画だった。
淡々としているが、山田洋次監督らしく、人間臭い映画になっている。
若いときの山田洋次監督の映画は、作品によってはあまりにも人間臭すぎて
見ていてつらいものもあったが、今は監督自身が枯れてきたせいか、
この作品はそれほど人間臭くなかった。

藤沢周平の世界観というのは、山田監督の世界観と一致する部分があるの
だろうか。地に足の着いた市井の人々を等身大で描く、という点で共通
しているような気がする。大げさな表現もドラマチックな展開もないが、
じわじわと心の中に広がる独特の感覚は、なんと表現したものか。この
作品でも、それはしっかり感じることができる。

とはいえ、この作品に限らず、藤沢周平原作の映画というのは2時間
程度でまとめるのは無理があるようだ。蝉しぐれやその他の映画でも
そうだが、2時間でまとめようとすると、必ずどこかに無理やはしょりが
生じる。NHKで内野聖陽くん主演で製作された蝉しぐれくらいが、
一番いいような気がする。藤沢周平の作品というのは、実際の字数よりも
内容が濃密なのが原因なのではないだろうか。

今回の映画での清兵衛と余吾善衛門とのあの果し合いシーン、すばらしい。
何がいいって、あの田中泯さん。あの人の存在感は、あれはもう反則だ。
こないだのNHKの『ハゲタカ』でもベテランのレンズ職人さんの役を
演じていたが、あの存在感はいったい何なのか。ただ立っているだけで
画面が引き締まる役者さんなんて、世界中でもそう何人もいまい。

そして果し合いの内容だが、これはあくまで私見だが、余吾善衛門は最初から
清兵衛に陣ってもらうつもりでいたのではないだろうか。話は少し遡るが、
清兵衛は朋江の以前の夫の甲田豊太郎と、成り行きで果し合いをすることに
なり、甲田は清兵衛に木刀で打ち負かされるという屈辱を味わう。甲田は
友人の余吾に、酒の席でこのことを打ち明けて、かたきをうってくれと頼む。

余吾はこの話を聞いて、甲田ほどの人間が木刀で打ち負かされるとは、
清兵衛がよほど尋常ではない使い手であることを察したのだろう。清兵衛に
会いに行って、まずどの程度の者であるのかを自分の目で確かめた。そして、
予想外に実に朴訥とした苦労人風情の清兵衛を見て、こいつは一体、どういう
境遇を経てきた者なのか、と下調べをしたに違いない。敵を知り己を知らば、
ではないが、余吾はかなり清兵衛について調べたのであろう。果し合い前の
雑談で、実によく清兵衛のことを知っていた。

そして、この下調べをした結果、自分を討ち取りに来るのであれば、清兵衛しか
いないであろうこと、そして清兵衛は自分を殺すつもりなどないであろうことを
予想したのだと思う。甲田との果し合いですら木刀で挑む男が、不条理な
切腹を命じられた不運な人間を、お役目とはいえ切って捨てることなど、
あり得ないし、できるわけがない。もちろん、清兵衛もそのまま逃がすのではなく、
形ばかりは相手をして、自分が転んだ拍子か何かに合図をして逃がす、という
ような段取りでも考えていたのではないかとは思う。

実際、清兵衛は上司の久坂から、もしものときには家族の面倒を責任を持って
見るぞ、と言われたときに、今生の別れを匂わせる礼をしていた。また、
果し合いの前日には刀を研いでいたが、その様子を娘は「とても不気味」だったと
表現している。これは、腹を切る覚悟でいた清兵衛の醸し出す異様な雰囲気を
感じ取ったからではないのか。そして、朋江には、思い残すことがないように、
という気持ちからか、朋江に思いを告げている。

しかし、余吾も清兵衛と似たような境遇のものだった。余吾は考えたに違いない。
清兵衛が俺を逃がせば、清兵衛の切腹は免れまい。なんとしてでも俺を斬らせるには、
どうしたらいいか。そういえば、あいつは分不相応な葬式を出したそうだが、
刀でも売らないことには、貧乏侍にそんなことはできまい。そして、だからこそ、
甲田も木刀で相手をしたのだろう。そこを突いてはどうか・・・・・。

そう思った余吾は、清兵衛が屋敷に踏み込んできたときに、「俺は逃げるぞ」と
まず清兵衛に告げて、清兵衛の出鼻をくじく。清兵衛が考えていたことを、
最初に清兵衛本人に言ったのだ。これで清兵衛としては面食らう。そう言われて
「はい、そうですか」と逃がすわけにはいかなくなる。いわゆる、つかみはOK、
という状況だ。

そして、長々と雑談をしていくうち、とうとう清兵衛が果報の刀を売ってしまった
ことを告白させる。あの雑談は、決して雑談などではなく、余吾なりの
「つばぜり合い」だったはずだ。清兵衛の心のスキを生み出させるための、
彼なりの作戦だったのだろう。清兵衛が刀を売った、と告白したときの、あの目。
あれは覚悟した人間の目だと思う。プライドを傷つけられて怒りに満ちた目
とは異なり、冷たい光をたたえていた。

余吾は刀を抜いて清兵衛に向かっていくが、あれこそ余吾が最初から勝つつもり
などないことを示している。余吾ほどの使い手が、家の中であんなに長い
日本刀を振り回すことがどれほど自殺行為であるのか、知らないはずがない。
どうしても家の中で戦うのであれば、清兵衛のように短刀で向かっていくのが
セオリーだ。そして果し合いの最中、余吾は一瞬ちらりと天井のほうを見る。
「ここで斬らせてやるか」という思いだったのだろう。そして、その場所で刀を
鴨居にひっかけて、清兵衛に斬られてしまう。それにしても、あの斬られた後の
田中泯さんの演技。まるで体から魂が抜けていく様子が見えるかのような、
見ていて吸い込まれるほどの動き。

さて1つ疑問が残る。なぜ余吾はもっと早く逃げなかったのか。清兵衛など
待たずとも、もっと早い段階で逃げていれば、生き延びることができたのに、
なぜ清兵衛を待ち続けたのか。おそらくだが、世話になった長谷川志摩への
忠誠心からのことではなかったのか。雑談の中で余吾は、長谷川への感謝の
気持ちを述べているシーンがある。自分を拾ってくれた長谷川のために、
好きな酒もやめて奉公した、というあたりだ。本来であれば、いさぎよく腹を
切るのが筋ではあるが、しかしここまで自分を律して奉公してきた自分への、
最後のご褒美、ということで、死ぬ前に腕の立つ男とひと勝負してから死にたい、
という、剣に生きた余吾のささやかな我侭、と取るのは読みすぎだろうか。

清兵衛はその3年後に戊辰戦争で鉄砲の弾に当たって命を落とす、ということ
だが、余吾のおかげで命を拾った清兵衛を、そう長生きさせておくのは藤沢周平の
倫理観が許さなかったのだろうか。どちらかが犠牲になることで拾っていい命や
捨てていい命などない、ということなのではないか。考えすぎかな。ともあれ、
実に淡々としていながらも、あじわいのあるいい映画だった。

ハミルトン

2007-04-11 15:47:24 | モータースポーツ・車
今年は花粉が少なくて、本当に助かった。ゴーグルどころか、マスクすらせずに
過ごすことができた4月というのは、子供の頃以来じゃないのかな。ていうか、
これは変すぎる。いくら少なめとはいえ、ここまで楽でいいのか、っていう
くらいに楽だった。薬が効果あったのもあるし、毎朝食べているヨーグルトの
おかげかもしれないし、風呂でやっている乾布摩擦のせいもあるかもしれない。
でも、やっぱり今年は花粉が少なかったんだろうな。実に変わった年だ。

変わったといえば、F1。ついに満を持してマクラーレンからルイス・ハミルトンが
デビューした。この新人さんについては以前にも書いたけど、やはり、並外れた能力を持った
新人のようだ。マッサとのオープニングのバトルは、どっちが新人だかわからなく
なるくらいに落ち着いていた。レースはアロンソが勝ったが、あれはたぶん作戦
だったのだろう。経験の浅いレーサーに好き勝手やらせるよりは、まずは安定
したセッティングでマシンを走らせ、確実にポイントを取らせ、レース経験を
積ませるほうが長期的に見て得策、という判断だったのではないか。
マクラーレンは歴史的にチームオーダーを出さないチームなので、もう少し
すればハミルトンにも好きに走らせるだろう。たぶん。

たぶん、というのは、今のF1は昔と違って、速いレーサーが速く走っていれば
それでいい、という単純なものではないからだ。ドライバーズチャンピオン、
コンストラクターズチャンピオンの両方で高い順位を狙うためには、どちらか
優秀なドライバーと相性がよくなるようにマシンを開発していく必要がある。
そして、優秀なドライバーがより高得点を稼ぐことで、DC、CC両方の得点を
増やしていく。チームオーダーではないものの、これは差別的なマシン開発だ。

今は各チームのマシンの差が縮まっているため、昔のようにただ素性のいい
マシンを作ってドライバーに与えて走らせているだけでは、高得点を狙いづらい。
確実にポイントを獲得していくには、こういう方法を取らざるをえないのだ。
しかるにマクラーレンチーム、あの二人はだいぶスタイルが違う。アロンソは
アンダーステアぎみにセッティングし、コーナー入り口でフルブレーキングして
一気にステアリングを切り込むというスタイルだ。マンセルにやや近いが、
あそこまで極端なスタイルのドライバーはあまりいない。

ハミルトンは、オンボード映像を見る限りでは、アロンソのようなスタイルでは
なく、マシンをいたわりながら優しくドライブしているように見える。もしも
アロンソ寄りにマシンが開発されていくと、今後ハミルトンとしては苦しくなって
しまうかもしれない。今のうちに、ロン・デニスにできるだけアピールしておいた
ほうがいいだろう。すでに水泳、ゴルフ、テニスなどでブラックパワーが吹き荒れて
いるが、F1でもついにブラックパワーが発揮されるときがきたようだ。