アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

エリーゼの謎「ミドシラ」と「レドシラ」

2015年02月01日 | ピアノ
「エリーゼのために」は、ピアノを弾く弾かないに関わらず、知らない人はない超有名曲。

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ヤマハの発表会なんか行こうもんなら一日に三回は聞かされるという、21世紀になっても変わらぬこの人気。この曲を冠したコンクールまであるようで…しかしなんでこの曲そんなに弾きたいかねぇ。。と今の私は思う。

とはいえ、やはり過去の私もこれを弾くのがひとつの節目だったらしい。発表会でこの曲弾いてすかさずピアノ辞めてるから。

コドモのころの私は、発表会というとちゃんと暗譜で、しかもほぼノーミスで弾いていたんですよ~信じられる? 自分で一番信じられない(^^;; それで、本番ではたんたんと(ほんとに淡々と、ツマンナイ演奏して)大過なく弾いてたのに、最後、「レドシラー」と締めるつもりのところ、うっかり「ミドシラ」とやってしまって、「レドシラー」と弾き直して終わったんです。

子ども時代最後の発表会を締めくくる、記念すべき(?)弾き直しだったんでとても印象に残っています。

私が弾いていた楽譜によれば、曲全体「ミドシラ」とくるけど最後だけ「レドシラ」だったんですよ。母(ピアノ教師)も「あら惜しかったわねぇ。でもミドシラでいいからそのまま弾き直ししないで終わればそのほうがよかったのに」とか言ってました。

当時、ピアノといえばヤマハ。楽譜といえば全音。そんな時代で、ピアノ教師の頭の中も例外ではなかった(んですよ。ピアノ科卒なんだけど)。正解というものがある、シンプルな時代ですな。

後に、FMラジオでプロの演奏を聞いたとき、「ミドシラー」って終わってたので、なんだほんとにそれでよかったんじゃないの、でもどっちがほんとなの? と思いました。

さらに月日は流れて、今日のお昼はコメダ珈琲にて「たっぷりカフェオレ」などすすっていたわけですが、そのとき読んでいたのが「知って得するエディション講座(吉成順、音楽之友社)」という本なんだけど、「エリーゼのために」の話がかなり詳しく載っていました。

その中で「エリーゼって誰?」のすったもんだもなかなかおもしろい話なんですが、私の目が釘づけになったのは、個人的な因縁の「ミドシラ」vs「レドシラ」です。

この曲の「初版」では、最初のひとつが「ミドシラ」あとは全部(5回)「レドシラ」だったところ、そのときはこの曲あまり流行らず、
ずいぶん経ってから出た「全集」ではなぜか全部「ミドシラ」になっていた、と。

この「全集」全体の編集傾向としては明らかなミスを修正するくらいだったのに、なぜここに限ってはググイと変えちゃったのか??

とにかく、この後に出る楽譜はほとんどがこの「全集」を下敷きにしていたので、世の中に出回ったのは圧倒的に「ミドシラ」だったということになりました。

でもその「全集」ができた後に発見されたベートーベンの「スケッチ」によれば、全部が「レドシラ」で、そもそも初版の一か所だけ「ミドシラ」なのがミスプリじゃないかと。というかまぁ、多数決と考えれば初版だけ見てたって「レドシラ」だったでしょう。それをなんで「ミドシラ」統一。

このように、作曲者意図はおそらく「レドシラ」統一だったところ、全集から発した「ミドシラ」が世の中を席巻した、というところだったんですが、さらに途中でかなり多くの社で作られた楽譜で「ミドシラ+最後だけレドシラ」パターンを採用。この「かなり多くの」のところに全音も入っていた、ということで私が練習したのはその楽譜ですね。

著者の吉成さんの調べによれば、都心の大きな楽譜やさんに並んでいた「エリーゼ」のカウントを取りますと「ミドシラ」派が3、「レドシラ」派が4、「最後だけレドシラ」が10だったとのこと。なぜか事実無根のところが最大派閥(笑)
また、同じく吉成さん調査によれば「音大生に聞きました」、「エリーゼのために、最後は『ミドシラ』? 『レドシラ』?」の結果は「ミドシラ」派が8割。

現在売られている、玄人筋に信頼されてそうな原典版系のものではみんな「レドシラ」らしいんですが、音大生は別に「エリーゼのために」を音大に行ってからとか弾いてないでしょうから、幼いころの記憶が残っているんですね。

と、かなり混迷の状況ですが、ではその中であなたならどう弾きますか? という話になるわけです。

「ミドシラ」「レドシラ」に限った話でいえばたぶん「正解(作曲者意図)」は「レドシラ」で決まり。しかし「ミドシラ」で普及しちゃった現実をどう考えるかというくらいなのですが、

たとえば作曲者自身があとで書き足した楽譜があるなんてときに、
元々のが本筋で、後のがバリエーションと見るのか、
元々のが間違いというか、間違いとはいわないにしても「気が変わって」あとのが本筋と見るのか。

原典版ならひととおりなんて話ではないことも具体例でわかりやすく説明されてますし、いやー理屈っぽくない(笑)私でも読めるかなーと心配しましたが、ぜんっぜん大丈夫なやわらかい本でした。まだ途中だけど。

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コメント (2)
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